2012年1月25日水曜日

人事の原則(ドラッカー)

非営利組織においても、人事は究極にしておそらくは唯一の管理手段である。組織の成果を定めるのは人である。組織は自らの人材を超えて仕事をすることはできない。しかも他の組織よりも優れた人材をリクルートし、とどまってもらうことは容易ではない。弦楽四重奏団のような極小の組織は別としても、通常は平均的な人材しかリクルートできず、またとどまってもらえないことを覚悟しておいたほうがよい。

したがって、すでにいる人材からより多くを引き出すことに全力を尽くさなければならない。人的資源からどれだけ引き出せるかによって組織の成果が決定する。それは、誰を採用し、誰を解雇し、誰を異動させ、誰を昇進させるかという人事によって決まる。

それら人事の質が、組織が真剣にマネジメントされるか否かを決める。掲げるミッション、価値、目的が口先ではなく、本物で意味のあるものであるか否かを決める。

優れた人事の原則はすでに明らかである。問題はそれらの原則を守る者がほとんどいないことにある。人を見分ける力に自信のある人ほど、間違った人事を行う。人を見分けるなどは限りある身の人間に与えられた力ではない。百発百中に近い人事を行う人は単純な前提に従っている。人を見分ける力などありえようはずがないとの前提である。彼らは人物診断のプロセスを忠実に踏んでいく。

医療教育者は優れた診断力をもつ者こそが問題だという。自らの目に頼ることなく、診断という忍耐を要するプロセスを踏むことを身につける必要がある。さもなくば患者を殺す。人事も同じである。自らの知識や眼力に頼ることなく、退屈なプロセスを実直に踏んでいくことを学ばなければならない。

人事は第一に、なされるべき仕事からスタートする。

第二に、候補者を複数用意する。通常われわれは誰が最も適任かは自明と思う。だが感覚で決めてはならない。複数の候補者を観察することによって、親しさや先入観で目を曇らせることを防がなければならない。

第三に、成果の実績を見る。性格を見るのではない。「人とうまくやっていけるか」「イニシアチブをとれるか」などのくだらないことで評価してはならない。それらのことは、人を描写するには役立つだろうが、いかなる成果をあげるかは教えない。正しい問いは、「最近の三つの仕事をどうこなしたか。やり遂げたか」である。

第四に、強みを見なければならない。「最近の三つの仕事で、何ができるかを示したか」を見る。

ここでマリー・アンが適任と判断したら、第五のステップとして、彼女と働いたことのある者二、三人と会う。マリー・アンを手放すのは困るといわれたら、彼女に決めてよい。戻さないでもよいといわれたら最初からやり直さなければならない。

人を選んだからといって、人事のプロセスが終わったわけではない。三か月後に二幕目がある。マリー・アンを呼び、「三か月経った。これから何をやるつもりか書き出してください」という。彼女が何を書き出すかによって人事が正しかったかどうかがわかる。