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6月, 2014の投稿を表示しています

認知症をどう受け入れるか

朝日新聞によれば、厚労省研究班の推計によると、65歳以上の高齢者のうち認知症の人は15%で約7人に1人、2012年時点で462万人にのぼる。さらに軽度認知障害(MCI)と呼ばれる「予備群」も約400万人いる。認知症の把握がより正確になったことや、高齢化が進んだことなどから、有病率は1985年の6・3%から2倍以上に。最も多いのは、「アルツハイマー型」で半数以上を占めるそうです。 「 (大介護時代)だれが見守る?:1 今日を乗り切る、それだけ 出歩く親、気抜けない 」(2014年6月26日朝日新聞) をご紹介します。 外出して歩き回る「徘徊(はいかい)」と呼ばれる行動は、認知症の症状のひとつです。行方不明になることも、危険な目に遭うこともあります。認知症男性の鉄道事故の裁判で、妻に監督責任があるとの判決が4月に出ました。家族や施設、地域はどう向きあえばいいのか。介護中の家族は「今日を乗り切るだけ」と言います。 「腹減った」「腹減った」「腹減ったーっ」 東京都青梅市にある一軒家。夕暮れ時、デイサービスから帰ってきた川鍋美津子さん(70)が甲高い声で叫び続けた。「まだだって言っているだろっ」。夫の健司さん(74)がたまらず、怒鳴った。興奮した美津子さんが食卓にあった湯飲みを手で払いのけると、健司さんのシャツがびしょぬれになった。 おさまらない美津子さんは家の中をドスドス歩き回る。 食事を遅くしようとするのは、早く食べて寝ると未明に起き、家を飛び出ることがあるからだ。健司さんは「病気だから仕方がない」と言いつつ「もう何年もこんな感じだから。ふつうの家がうらやましい、と思う時もあるよ」。 「前頭側頭型」という、行動抑制がきかなくなるタイプの認知症だ。美津子さんの場合、興奮すると、ののしり、たたくといった症状もある。 美津子さんは朝晩を問わず、いつ出かけようとするかわからない。デイサービスで過ごす時間以外、健司さんと娘の美佐子さん(42)は常に気が張り詰めている。 50キロ先で保護 きちょうめんで我慢強い性格だったという美津子さんが発症したのは12年以上前。9年前には原因不明の頭痛を訴えて床を転げ回ることがあり、2年間、精神科病院の認知症病棟に入院した。 いま要介護4。ひざが悪いものの、寝起きや歩行には支障がない。2年前、健司さんと...

改革努力に乏しく惰眠をむさぼってきた都議会

「社説: 視点:幕引き都議会 惰眠の府が演じた醜態 」(2014-06-27 毎日新聞) をご紹介します。 反省どころか隠蔽(いんぺい)に等しい。東京都議会の女性蔑視ヤジ問題は発言議員は懲罰を受けず、他のヤジの発言者も特定されないまま「再発防止決議」で議会が幕引きを図る事態となった。 首都の議会が演じた醜態は地方議会全体の問題でもある。だが、都議会が都道府県議会の中でもとりわけ改革努力に乏しく惰眠をむさぼってきた議会であることは指摘しておきたい。 人権侵害のヤジを制止するどころか、笑い声すら起きた議場そのままの決着だ。一部報道によると、発言を認めた鈴木章浩議員に議場での謝罪を求める動きに「人権侵害だ」と反対があったというのだからおそれいる。幕引きを急いだ都議会自民党を支えたのは数の力でうやむやにする発想だろう。 議会の自浄能力の欠如を象徴したのが、ヤジを受けた塩村文夏議員が地方自治法133条に基づき当初提出した発言者の処分を求める要求書を議長が受理しなかったことだ。「発言者が特定できない」ことが理由というが条文上、受理は可能だった。その後鈴木議員が発言を認めたが、今度は会議規則に「(懲罰動議は))事犯があった日から3日以内に提出」とあるため懲罰は封じこまれてしまった。 「首都の言論の府でさえこれでは……」とは多くの人が抱く印象だろう。だが、現実は都議会は全国的にみても改革が遅れた議会だ。早稲田大マニフェスト研究所が情報公開、住民参加などから毎年集計する地方議会の改革度で都議会は47都道府県中42位に過ぎない。 1990年度以降、議員提案で制定された政策に関する条例は二つだけだ。議会改革に向け、多くの地方議会が定める議会基本条例も未制定だ。つい最近も議員提案で四つの政策条例を可決した横浜市議会などと比べ、活動には雲泥の差がある。 「国会議員を目指しての腰掛け気分や、気位ばかり高い議員が多い」とある首長は手厳しい。首都・東京が待機児童対策や超高齢化への対応で立ち遅れてきたのは都議会の怠慢にも責任の一端があるのではないか。 都議会事務局はここ数日、抗議電話の対応に忙殺されている。だが、都議127人を昨年、過去2番目に低い投票率で選んだのは都民自身でもある。 鈴木議員が一転、発言を認めた要因はネットなどを通じた批判の広がりだろう。年間約...

The University of Tokyo: Explorer(Official Video)

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かっこよすぎる!

何かを変えるチャンス

ブログ「 今日の言葉 」から 「 フォーカス 」(2014-06-20) をご紹介します。 釣れないときは、 魚が考える時間をくれた と思えばいい。 ヘミングウェイ たまにはゆっくりな言葉も。 「釣れない」という事実にフォーカスしてイライラするのではなく、自分を客観視して考え方を変えてみる。 人間は「考え方」を変えられる動物なのです。 うまく行かないときは、自分が驕(おご)っているときなのかもしれない。 うまく行かないときは、新しい学びが必要なサインなのかもしれない。 うまく行かないときは、目標設定の仕方が間違っているのかもしれない。 うまく行かないときは、基本を忘れているときかもしれない。 でも一番大事なことは、うまくいっているときでさえも、 そうした反省が出来るかどうかでしょう。 常に何かを変えるチャンスは転がっています。 「やり方を変えないで違う結果を求めるのは狂気の沙汰だ」という言葉のように。

生きる

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 ビデオレター 」(2014-06-19) をご紹介します。 県立M高等学校の卒業式が近付いたある日、ビデオカメラを手にした男子生徒二人がやってきて告げた。 「うちの高校では、毎年卒業生にビデオレターを観てもらうことになっています。三年間、お世話になった方や思い出に残っている人から三分間ほどのメッセージをもらって、卒業生全員で観るのです。今年は、三年間講演してくださった住職さんがノミネートされましたので、撮影させてください」 笑いながら答える。 「ノミネートとは大げさだなあ。つまり“送る言葉”だよね。身に余る光栄!喜んでお受けいたします」 私は三つのメッセージを語った。 「もう一度伝えておきます!人生はたった一度きり。それも片道切符の旅です。ならば各駅停車で行こう。特急に乗ったら通り過ぎてしまう風景を、しっかり見ておきましょう。各駅停車の人生だからこそ身につくのです!」 「人生の主人公は自分です。“オシッコがしたくなった。でも、今、忙しいから誰か代わりに行って!”これはできない。人生も同じです。人生は自分が主人公となって生きていくものなのです。他人に代わってもらえません」 「人生は一人で生きられません。自分の力で生きていると思ったら大間違い。多くの人や物にささえられ助けられての人生です。迷惑をかけてもいい。そのかわり、他人からかけられる迷惑も喜んでいただくのです。他人とくらべることはない。堂々と自分の道を歩んで自分の花を咲かせてください!」 私以外にも十人のビデオメッセージがあったと後日、報告される。 卒業生が二年生の時、他校へ転勤された生物の教師O先生の登場には拍手が起こった。 O先生は、 「何度も教えたよね。一組の両親から生まれる子どもには、約七十兆通りの組み合わせがあって、二つと同じものがないということ。忘れるなよ。君たち一人ひとりは、七十兆分の一の確率で選ばれて、この世に生まれて来たんだ。これってすごいことだよ。こんなすごい生命を大切にするんだぞ!」 そして最後のメッセージになった時、映し出された人物を観て、全員が絶句した。 いや、誰も、“なぜ?”と思った。 実は、スクリーンから笑顔いっぱいに語りかけてきたのは、高校三年になったばかりでこの世を去った同窓生の...

見つけにくいのは「他人長所」と「自分の短所」

ブログ「 今日の言葉 」から 「 短所 」(2014-06-18) をご紹介します。 人の欠点が気になったら、 自分の器が小さいと思うべきです。 他人の短所が見えなくなったら、 相当の人物。 長所ばかりが見えてきたら、 大人物。 石井 久(立花証券会長) その人の成長を願って、良くなって欲しいと考えた上で、その欠点を指摘してあげることは問題ないけれど、単に欠点だけを見て影で不満を言っているのでは意味が無い。 見つけやすいのは「人の短所」と「自分の長所」で、見つけにくいのは「他人長所」と「自分の短所」なのでしょう。 歌人の生方たつえさんはお母様から 『不満を持つ間は、人は幸せからはじき返されますのや』 と教えられていたそうです。 愚痴をこぼすだけの不満は何も変えないばかりか、他の誰でもなく自分に対してマイナスになるものです。 「あなたの良いところはね、」を口癖にするのも良いかもしれません。

おかげ運

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 運のある人を賞賛する 」(2014-06-17) をご紹介します。 世の中の社長さんたちは、ふつうの会社員の人たちよりも、よく七福神を飾った熊手とか、破魔矢(はまや)とか、いろんな縁起物を買うもの。 パワースポットめぐりが好きな人も多い。 それは「社長になったから、縁起をかつぐようになった」ということではなく、大きなビジネスを動かしていこう、大きな流れに乗ろうという意識を持った人たちは、自分の力を超えたもの、つまり「運の力」がなければ成功しないということを、身を持って知っているからだと思うんです。 それもくじ引きみたいに「当たった!外れた!」という一回こっきりの“運”ではありません。 必要なのは、陰ながら支えてくれて、自分のことを押し上げてくれる大勢の気持ち。 そういう“運”のことを、私は「おかげ運」と呼んでいます。 “運”というものは天下の回り物です。 うまくいっている人、運気がある人のことを、賞賛すればするほど、自分のところに回ってくる順番がはやくなってきます。 反対にうまくいっている人、運気がある人のことを、 いいよな… くやしいな…って ねたんだりひがんだりしていると、自分のところにやってくる順番が遅くなります。 知らず知らずに嫉妬していて、気づかずに運を落としていることもあるので要注意(「無意識の嫉妬」って呼んでます)。 運がめぐってきている人をねたむと、運はあなたに嫌われたと思うのです。 それから、やることなすこと全部はずれ、みたいな、“運”にまったくめぐまれないときもある。 そんなときでも、落ち込んじゃって「もういいや!」と投げやりになってしまうと、いつか“運”がめぐってきたときに準備不足ということになり、そのまま“運”が過ぎ去ってしまうことがあります。 “運”がないときも、かならず自分にも“運”がやってくるということを信じて、やるべきことをやって、まわりの人たちと丁寧なお付き合いを続けていく。 それをコツコツできる人が、あとあと大きなチャンスをものにします。 最悪のときも、最高のときも短いもの。 結局、良くも悪くもない「ふつうのとき」が一番長い。 だからこそ、ふつうのときの過ごし方がとても大事なんですね。 ◇ 人...

教職協働とキャリアギャップ

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の 山本眞一 さんが書かれた 「 教職協働と職員のキャリアパス 」(文部科学教育通信 No341 2014-06-09) をご紹介します。 教職協働の難しさ 先月末、愛媛大学で開催された「次世代リーダi養成プログラム」において、3時間の講義を行った。私はここ数年、このプログラムの講義に関わっているが、受講する職員の意欲が極めて高いことに感心させられる。このプログラムは、四国地区の4つの国立大学をコアとし、それぞれの県内の高等教育機関を含め33校からなるネットワークを形成して「学生の豊かな学びと成長を支援する、実践的力量をもった高等教育のプロフェッショナルを四国から輩出する」ことを目的とするSPOD(四国地区大学教職員能力開発ネットワーク)が行う活動の一環である。平成20年に発足し、現在ではFD、SDに関わるさまざまな活動を幅広く行っている。詳しくは、このネットワークのホームページがあるのでご覧いただきたい。 私は、「時代の激変と大学の将来」と題した高等教育政策論の講義を通じて、大学の役割の重要性を述べ、また大学職員の自覚と能力開発の必要性に触れた。その際にいくつかの質疑応答があったが、その中で「教職協働は重要だとあちこちで言われているが、われわれ職員は教育・研究を本務としているわけではないので、どのようにして教員たちの活動に関わるべきかを教えてほしい」という趣旨の質問があった。私は、この質問が職員のこれからの役割の在り方そのものに関係する重要な質問だ、と直感的に思ったので、「職員は教育・研究そのものに関わるものではないが、そのことと密接に関連する仕事はいろいろあるので、それに職員が関わることによって、教員とともに大学をより良くしていくように努力すべき」という意味の応答をした。 考えてみれば、法人化以前において、職員は職員、教員は教員の世界があって、とりわけ国立大学において、職員は公務員制度の下で、他省庁でいえば国の出先・・・機関の事務を執り行う職場という性格が強かった。他方で、教員は教育公務員特例法に手厚く守られつつ、教授会によって管理されるアカデミックな組織体の一員であって、彼らの目から見れば、職員は彼らの活動を支える事務員、あるいは彼らの活動を監視する行政官としか映っていなかったのかもしれな...

スマホ中毒

教育評論家の 梨戸茂史 さんが書かれた「 スマホ依存症 」( 文部科学教育通信 No341 2014-06-09 )をご紹介します。 「依存症」と言えば、「活字」だったのは昔の学生。困るのはアルコールやクスリの依存。今の依存症は「スマホ」すなわちスマートフォンなる携帯電話。 電車で隣の学生やらOL、サラリーマンの手元をのぞいてみたら、ゲームをピコピコやっている。メールは半数くらいだろうか。それも急ぎとも思われぬ内容(見たわけじゃないが)。どうりで「大学生一日当たりの読書0分が4割超」と、新聞が嘆く(朝日新聞2014年4月21日付)。そうでしょうね、活字離れは「新聞」離れに通ずる。新聞が売れなくなる。その結果、今や新聞の広告が大会社ではなく、少々わけのわからない品物の宣伝や年寄り(スマホは使えない世代)目当ての旅行商品や通信販売が多い。 元に戻って、この記事、全国大学生活協同組合連合会の調査の紹介。生協も、本の売り上げが生命線。春先の入学当初の冷蔵庫などの必需品、パソコンなどを売ったら後は日ごろの本の売り上げが大事。出版社も活字離れが響いて経営も苦しかろう。活字世代は死に絶えるだけ。 さて、「大学生48%、"スマートフォン中毒"」だそうだ。そのうち、女子学生がもっとひどく深刻化しているらしい。アルバイトポータル「アルバ天国」がスマートフォンを使用している大学生1896人を対象に"大学生のスマートフォン利用状況"を調査した結果、約半数(48.3%)は、スマートフォンがなければ不安だと回答したそうだ。これが2011年の調査である。もっともこの会社?スマホでアルバイトを探すシステムなのでしょうから、当然使用者は多いはず。それを割り引いても「ちょっとね」の困った話。 だいぶ以前からだけど、スマホや携帯をいじりながら歩いている人が多い。駅で小学生がホームから落ちる事故もあった。大人も転落する。大人がそういうことばかりしているから、子供が真似する(多分、ゲームでもしていたかな)。そもそも、急ぎの調べ物があるとしても、なぜ立ち止まれないのか? 学生の最大の問題は、授業中に触っていること。何見ているのでしょう。それに教室のコンセントから充電している。見つけたら「窃盗だ!」と怒っても、懲りずにまたやる。「次回、見つけたら...

役員の仕事

国立大学が法人化して10年。 様々な変革が渦巻き続けている現在、大学現場に身を置く立場から、さほど変化を感じることのできないのが、役員(理事)の方々。 「学長のイエスマン」、「経営感覚や改革意識が希薄」などなど、いろんな言葉が相変わらず飛び交っています。やっぱり「教員あがりには大学経営は無理」なのでしょうか。 経営コンサルタントの飯塚保人さんの言葉をお借りします。国立大学でも同じです。 ◇ 役員の仕事とは一体なんだろう。 それは未知への探求をする仕事です。 役員が未知への探求をしないで、後始末ばかりしている掃除屋的仕事ではいけません。 役員が会社の将来を考えないで誰が会社の将来を考えるのですか。 役員の仕事は会社の将来の「あるべき姿」を明確にし「いま」の仕事をすることです。 今が大切なのは「あるべき姿」があるからです。 経済環境も常に変化しています。 この変化に対応するのも役員の仕事です。

今与えられた幸せに感謝する

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 ありがとう、と言える人 」(2014年06月09日) をご紹介します。 「ありがとう」は、ネガティブ思考を消す魔法の言葉です。 「お前の意見はいつも面白くないんだよ」と言われたら、「ありがとう。きみの指摘で気づかなかったことがわかったよ」。 「少しは仕事のしかたを変えたら?」と言われたら、「ありがとう。私が良くなるきっかけをくれて」… 辛辣(しんらつ)な意見を言われて自分を全否定されたように感じるときでも、「ありがとう」の気持ちで受け止めれば、何かしらプラスになるものを見つけられます。 落ち込まずに、前に進んで行けます。 「ありがとう」は、人間関係を豊かにし、人生を良い方向へと導いてくれる言葉だと思うので、僕は人から何か言われるたびに、「ありがとう、ありがとう」と心の中で言うようにしています。 雪の降る寒い時期に、「くいしん坊!万才」のロケで北陸地方のある町を訪ねたときのことです。 一人暮らしをしているおばあちゃんのお宅で、塩漬けにしたサバを使った料理を出してくれました。 雪が積もると買い物もままならないので、昔から、寒冷地の冬の食事は保存食を使ったものが多いのです。 「おばあちゃん、このサバはかなり塩がきいてますね」 「きっと体に必要なんだろうね。昔の人の知恵だと思うよ」 こういう話をしていると、日本という国がよくわかります。 しんしんと降り積もる雪の中で、春の訪れを心待ちにしながら仕事や家事に精を出し、日本を支えている人たちがいるのです。 そういう方々はとても温かくて、自分よりも人のことを思いやっています。 このおばあちゃんも、「もっと不便なところで暮らしている人もいるんだから、私なんか本当に恵まれてるんですよ」という話ばかりでした。 雪国の一人暮らしには不便なことも多いはずなのに、「ありがたい」「ありがとう」という言葉が常に出てくるのです。 もし自分が雪深い町に一人で暮らし、毎日のようにサバの塩漬けを食べていたら、まったく逆の捉え方をするだろう。 「ありがとう」なんて絶対に言えないだろう…。 僕は、自分の不遜さと弱さを改めて気付かされた思いでした。 「ありがとう」を伝えるのは、素晴らしいこと。 「ありがとう」を感じるのは、幸せなこと。...

基本を大事にする

ブログ「 今日の言葉 」から 「 5つの「あ」 」(2014年06月09日) をご紹介します。 5つの「あ」がない人は、仕事が上手くいかない。 1. 挨拶ができない 2. 「ありがとう」が言えない 3. 謝れない 4. 頭を下げられない(「お願いします」と言えない) 5. 新しいことに取り組まない。 澤田富雄(モルゲン人材開発研究所所長) どれも小学校や家庭でも指導されるようなことですが、大人になるとなかなか出来ていないものばかりではないでしょうか。 基本を大事にすることの大切さにも通じます。 これらは人としての基本。 愛されるため、可愛がられるための基本とも言えます。 こういう態度を取れるからこそ、仕事を教えてもらえる、任せてもらえるというものです。 これをチェックリストにして、毎日自分の行動を振り返るだけでも、自分の人生が変わって行くものだと思います。

孝順心

ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 一粒の豆 」(2014年06月07日) をご紹介します。 交通事故でお父さんが亡くなり、小学校三年と一年の男の子、そしてお母さんが残された。 この交通事故はどちらが被害者・加害者かの判定が難しかったが、最後には母子家庭側に加害者という決定が下されたのである。 加害者側とされた三人は家を売り払って、見知らぬ土地を転々として暮らした。 やがて落ち着いたのは農家の納屋。 親切な農家が見るに見かねて貸してくれたのである。 ムシロを敷いて、裸電球をつけ、小さなガスコンロとダンボール箱の食卓だったが、三人はとてもうれしかった。 育ち盛りの男の子二人をかかえてお母さんは、昼は学校給食の手伝い、夜は料理屋の洗い場へと、寸暇を惜しんで働いたのだが、やがて限界がやってきた。 「これ以上働けない!申しわけないけどお前たちをおいてお母さんは死にます」 こう決めたお母さんは、家事のすべてを引き受けてくれる小学校三年の長男に最後の手紙を書く。 …お兄ちゃんへ、おなべのなかに豆がいっぱい水にひたしてあります。 今夜は豆をにておかずにしてください。 豆がやわらかくなったら、おしょうゆを入れるのですよ…。 深夜家に帰ってきたお母さんの手には、多量の睡眠薬が握られていた。 足元には枕を並べて眠っている兄弟の顔が見える。 よく見ると長男の枕のそばに一通の手紙が置かれていた。 思わず手に取って開いてみると…、 …お母さん、ぼくはいっしょうけんめい豆をにました。 おしょうゆも入れました。 でも夕食のとき、弟はしょっぱくて食べられないといって、かわいそうにごはんに水をかけて食べたのです。 お母さんごめんなさい。 でもぼくを信じてください。 ぼくは本当にいっしょうけんめいにたのです。 お母さん、お願いです。 ぼくのにた豆を一つぶだけ食べてください。 そしてもう一度、豆のにかたを教えてください。 お母さん、今夜もごくろうさまでした。 お休みなさい。 さきにねます…。 長男の煮た豆を一粒一粒食べるお母さんの目から大粒の涙がとめどなく落ちた。 大声で叫びたい気持ちをおさえて、お母さんは心の底からわが子にあやまったのである。 「ああ、申しわけないことをし...

組織文化とリーダーシップの変革

国立国会図書館 調査及び立法考査局文教科学技術調査室主幹の 寺倉憲一 さんが書かれた 「 大学のガバナンス改革-知の拠点にふさわしい体制構築を目指して- 」 をご紹介します。(下線は拙者) はじめに  グローバル化、情報化が進展し、知識基盤社会の到来が語られる中、高度な知識・技能を備えた人材の育成や、人類の直面する諸課題の解決に向けた研究開発のために大学が果たす役割は、以前にも増して重要なものになっている。イノベーションを推進し、経済成長を牽引するエンジンとしても、大学に対する社会の期待は大きい。主要国では、高等教育における規模拡大、競争原理の導入、自律性拡大等の改革が進行中であるが、 大学が迅速かつ適切な意思決定により急速な環境変化に対応していくためには、ガバナンスの改革が不可欠 であることが認識されつつある。この点、我が国の大学は、少子化が進み厳しい経営環境に置かれているにもかかわらず、ガバナンスに問題があり、必ずしも機動的に改革を進められていないことが指摘されてきた。 こうした声を受けて、近年、政府の教育再生実行会議や中央教育審議会大学分科会等において大学のガバナンス改革について検討が積み重ねられ、その提言等を踏まえて、この度、 「学校教育法」(昭和22年法律第26号)及び「国立大学法人法」(平成15年法律第112号)の改正案(Ⅱ2参照)が政府から国会に提出 された。本稿では、 国政審議の参考に資するため 、大学のガバナンスをめぐる問題の現状と今回の改正案提出に至る経緯を概観した上で、主な論点を紹介する。 Ⅰ 大学のガバナンスとは何か 1 大学のガバナンスの概念  「ガバナンス(governance)」の語が高等教育について用いられる場合、高等教育のシステムと機関の組織・運営の在り方や、権限がどのように配分・行使されるか、システムと機関がどのように政府と関係するかを意味するとされる。我が国では、従来、こうした意味の大学のガバナンスを「大学管理」と呼んできた。 また、組織内外のステークホルダー(利害関係者)等の相互牽制により、執行機関の組織経営に対する規律付けを行うことを「ガバナンス」というと説明されることもあり、「ガバナンス」の要素としては、経営や執行体制を外部の眼も入れて監視・チェ...

大学経営者の役割

学校法人東邦学園愛知東邦大学理事・法人事務局長/学長補佐の 増田貴治 さんが書かれた 「理事会組織の活性化方策 」( 文部科学教育通信 No340  2014.5.26 )をご紹介します。 最高責任者の役割とは 数年前、筆者が勤める東邦学園の高校組合との賃上げ、ボーナス交渉で、理事長の発した言葉が忘れられない。「学校に乗ってくる車は、最高でもクラウンか小さなレクサスまで。BMWましてベンツなんか論外だ」。 リーマンショック(2008年9月)で一挙に落ち込んだ民間給与に対し、組合の要求があまりにかけ離れていたから、理事長は憤慨していた。その非常識さを、車を引き合いに強くたしなめたのだ。有名進学校と言われる高校や大きな大学の職員駐車場に高級外車が並ぶ光景を批判していた。ちなみに理事長のマイカーはプリウスで、校務でも自ら運転して行き来する。 筆者の学園は、創設者の一族が理事長職をほぼ継承してきた。八代目の現理事長は民間企業で30年以上のキャリアを積んで、2008年4月理事長に就任、今年で7年目を迎える。教職員には常に、持つべき"視点"と学園の"価値観"を説いている。その一つが「社会性」である。私立は自律性の下、独自に運営されるべきだが、同時に社会の営みを意識する健全性が求められる、と。創設者が掲げた建学の精神や校訓、使命感を語り、構成員への浸透を図っている。 2004年の私立学校法改正から10年。学校法人のガバナンスはどこまで強化されただろうか。理事会の意思形成に当たり、経営の健全性を保ちつつ、判断の妥当性をチェックする仕組みはつくられているか、さらに方針や決定事項が適切に運営・実現されているか。 新たな私立学校法で理事、監事、評議員制度や財務情報公開などが整備され、多くの学校法人は意思決定や合意形成のシステムを見直して、理事長を中心とするマネジメントと監査機能の強化を一定確立したと思われる。 組織を健全に取り仕切るガバナンスカ しかし、極めて不適切な問題も起きた。文部科学省が2013年3月に解散命令を出した堀越学園(群馬県高崎市)ほ、数年前から経営が悪化しながら、指導に従わずに学生募集を続け、在学生の転学先が確保される前に発令が決まる事態となった。 これにより所轄庁が社会から不...

国立大学の多様化

教育評論家の 梨戸茂史 さんが書かれた「 国立大学の使命(ミッション) 」( 文部科学教育通信 No340  2014.5.25 )をご紹介します。 教育は「百年の計」などと言われたのは、大昔のことのように思える。いまやほとんど毎年、「改革」と称する見直しと節約の日々。最近の大学改革の目玉?は、ミッションの再定義。大騒ぎで出来上がった各大学のミッションを見てみたが、おおむね従来型の目標などが羅列されている。 文科省が、さらなる国立大の機能強化に取り組むとして、「ミッションの再定義」を国立大学に行わせ、各大学の有する"強みや特色、社会的役割"がその制定過程で明らかになることを期待した(みたいだ)。 それは、「国立大学の機能の強化を図るため、各大学は、人材や施設・スペースの再配分や教育研究組織の再編成、学内予算の戦略的・重点的配分等を通じた学内資源配分の最適化に、学長のリーダーシップの下で主体的に取り組む」こと(を期待する)。そして、「学内資源配分の最適化や大学の枠を越えた連携・機能強化を含む先駆的な改革を進める国立大学を、予算の重点配分を通じて支援」する(つもりだ)。 これには反対論も無きにしも非ず。本来、法人化したときに、あとは「自由におやんなさい」として、大学に裁量権を与えたはずだが、今更『再定義』を指示して、各国立大学の「強みや特色」(実は、弱いところ(大学)はなくしてしまえ)と「社会的役割」(地方国立大学はその地域のために研究・教育を行っていればよい)を明確化して、そこだけに資源=予算をあげましょう、という話ではないか、という意見だ。 ついでに打ち出したのは「学長が全学的な改革にリーダーシップを発揮できる体制が確立できるように、教授会の役割の明確化」だ。何を隠そう、教授会は学部自治の中心。それがウンと言わなければすべて物事が進まない仕掛け。大学全体で何か進めようとすると、「そもそもの哲学論、あり方の当否、先の見通しなどなど」通常は神ならぬ学長の身では分からぬことだらけ。おまけにこの教授会、だいたい出席率が悪いことが多く、特定の一言居士に牛耳られていつもややこしい神学論争。「まともに取り合っていられぬわい」と思う理系の学長ならば、相手にしたくないではないか…かくて教授会権限は縮小?の憂き目となる(だ...

財政が求める大学改革

平成27年度予算に係る骨太方針の策定に向けた 経済財政諮問会議 の議論が山場を迎えています。 今回は、大学関係の議論の様子を会議の議事概要から抜粋してご紹介します。 平成 26年第9回経済財政諮問会議 日時:平成 26 年5月 27 日(火) 議事:歳出分野の重点化・効率化(教育)・教育再生について など 資料: 〇  時代の変化に対応した教育のあり方について(有識者議員提出資料) 〇   時代の変化に対応した教育のあり方について(説明資料)(有識者議員提出資料)  〇  2020年教育再生を通じた日本再生の実現に向けて(下村臨時議員提出資料) 〇  財政健全化に向けた基本的考え方(麻生議員提出資料)  など 議事要旨( 全文はこちら ) 歳出分野の重点化・効率化(教育)・教育再生について (甘利議員) まず、教育分野の重点化・効率化及び教育再生について、議論を行う。本日は、下村文部科学大臣の代理として、西川文部科学副大臣に参加いただいている。資料については、簡潔にポイントをご説明いただき、議論をしっかりと進めたい。 まず、小林議員からポイントをご説明いただく。 (小林議員-三菱ケミカルホールディングス代表取締役社長) 資料1-2をご覧いただきたい。 我が国がグローバル競争を乗り越え、イノベーションによって持続的成長を実現するには、人財が大いなるポイントであり、教育のあり方を抜本的に見直し、予算を効率的に用いるべきということは言を待たない。厳しい財政制約のもと、財源確保がなされないまま予算を増やす環境にはなく、文教関係についても「経済再生」と「財政健全化」の両立に向け、計画的な取組を進めるべき。教育の質を高める観点に立ち、時代の変化に対応した教育のあり方について、意見を申し上げたい。 (略)  大学改革について。少子化で学生数が減少する中にあっても、大学はここ10年で130校以上も増え、大学進学率は5割を超えている。こうした状況にもかかわらず、大学経営は依然として学生数に依存しており、教育の質の低下も懸念される。   日本の大学生には、1週間全く勉強しない者が10人に1人もおり、極めて考えさせられ...

火急の課題とやりがい

「介護の人出不足 魅力ある仕事にしよう」(2014年06月01日毎日新聞社説) をご紹介します。 飲食業や建設業を中心に人手不足が目立っているが、とりわけ深刻なのが介護や保育だ。非正規雇用の人を正社員にして労働力の確保を図る会社が増え、賃金アップの波が広がっていることは歓迎したいが、もともと賃金の低い介護や保育にとっては格差がさらに広がり、人手不足に追い打ちをかけているのだ。 安倍政権は女性の活用を打ち出している。社会で働く女性が増えると家庭内で担ってきた介護や保育を代替するサービスはますます必要になる。人口の多い団塊世代が本格的に介護を必要とする時期も迫っており、介護や保育の人材確保は火急の課題なのである。 今国会では議員立法で「介護・障害福祉従事者の人材確保特措法案」が提出され、全額国庫負担で平均1人月約1万円の賃上げを図ることになっている。介護など福祉現場で働く人の賃金の原資は介護保険や税金であり、賃上げは国民負担が増すということでもある。公費だけでなく、介護施設などを経営する社会福祉法人の自助努力も求めなくてはなるまい。小さなNPOや株式会社は同じ内容の福祉事業をしても税金が掛かるが、社会福祉法人は非課税で各種助成金でも優遇されている。多額の内部留保がある法人はもっと職員の賃上げに回すべきだ。 高齢者や障害者の施設では、認知症や行動障害の人の利用を断り、精神科病院へ安易に回すことがよくある。働く職員の賃上げとともに専門性も高め、支援の難しい利用者に対しても生活の質を高められるサービスを提供できるようにしてほしい。そうでなければ利用者や一般国民は納得できないだろう。 介護現場の仕事といっても車両による送迎や清掃、洗濯など比較的単純な作業から、支援計画の作成や2次障害の改善など高い専門性を要する仕事まである。一律の賃上げよりも、業務の難易度やスキルの高さを賃上げに反映させることも考慮に値する。終身雇用よりも、資格や実績に合った職場へ転職することが比較的一般化している業種でもある。個々の職員のやる気を高める賃金体系を目指すべきである。 やりがいは金銭だけではない。士気が低く劣悪な介護がまかり通っている施設では、職員は定着しない。介護や保育は本来、クリエーティブ(創造的)な仕事だ。最近は大企業や国家公務員より福祉の仕事を目指す大学生も珍しく...

認知症を考える

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NHK解説委員室ブログ から 「 認知症を正しく理解しよう 」(2014年5月28日) をご紹介します。 敦賀温泉病院院長 玉井 顯   認知症は脳の病気です。どうして真っ先に脳の病気という事を強調するかと言いますと、これまで認知症に対する見方はマイナスイメージを持たれてきたという歴史があるからです。 そして、最近では、徘徊による行方不明者や踏切事故など認知症に関連する報道もマスメディアで取り上げられるようになりました。メディアで取り上げられるようになり、多くの方に理解していただける疾患になってきたことは認知症に関わる一人として嬉しく思います。 しかし、残念なことにそれらの報道の一部は認知症という病気に対する恐怖を生みかねない報道もあるのが現状です。私は30年以上認知症と向き合ってきました。認知症には様々な病気があり、たとえ同じ病気であっても、その方の性格や職業・家族要因や地域性などが異なります。つまり、認知症はその方の歩まれてきたunique oneその方特有の疾患だといえるでしょう。ここで私が強調したいことは、認知症を肯定的に考えることの重要性です。 残念なことに、これまで認知症は痴呆などと呼ばれ、診断されることは恥ずかしいこと、家族としても周囲に知られたくない病気として理解されてきました。近年、高齢化や権利擁護の観点から、「認知症」という名前に変わり、認知症に関する見方も10年前と比較して随分肯定的になってきました。 そこで、私は今回、認知症に対する肯定的な立場から、認知症の未来の展望についてお話していきたいと思います。 認知症は、「誰でもかかりうる疾患」であり、特別な病気ではありません。社会に認知症という疾患について正しく知ってもらうこと、認知症に対するポジティブな啓発がなされれば、認知症になっても安心して暮らせる街ができ、認知症のことを理解してくれる地域住民が増え、認知症を恐れることなく理解してくれる家族がいて、さらに言えば自分が認知症になることを想定した人生の計画作りの可能性もこのような肯定的な捉え方から見えてくる大切なことだと考えています。 では、具体的にどのようにすれば認知症になっても安心して過ごせる社会の構築ができるのでしょうか。まずは、啓発活動を通じて認知症に対する必要な情報や公開講座の実施といった心理教育などを...

居場所の違いを理解する

愛読しているブログの一つ「 外から見る日本、見られる日本人 」から 「 世界の中のニッポン、目線の合わせ方 」(2014年05月28日) をご紹介します。 5月23日の読売新聞の一面は「タイ軍クーデター」「ウルムチ爆発死者31人」「北、韓国側を砲撃」というアジア外交の記事が紙面を占拠しています。たまたまそういうニュースが重なったとしても今の日本はグローバル化の中で世界情勢と強いかかわりを持ち続けています。 安倍首相は外国人労働者への門戸緩和、外国人移民の検討、外国人旅行者をオリンピックまでに3000万人へなど外国人が来る日本をイメージしています。それは旅行のみならず日本の生活を通じて日本人との融合が前提になっていきます。 東京神田。金曜日の夕方、人々が街に繰り出す時間、立ち飲み屋に群がるのは外国人サラリーマン達。明らかに近辺で勤めていると思われる白人男性数名が立ち飲み屋で談義している姿をみて全く違和感を感じないのは外国ではパーティーなどが立ち飲みだからでしょう。以前行った新宿の外国人でごった返すビアバーでもいす席があるものの立ち飲みで人が溢れていました。 一方、人手不足に悩む日本の飲食業界は究極の機械化。居酒屋ではメニューは全部手元の端末から自分で注文。原則、店員は注文を聞きに回ってこないからこの端末で注文しない限りいつまでたってもビールにありつくことは出来ません。多分ですが、これは外国人にとって理解しがたいことです。なぜならばレストランとは食事の品質、店の雰囲気、サービスの三拍子がそろってこそワークします。だからどれだけうまいものを食べさせるとしても例えばサーバーがワインの種類さえ分からなければお店は失格になるのです。先日入った居酒屋で「日本酒はどんなのがありますか?」と聞いたところ思い出すように言った銘柄は全部焼酎。学生アルバイトさんにとって日本酒や焼酎の銘柄は分からなくてもサワーとかハイボールならわかるということでしょうか? 冒頭のアジアのニュースについても一般的な日本人ならば見出しだけ見て内容を読まず、そんなことがあるのか、と遠い外国の縁のない話と思っている人が大半でしょう。それよりもスポーツの結果とか奇妙な殺人事件や社会問題満載の社会面の記事に精通して語ってしまうということでしょうか。 確かに日本から一歩も...

リスクをとって新しいことに挑戦する

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 面倒くさいという言葉 」(2014年5月25日) をご紹介します。 一つの世界の終わりは、新しい世界の始まりでしかありません。 それにもかかわらず、多くの大人は一つの時代が終わるのを極端に怖がります。 その、先が見えないという不安は、いつしか現状がなくなることに対する恐れとなります。 子供は「わからない」「難しい」という言葉をよく使います。 今の世の中、「分からない」「難しい」と言えば、誰もが丁寧に教えてくれます。 便利な言葉です。 しかし、教える側が与えすぎると、子供は自分で考える能力をなくします。 そのうち子供たちは、本当は違う言葉で表現すべきときにも「分からない」という言葉を使うようになります。 本来ならば「面倒くさい」と言うべきときに「分からない」を使うようになっているのです。 他にも、「やる気がしなかった」の代わりに「分からない」。 「途中であきらめました」の代わりに、「分かりませんでした」を使うのです。 そういった言動の習慣が身についたまま、大人になります。 すると、不況で世の中が変わりそうだ、自分の勤めている会社がなくなりそうだ、となったときに、「新しい社会、職場、仕事、生活に慣れるのが面倒くさい」「挑戦するのが怖い」という言葉の代わりに「どうなるか分からない」と言ってしまうのです。 世の中が変わりそうなときほど、自分の感情をしっかり見つめ直す必要があります。 変わるのが面倒なだけで、新しい時代の到来を恐れて動けなくなるなんてもったいないことです。 慣れ親しんだ習慣を捨てて、新しい習慣を身につける覚悟がある人にとっては、ひとつの時代の終焉は恐れることではなく、むしろたくさんのチャンスにあふれた、歓迎すべきことなのですから。 ◇ 「面倒くさい」という言葉の先にあることは、「挑戦しない」ということ。 「面倒くさい」と言った途端、すべての思考は停止する。 自分の頭で考えようとしなくなった人は、まわりの人やマスコミなどの論調に流されるだけだ。 「あの人が言ったから」「みんながそう言っている」「テレビやマスコミで言っていた」、と。 リスクをとって新しいことに挑戦する人は、自分でとことん考える。 そして、それがたとえ失敗に終わ...