財務省の論理は国民に理解されうるものか
去る10月18日、「予算編成に関する政府・与党会議」が設置され、「日本再生重点化措置」要望に係る作業が動き始めるなど、政府の平成24年度予算の編成作業もそろそろ山場を迎えつつあるようです。 そのような中、国立大学協会など文教関係団体の予算獲得に向けた動きも目に付くようになりました。来年度の当初予算は、東日本大震災の復興予算の確保をはじめ、取り巻く経済財政状況も加味した極めて厳しいものになることが当然ながら予想されるため、文部科学省関係予算、とりわけ高等教育関係予算も、これまでのように、“結果としてはそこそこ満足いくものになった”というわけにはいかないように思われます。 さて、国の予算を実質的に編成する力を持っているのはご存じのとおり「財務省」ですが、編成に当たって財務省はどのような考え方を持っているのかを知っておくことは、予算の要求省庁のみならず、一般国民にとってもとても重要なことではないかと思います。特に教育予算の動向は、家計にも大きな影響を与える可能性が高く注視しておく必要があります。 そこで、今回は、財務省主計局主計官の神田眞人さんが、財務省の広報誌「ファイナンス」(2011年6月)に寄稿した論考「 強い文教、強い科技 序説-客観的視座からの土俵設定- 」を抜粋してご紹介したいと思います。 この論考、どれだけの国民の皆さんが目を通されたかはわかりませんが、個人的な感想をまず申し上げれば、様々なバックデータを基にした論理展開に、いちいち納得はできるものの、何か釈然としない後味の悪さが残るものでした。主張は、相変わらず一貫して財務省特有の経済原理主義に基づくもので、裕福な家庭に育ち、高い教育をうけてきた官僚的発想としてはこんなものだろうという感じがしました。厳しい社会経済情勢の中で、明日の仕事や生活をどうしていくかといったことに日々悩む国民の目線からはほど遠い内容だったと思います。 財務省をはじめ、霞が関のお役人さん方は、我が国の将来を背負う素晴らしい仕事を、昼夜の別なく懸命に行っておられると思います。しかし、今回の論考は、よく言われる机上論で物事を考えたもの、現場をおもんばかる気持ちを感じ取ることができないものではなかったかと思います。財務省の主計官という立場にあり、このような内容にならざるを得ないのかもしれませんが、数理的な発想だけではなく...