2011年10月13日木曜日

教員養成の修士化は誰のため

いささか旧聞だが、中央教育審議会・教員の資質能力向上特別部会の6月の会議で興味深い資料が配られた。文部科学省が三菱総合研究所に委託して行った「教員の資質向上方策の見直し及び教員免許更新制の効果検証に係る調査」の集計結果で、教員(14,230人)、校長(6,497人)、保護者(6,286人)、教育委員会(1,151)、教職課程を有する大学(662)、学生(2,385人)から回答を得た。

調査では、教員に必要とされる資質能力として、(a)教師の仕事に対する使命感や誇り、(b)子供に対する愛情や責任感、(c)子供理解力、(d)児童・生徒指導力、(e)集団指導の力、(f)学級づくりの力、(g)学習指導・授業づくりの力、(h)教材解釈の力、(i)豊かな人間性や社会性、(j)常識と教養、(k)対人関係能力、コミュニケーション能力、(l)教職員全体と同僚として協力していくこと-を示し、教員がどの程度充足していると思うか聞いた。

目をひくのは教員の自己評価の高さだ。全ての項目で、「とても充足」と「やや充足」の合計(以下、「充足」と表記)が4分の3を超え、特に(a)と(b)は95%に達した。校長には教員を新任、中堅、ベテランに分けて聞いた。初任者教員に関しては(c)~(h)で「充足」回答は3-4割合だったが、(a)、(b)、(l)は約8割という高評価。授業技術等に不満はあるが、教職への使命感や子供への責任感、協調性は合格という判定だ。中堅教員やベテラン教員では、「充足」が全ての項目で8-9割に達し、特にベテランの評価が高い。教委は教員や校長よりは厳しいが、それでもまずまずの評価。意外なのは大学で、(a)、(b)の「充足」回答は8割合だったものの、(e)、(i)、(k)、(l)は4割合、(d)、(f)、(j)は5割合、(c)、(g)でやっと6割合と圧倒的に辛口の評価だ。

3つのことが気になった。

第1は、示された12の資質能力について、現場の教員や校長、保護者は、大学が思うほどには問題視していないことだ。教育委員会は中間だが、それでも大学ほどではない。現場の自己認識が甘いのか、それとも大学が現場を知らないのか。

第2は、校長の回答の解釈だ。初任者の授業技術等を問題視しながら、中堅・ベテランの評価は高い。昔の方が養成がしっかりしていて優秀な人材が入ってきたからなのか、それともOJTで鍛えられた結果なのか。もしOJT効果だとすれば、その現場力は今後も期待できるのか、それとも現場の疲弊でもはや期待できないのか。

第3は、調査が示す12項目が教員の資質能力として妥当なのかということだ。調査票作成に関わったのは、文科省担当者や特別部会の関係者だろう。いずれも現行制度の設計に深く関わった人々だ。彼らが従来の延長線上で質問項目を作れば、現行制度で養成された人間が高い評価を与えるのは当然だろう。

もし調査項目に、「社会の激動を理解し、21世紀に生きる日本人に必要な資質能力を理解する力」とか「グローバル化や情報化時代の意味を理解し、その観点から新しい授業を作る能力」「子供1人1人の将来を見据え、個に応じたきめ細やかなを指導ができる」などの項目があらたら、結果はどうだったろう。あるいはもっと単純に「IT力」、「英語力」、「多文化理解」などでもいい。12項目が重要なことは確かだが、今の時代には旧来型の資質能力だけでは不十分だというのが、議論の出発点ではなかったか。質問がこの12項目で終わってしまう点に、委員たちの発想の限界を垣間見た。

「現在の学部段階の教職課程の課題」を尋ねた質問でも面白い結果が出た。「内容・カリキュラムが学校現場に即していない」と答えた教員は49.2%、校長51.9%、教委56.3%に対し、大学は30.7%。「担当する大学教員の学校現場の経験が不十分」と答えたのは、教員51.4%、校長64.0%、教委60.8%に対し、大学は38.6%である。大学教育に対する現場と大学の認識ギャップが際立つ。

さらに衝撃的なのは、「養成課程の期間(原則4年)が短い」という回答は、教員4.6%、校長7.0%、保護者8.8%、教委7.0%、学生8.3%にとどまったが、何と大学自身もたった8.6%だったことだ。修士化の推進論者は、この数字をどう説明するのだろうか。

調査から窺えるのは、教員養成の課題に多くは大学教育にあり、大学界でさえ「養成期間の延長=修士化」にさほど積極的ではないことだ。改めて、誰のための、何のための修士化なのかと思う。

取材ノートから(日本経済新聞社編集委員 横山晋一郎)(IDE 2011年10月号