2013年6月18日火曜日

月に一度だけのぜいたく

ブログ「いい話の広場」から、「第750号ほろほろ通信『おすし屋さんの思い出』志賀内泰弘」をご紹介します。



40前の出来事。名古屋市名東区の横井和子さん(77)は、ご主人を亡くした。勤務先で倒れ急死だった。

当時7歳の長男と9歳の長女を抱えて途方に暮れた。

病院の厨房に職を見つけ、働くことになった。

2交代制の遅番の日は、帰りが午後8時近くになる。

おなかがすかないようにと、毎日おやつを用意して出掛けた。

給料日には、二人の子どもを連れて外食することにしていた。

大衆食堂で丼物やうどんを食べる。それでも月に一度だけのぜいたくだった。

ある日のこと、テレビを見ていた長男が、「僕もああいうおすしがたべたいなあ」と言った。

画面には、カウンターのお客さんに、職人さんが次々に2貫ずつ握って出しているシーンが映し出されていた。

今と違いファミリーレストランも回転ずしもない時代にことだ。

おすしといえば、年に一度くらいお客さんが来たときに出前で注文して食べるものだった。

次の給料日に、思い切って近くのおすし屋さんへ出掛けた。

子どもたちにわからないように、お店の奥さんにこっそり「あること」を頼んだ。

奥さんは快く引き受けてくれた。

みんなでカウンターに座った。

注文したのは出前で取るのと同じおけずしだ。

しかし、ご主人は子どもたちの前に2貫ずつにぎっては出してくださった。

面倒で時間がかかるのにもかかわらず。

最後の2貫が出され、「これで終わりよ」と言われると、子どもたちはうれしそうな顔をしていた。

そのお店は高速道路建設のためなくなってしまったが、今でもお店のご夫婦を思い出すたびに涙が出るという。(ほろほろ通信/中日新聞 2011.03.13掲載)