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1月, 2012の投稿を表示しています

国立大学の学長に求められる力量

最近、東京大学の「秋入学」が話題になっています。全国の国公私立大学はもとより、政財界も巻き込んだ国民的な議論に発展しそうな様相です。賛否両論あるようですが、グローバル化社会に対応したこの国の在り様を考える絶好の機会になっているという点では大きな意義があり、歓迎すべきことではないでしょうか。 一連の報道によって、私たちは、東京大学という我が国を代表する高等教育機関の考えや行動がもたらす社会への影響、あるいは存在感の大きさを改めて感じることになりましたが、私は、最近の東京大学の動向に関して、「秋入学」以外に気になったことがありました。「東京大学の理事に文部科学省の高等教育局長が着任したこと」です。東京大学には、従来から、理事、あるいは事務局長として、文部科学省の審議官、課長級の官僚が出向していましたが、今回は、高等教育行政の実質的な最高責任者である高等教育局長という大物だったという点で、注目を集めているようです。 (関連記事) 文科省局長の東大出向、学長「悪いと思わず」(2012年1月26日 日本経済新聞) 文部科学省が大学政策の実務の責任者である高等教育局長を東京大の理事に出向させる異例の人事を行ったことについて、浜田純一学長は26日の報道各社との懇談会で、「文科省からの出向が悪いとは思わない。基本は学長が理事を使いこなす力を持ち、言うことを聞かないなら辞めさせるというスタンスを取れるかが大事だ」と述べた。 文科省からの出向人事は、自主性向上や民間的な経営手法を取り入れるとした国立大法人化の狙いを損なうとの指摘がある。浜田学長は「高等教育に十分な視野を持ち、東大がグローバルな展開をしていける人をという希望を出し、ふさわしい人物に来てもらった」と経緯を説明した。 (関連記事) 国際化への地ならし、学内改革始動 東大秋入学の行方-山上浩二郎の大学取れたて便(抜粋)(2012年1月28日 朝日新聞) 前回のこのコラムでは「法人化で総長の権限が強くなったことが秋入学を提案できた背景にある」と指摘したが、今回の懇談会でもその見方を裏づける発言があった。1月7日付で文部科学省高等教育局長から東大理事(人事労務など担当)に出向、就任した磯田文雄氏の人事について、官僚の天下り人事だとして「おかしいのではないか。ねらいは」という質問があったことに対し、浜田総長...

教育の現場で金儲けはおかしい(土光敏夫)

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私立高校の校長が別荘を7つも持っていたり、補助金を不正に受け取り私服を肥やしているような教育者が、立派な学生になれ、と言ったところで、誰が聞くものか。説得力がない。教育の現場が、金儲けの場になっているのはおかしい。 土光敏夫 21世紀への遺産―人生・人間・政治・会社・未来 志村嘉一郎 文藝春秋 発売日:1988-01 ブクログでレビューを見る»

人事の原則(ドラッカー)

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非営利組織においても、人事は究極にしておそらくは唯一の管理手段である。組織の成果を定めるのは人である。組織は自らの人材を超えて仕事をすることはできない。しかも他の組織よりも優れた人材をリクルートし、とどまってもらうことは容易ではない。弦楽四重奏団のような極小の組織は別としても、通常は平均的な人材しかリクルートできず、またとどまってもらえないことを覚悟しておいたほうがよい。 したがって、すでにいる人材からより多くを引き出すことに全力を尽くさなければならない。人的資源からどれだけ引き出せるかによって組織の成果が決定する。それは、誰を採用し、誰を解雇し、誰を異動させ、誰を昇進させるかという人事によって決まる。 それら人事の質が、組織が真剣にマネジメントされるか否かを決める。掲げるミッション、価値、目的が口先ではなく、本物で意味のあるものであるか否かを決める。 優れた人事の原則はすでに明らかである。問題はそれらの原則を守る者がほとんどいないことにある。人を見分ける力に自信のある人ほど、間違った人事を行う。人を見分けるなどは限りある身の人間に与えられた力ではない。百発百中に近い人事を行う人は単純な前提に従っている。人を見分ける力などありえようはずがないとの前提である。彼らは人物診断のプロセスを忠実に踏んでいく。 医療教育者は優れた診断力をもつ者こそが問題だという。自らの目に頼ることなく、診断という忍耐を要するプロセスを踏むことを身につける必要がある。さもなくば患者を殺す。人事も同じである。自らの知識や眼力に頼ることなく、退屈なプロセスを実直に踏んでいくことを学ばなければならない。 人事は第一に、なされるべき仕事からスタートする。 第二に、候補者を複数用意する。通常われわれは誰が最も適任かは自明と思う。だが感覚で決めてはならない。複数の候補者を観察することによって、親しさや先入観で目を曇らせることを防がなければならない。 第三に、成果の実績を見る。性格を見るのではない。「人とうまくやっていけるか」「イニシアチブをとれるか」などのくだらないことで評価してはならない。それらのことは、人を描写するには役立つだろうが、いかなる成果をあげるかは教えない。正しい問いは、「最近の三つの仕事をどうこなしたか。やり遂げたか」である。 第四に、強みを見なければならな...

独法改革の断行を

政府は、去る1月20日、「独立行政法人の制度及び組織の見直しの基本方針」を閣議決定しました。 今回の改革では、残念ながら、旧文部省と旧科学技術庁の各所管法人の組織統合は実現しませんでした。類似の事務事業をやっているところがあるんですけどね。単なる数減らしではなく、もっと突っ込んでやってほしかったですね。省益追求、縦割組織の弊害は今後とも続いていくことでしょう。ですが、少しづつでも、天下り、無意味な政策、税金の無駄遣いが減ってほしいものです。 それと、今回の閣議決定では、「この改革の実施に必要な措置については、平成26年4月に新たな法人制度及び組織に移行することを目指して講じるものとする。」と、なんだかわけのわからない役人言葉が使われています。いつものように時間の経過とともに、うやむやにするのではなく、必ず「実行」してもらいたいし、厳格なチエックも行ってほしいものです。 閣議決定(各独立行政法人について講ずべき措置)の中から、文部科学省所管の組織について引用してご紹介します。 国立特別支援教育総合研究所 成果目標達成法人 *1 とする。 大学入試センター、日本学生支援機構、大学評価・学位授与機構及び国立大学財務・経営センター 大学入試センター及び大学評価・学位授与機構については統合し、大学連携型 *2 の成果目標達成法人とする。 国立大学財務・経営センターについては廃止し、その業務のうち当面継続されるものについては、統合後の法人に移管する。 統合後の法人については、学位授与に係る手数料の引上げ等により、自己収入比率を高め、将来的に運営費交付金に頼らない構造での運営を目指す。 日本学生支援機構については、その機能を整理した上で、統合後の法人への統合、事務・事業の他の主体への一部移管等、その具体的な在り方について平成24年夏までに結論を得る。なお、売却を進めている国際交流会館等のうち、やむを得ない事情により売却が困難なものについては、廃止の進め方について現行中期目標期間終了時までに結論を得る。 国立青少年教育振興機構 成果目標達成法人とする。 国立青少年交流の家等の自治体・民間への移管等に向けた取組や稼働率の低い施設の廃止に向けた検討を積極的に進め、その上で、将来的な独立採算制への移行、他法人との統合等を検討する。 国立女性...

お金は使うべきところに使う(土光敏夫)

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人それぞれに生き方があるのだし、それを押しつける気はないけれど、おカネは有効に使うことですよ。ネオンの街に消えてしまうのじゃもったいない。贅沢な生活になれてしまうと、だいいち健康によくない。 [新装版]土光敏夫 信念の言葉 PHP研究所 PHP研究所 発売日:2009-09-17 ブクログでレビューを見る»

大学改革の方向性

伝聞ですが、去る1月10日(火)に開催された国立大学協会主催の「臨時学長等懇談会」で、文部科学省の幹部は、こぞって「大学改革が今ほど社会的文脈の中で問われていることはなく期待と関心が強いこと、目に見える形で、スピード感をもって改革を進めていく必要があること、そして、国立大学こそがトップを切って走っている姿を見せることが重要であること」を力説したようです。今年は、本腰を入れて「大学改革の加速化」に邁進する必要がありそうです。 さて、昨年末のことになりますが、あるIR関係のセミナーで、文部科学省高等教育局政策室長の榎本剛さんのお話を聴く機会がありました。個人的な見解を含め、国の教育政策の動向をとてもわかりやすく説明されました。配付された資料の一部をご紹介します。 大学改革の座標軸 本日は、議論を喚起するために、私見を述べたいと思います。 人々が大学で学ぶ理由はいろいろあると思うのですが、年齢・国籍・性別に関わらずさまざまな人にとって、大学が、知識・技能を修得し、そうした知識・技能を活用できるようになり、さらに、新しい知を生み出す創造性を身に付ける機会となることが重要です。 大学は極めて多様です。それぞれの大学が、研究者養成、幅広い分野の職業人の養成、地域の様々な活動に貢献できる市民の育成などに取り組み、それが社会全体として多様な人々が学びの機会につながることが求められます。(→本年1月の大学分科会の審議まとめ) 各大学では、学生や社会のニーズを踏まえながら、様々な改革が進んでいます。(→これまでの改革の進展例) その一方で、「大学改革が進んでいない」または「進んでいるように見えない」との指摘は強いです。(→仕分けの論点と方向性) なぜなのでしょうか。 ここで、すべての論点をあげることばできませんが、大学における教育の課題について、次で、いくつか考えてみたいと思います。 なお、現在の大学分科会の議論も、こうしたことを焦点化しようとしています。その際、大学が、一人ひとりの学生の社会的・職業的自立にどのように貢献できるのか、また、社会との関わりの中で、その公共的な役割から導かれる役割をどう果たすのかが課題になると思っています。 1)平成20年の「学士課程答申」では、「3つの方針」(学位授与←カリキュラム←学生受入れ)を各大学が定めることが提起されました。この4月からの「教育情...

成果に責任をもつ(ドラッカー)

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大義を奉ずる者からなる非営利組織には、本書においてマックス・ドプリーがいっている課題が常に存在する。組織の中の人に成果をあげてもらい、成長してもらうことである。こうして自己実現が行われ、組織としての成果が実現される。それが基本である。 非営利組織にとって重要なことは「それは得意とするものではない。われわれが行ったのでは害をなすだけである。ニーズがあるからというだけで手掛けるわけにはいかない。われわれとしては、われわれの強み、ミッション、価値観をマッチさせなければならない」といえることである。 よき意図、政策、意思決定はすべて行動に転換させなければならない。「これがわれわれのミッションである」とのミッション・ステートメントだけでは不十分である。「これがわれわれのやり方である。われわれの期限である。われわれの責任者である。われわれが責任をもってやることである」と続けなければならない。 プランだけでは仕事は行われない。方針だけでも行われない。仕事として行って初めて行われる。生身の人間が行って初めて行われる。期限を切られた者が行って初めて行われる。トレーニングを受けた者が行って初めて行われる。評価される者によって行われて、初めて行われる。成果に責任をもつ者が行って初めて行われる。 非営利組織に働くあらゆる者が何度も何度も繰り返すべき究極の問いは、「自分はいかなる成果について責任をもつべきか、この組織はいかなる成果について責任をもつべきか、自分とこの組織は何をもって憶えられたいか」である。 ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2007-01-27 ブクログでレビューを見る»

教員が変わらない限り

この日記には何度も登場する、吉武博通(筑波大学大学研究センター長、ビジネスサイエンス系教授)さんが書かれた論考「教員の力を大学の競争力にどう結びつけるか」(リクルート カレッジマネジメント 172 Jan.-Feb.2012)を引用しご紹介します。 教育研究の質を支える大学教員の意識・力量 あらゆる組織に共通することだが、組織が環境変化の中で社会的存在価値を高めつつ、存続・成長していくためには、戦略、構造(組織構造・制度・システム)、人材の3つの要素が整い、それらが有機的に組み合わされて、全体として機能することが不可欠である。 大学の場合も同様であるが、大学改革に関する論考を見る限り、人材について職員のあり方に焦点があてられることはあっても、教員、とりわけその意識と力量を正面から論じたものは少ない。大学の研究者にとってみれば自らもその一人である教員を客観的に論じることへの躊躇もあるだろうし、学問分野間での違いも大きい。 その一方で、「教員がかわらない限り大学は良くならない」と考える大学関係者は多く、社会の側にも「大学教員の意識は旧態依然」、「教員がますます狭い専門領域に閉じこもり、社会に役立つ教育ができていない」とのイメージが形成されているように思われる。 これらの認識の当否を検証することは困難だが、当事者であるはずの大学関係者自身が慨嘆するだけでは何の解決にも繋がらないし、社会に一つのイメージが定着しているならば、実績を示す中で、それを払拭していかなければならない。 教育研究の質を左右する最も重要な要素が大学教員の意識と力量であることは明らかであり、それらが如何なるレベルにあるかを点検し、その維持・向上のために不断の努力を行っていくことは学生と社会に対する大学の責務である。 大学・学部ごとに教員に求める要件を明確化 「教員がかわらない限り」との大学関係者の認識は、今いる教員自身が変わることと、教員が入れ替わることのいずれかを意味するはずである。前者であれば教員のどこが変わらなければならないのかをはっきりさせ、それを促す施策を具体的に展開しなければならない。また、後者であれば、定年や転出で教員が入れ替わることを見通しつつ、長期的・計画的に教員の底上げを図っていかなければならない。 いずれにしても大学改革が進まないことの原因の一つが大学教員の意識と力量と考えるならば、...

日に新たに、日々に新たなり(土光敏夫)

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一つだけ座右の銘をあげろといわれれば、躊躇なくこのことばをあげたい。中国・商時代の湯王が言い出した言葉で、「今日なら今日という日は、天地開闢以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべきである」という意味。湯王は、これを顔を洗う盤に彫り付け、毎朝、自戒したという。 神は万人に公平に一日24時間を与え給もうた。われわれは、明日の時間を今使うことはできないし、昨日の時間を今とりもどすすべもない。ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである。毎日の24時間をどう使っていくか。 私は一日の決算は一日にやることを心がけている。うまくゆくこともあるが、しくじることもある。しくじれば、その日のうちに始末する。反省するということだ。今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない。昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない。このことを積極的に言い表したのが「日新」だ。昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える。今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす。これは、私にとって、最大最良の健康法になっているかもしれない。(「私の履歴書」、「経営の行動指針」) 私の履歴書 土光敏夫 日本経済新聞社 発売日:1983-01 ブクログでレビューを見る»

成人の日に考える 前へ、明日へ、未来へ

2012年1月9日(成人の日)付、 東京新聞社説 から引用 時代が二つに分かたれました。震災前と震災後。新成人の皆さんは、震災後の希望を担う初めての大人たち。だから、特別におめでとうございます。 「実感がわきません」。福島県いわき市の避難先のアパートで先々月、二十歳の誕生日を祝うことになってしまった長峰真実さんの本音です。 自宅は福島第一原発にほど近い浪江町の請戸地区。潮騒の音に親しみ、七キロ先にそびえる原発の夜の明かりを「きれい」と思ったこともありました。 振り袖に思いを託し その海があの日突然荒れ狂い、集落が丸ごと流されてしまうとは。放射能という見えない壁が、生まれ育ったまちの風景や、お世話になった親しい人を、こんなにも厳しく隔ててしまうとは。 勤め先のコンビニエンスストアから同僚の車で逃れ、翌日、高台の避難所でようやく両親や弟たちに会えたときのことを思うと、今でも涙が止まりません。 被災後、二本松市の体育館で二十日間、新潟県南魚沼市の旅館で四カ月近くを過ごし、いわき市の借り上げ住宅に移ったのが七月末。帰る土地があるのに帰れない。体の中で余震が続いているように、なかなか心が定まりません。 そんな真実さんが先月、成人式の振り袖をインターネットで予約しました。赤地の裾に花を散らした古典柄。浪江町役場の仮庁舎がある二本松市で、昨日、ふるさとの成人式が開かれました。ちりぢりになった旧友たちと、あらためて無事を喜び合いました。再会のための晴れ着です。 大人になって何をすべきか、自分に何ができるのか、未来はかすんで見えません。でも震災の次の年、この新しい年に成人の日を迎えることが、何やら特別な巡り合わせに思えてなりません。真実さんは、決めました。 「成人の日を区切りにし、一歩、前に踏み出します」 自動車の運転免許を取得して、就活を始めよう。幼いころの夢だったパティシエにも挑んでみよう。今日は、自分のための自分の中の区切りの日。自分に向き合い、自分で何かを決めてみる。成人の日とは本来、そういうものなのかもしれません。 失った大きな家は十年前、建築業三代目の父、勝さん(53)が自ら手がけた家でした。 「それなら、おれももう一度、もっとすごい家を建ててやる」 家族にとっても、特別な日になりそうですが。 自分自身が動かねば 宮城県気仙沼市の...