沖縄人の生存権
沖縄国際平和研究所理事長の 大田昌秀 さんが書かれた論考 「 沖縄の今 基地問題と独立論 」(2013年6月21日NHK解説委員室ログ) をご紹介します。 ◇ 昨年は沖縄が日本に復帰して40年目を迎えました。そのため昨年から今年にかけて沖縄では基地問題を中心にあらためて沖縄の問題が議論になっています。それとともにあらゆる意味で、ことしは沖縄の将来にとって最悪の年になるのでは、との懸念が強まっています。 そのような背景を受けて現在、沖縄の人々は、二つの疑問に取りつかれています。一つは、「日本への復帰とは何だったのか」という疑問です。もう一つは、「いったい日本にとって沖縄とは何なのか」という問い返しです。 最初の疑問は、沖縄の人々は、戦後27年間、米軍の軍政下にあって、日本国憲法の適用から除外されていました。そのため基本的人権はもちろん、他のもろもろの、当然憲法によって保障されるべき権利さえ享受できませんでした。憲法が適用されなければ、人間として人間らしく生きることは不可能となります。そのため沖縄の人々は、あらゆる困難をひとつひとつ克服して、日本国憲法に規定されている内実を自らの手で勝ち取ってきました。その過程で、「平和憲法の下へ帰る」をスローガンに掲げ、復帰運動に全精力を傾けてきました。ところが1972年5月15日に復帰が実現すると、それは平和憲法の下に帰されたのではなく、逆に日米安保条約の下に帰されたのです。つまり、沖縄の人々が切実に望んだ復帰の内実とはあまりにもかけ離れ、軍事最優先の復帰となってしまったのです。 日本政府にとって沖縄の復帰は、たんに戦争で奪われた領土を取り返したという意味しかなく、沖縄の人々の平和的生存権といったものは、まるで考慮されなかったのです。 そのような背景からあらためて「復帰とは何だったのか」が問いかえされているのです。 二番目の「いったい日本にとって沖縄とは何なのか」が問われるようになったのは、次のような理由からです。 さる沖縄戦において、県都那覇市に隣接する小禄飛行場地区の守備にあたっていた旧日本海軍の沖縄方面根拠地隊司令官、大田実少将は、昭和20年6月13日に自決する直前に、官軍次官あてに電報を送って、「県知事に頼まれたわけではないけれども、県にはもはや通信施設もないので、知事に代わって報告します」...