また、既に外務省は、海外の全ての大使や総領事に対し、現地の情報機関や警備当局と連携を密にし、情報収集に当たることなどを指示する訓令を出すとともに、特に攻撃の対象として挙げられた3か国の大使には、現地に住む日本人や日本人学校と連絡を取り、安全確保に万全を期すよう指示したということです。
大学関係では、11日(金曜日)に、文部科学省高等教育局学生・留学生課留学生交流室から、各国公私立大学、各国公私立高等専門学校宛にメールが配信され、各大学等においては、危険情報が発出されていない地域等であっても、学生等が引き続き海外に滞在又は新たに派遣される場合は、報道及び渡航先最寄りの日本国大使館又は総領事館から最新の情報を入手するとともに、外務省が実施している渡航登録サービス(たびレジ、在留届け)への登録を学生等に周知徹底するなど、学生等の安全の確保に十分御配慮するよう注意喚起が行われています。
近時、大学のグローバル化が強力に推進される一方で、このようなリスク管理が益々重要になってきています。
さて、現時点では大学に直接に関係するものではありませんが、我が国のグローバル化の進展に関わって、気になる記事がありました。
最近、シリアやハンガリーなどからヨーロッパへ大挙して流入する難民問題が大きく報道されています。もとより一部地域の問題ではなく、世界的に解決しなければならない大きな課題の一つですが、記事によれば、我が日本は、非常に微妙な立ち位置にあるようです。
最近、シリアやハンガリーなどからヨーロッパへ大挙して流入する難民問題が大きく報道されています。もとより一部地域の問題ではなく、世界的に解決しなければならない大きな課題の一つですが、記事によれば、我が日本は、非常に微妙な立ち位置にあるようです。
自分のこととしてよく考えたいものです。抜粋してご紹介します。(全文は、こちら「難民問題が浮き彫りにする諸矛盾:グローバルな負のインパクトの連鎖反応」)
日本にとっての難民問題(下線は拙者)
難民問題はグローバルな国際秩序の負の側面を象徴しており、各国間での協力が欠かせない問題といえます。ただし、どの国も自国の負担はできるだけ小さくしようとします。そのなかで、「公平な負担」が俎上に上ることは不思議ではありません。
しかし、この問題に関する日本政府の立場は、総じて消極的と言わざるを得ません。難民の多くが紛争発生国の周辺で受け入れられているにせよ、そしてできるだけ自らの負担を軽くしようとしているにせよ、図4(略)で示したように、昨年段階で米国、フランス、ドイツは20万人以上の難民を受け入れていますが、昨年段階で日本が受け入れていた難民は約1万4,000人に止まります。
日本の場合、難民審査は極めて厳格で、例えば2013年には3,260人が難民申請をしたのに対して、受け入れられたのは6人だけでした。これに関して、例えば米国務省は、子どもの性的虐待や刑務所における人権侵害などとともに、難民申請における弁護士の関与に関する公的支援の不足などを指摘しています(日本弁護士会が独自に支援制度を設けている)。また、先進国のなかで日本と韓国の難民審査が突出して厳しいことは、米国以外のメディアでも折々伝えられています。これに鑑みれば、UNHCRや欧米諸国から、難民の受け入れに消極的な日本が「負担の分担」を求められてきたことは不思議ではありません。
2014年度のUNHCRへの拠出金のうち、日本のそれは全体の6パーセントにのぼり、これは国単位でいえば米(39パーセント)についで、英国とともに第2位です(EUが8パーセント、民間からの寄付の合計がやはり6パーセント)。国際機関といえども、資金がなくては活動もままなりません。その意味で、日本が難民問題に貢献していないとも言えません。
ただし、難民条約が現代の難民問題に必ずしも適応できていないことも、既に述べた通りです。また、少なくとも受け入れ人数から見れば、どうひいき目にみても、日本が率先して難民問題に関わっていないことも確かです。UNHCRに資金協力をしながらも、自国でほとんど難民を引き受けていない状況は、外部から「寄付はするが祭に顔を出さない金持ち」といった風情に目されても、全く不思議ではありません。
日本政府は折に触れ、日本が平和国家として国際協力に積極的であると世界で公言しています。しかし、欧米諸国が自らの負担を減らそうとしながらも、それでも数十万人単位で難民を受け入れていることに鑑みれば、日本政府の「国際平和に積極的」という言葉があまりに空疎に響くように感じるのは、私だけでしょうか。
もっとも、これはひとり政府に還元できる問題ではありません。日本文明そのものがインド文明や中国文明などの成果を受容して発達した歴史を踏まえると、日本には様々な外来の要素を受け入れる素地があるはずですが、移民問題だけでなく、日本人同士でも、福島から避難してきた人々に対する嫌がらせが各地で発生した(している)ことからも、その排他性は根深いものがあると言わざるを得ません。メディアで支配的な「ヨーロッパに難民が押し寄せて大変」という対岸の火事のような見方は、基本的に自らの問題と認識していないことを示します。その意味で、グローバルな変動の一つの象徴である難民問題は、日本の閉鎖性をも浮き彫りにしているといえるでしょう。