2012年1月10日火曜日

日に新たに、日々に新たなり(土光敏夫)

一つだけ座右の銘をあげろといわれれば、躊躇なくこのことばをあげたい。中国・商時代の湯王が言い出した言葉で、「今日なら今日という日は、天地開闢以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべきである」という意味。湯王は、これを顔を洗う盤に彫り付け、毎朝、自戒したという。

神は万人に公平に一日24時間を与え給もうた。われわれは、明日の時間を今使うことはできないし、昨日の時間を今とりもどすすべもない。ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである。毎日の24時間をどう使っていくか。

私は一日の決算は一日にやることを心がけている。うまくゆくこともあるが、しくじることもある。しくじれば、その日のうちに始末する。反省するということだ。今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない。昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない。このことを積極的に言い表したのが「日新」だ。昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える。今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす。これは、私にとって、最大最良の健康法になっているかもしれない。(「私の履歴書」、「経営の行動指針」)


日本経済新聞社
発売日:1983-01