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5月, 2018の投稿を表示しています

記事紹介|失敗とは次にもう少し上手くやるための経験

もしあなたが失敗しても、決して諦めてはいけません。 なぜなら、失敗(FAIL)とは、 First Attempt In Learning(学びの中での最初の試み) だからです。 そして「END」は終わりではありません。 なぜなら、 Effort Never Dies(努力は決して無駄にならない) という意味だからです。 もし「No」と言われても、これを覚えておいてください。 NOとは、 Next Opportunity(次のチャンスがある) という意味だから、ポジティブに捉えていきましょう。 もともとは英語で書かれた格言です。 行動するから失敗も経験できる。 失敗とは次にもう少し上手くやるための経験。 成功するまでやり続けたら、失敗は失敗ではなくなる。 成功の秘訣は、『成功するまで諦めない』こと。 非常にシンプルな言葉ですが、とても重要な教えです。 そして成功のコツは、『コツコツとやること』ですね。 次へ|今日の言葉  から

記事紹介|教育改革の主体を現場に担わせるための知恵

教員組織が内包する危うさや脆さ 筆者は、国立大学が法人化される1年前の 2003年 4月、当時筑波大学に置かれていた「企画調査室」の教授として着任した。法人化の準備業務を含む大学改革が主たる任務であったが、全ての教員は学系という教員組織に所属することになっていたため、経営学分野の教員が所属する学系に籍を置いた。 着任に当たり、企画調査室にポストがなくなった場合は当学系からも外れるという誓約書を学系長に提出させられた。雇用契約上任期は付されていないのに、機関の意思とは別に、教員組織の意思が存在することに一筋縄ではいかない大学運営の難しさを実感させられた。 他の教員と同様に研究費も配分されたが、筆者の所属を快く思っていない教員、無関心な教員、大学執行部との繋がりを期待する教員等、反応は様々であった。その中で自分の授業の中で講義をしてみないかと誘ってくれた教員がいたことは幸運であった。 企業であれば、人事は会社の意思であり、配属部署の意思でもある。少なくとも表向きは全員が歓迎し、仕事に慣れるまでは支援もしてくれる。「協働」が当たり前の一般の組織と大学の教員組織の隔たりは大きい。 大学の管理運営に関わる中で、組織内で心ない言葉を浴びせられた教員の訴えを聞くこともあった。教育機関である大学で、なぜ互いを尊重したり、若手教員をエンカレッジしたりすることができないのだろうか。筆者が幾度も感じた疑問である。 大学教員の多くはまじめで責任感があり、互いに協力し、円滑に物事を進めなければならないことも理解している。しかしながら、一度問題が生じると、組織内に軋轢が生じ、疑心暗鬼や相互不信が広がることで組織運営の健全性が損なわれ、それが常態化する。教員組織はそのような危うさと脆さを有している。 そのトリガーとなる要因はいくつか考えられる。 例えば、専門の異なる複数の学問分野で教員組織が編成されている場合、リソース(教員ポストや教授・准教授枠、予算、スペース)配分、授業負担等の調整、論文審査や研究業績評価等で、分野間の利害が衝突したり、基準が異なったりすることで、軋轢が生じることがある。 また、有力な教授同士が対立し、他の教員がそれに巻き込まれたり、一部教員の不規則な言動が円滑な組織運営を阻害したりすることもある。 ...

記事紹介|神は細部に宿る

できない人は言葉で説得し、できる人は行動で説得する できない人は話したがり、できる人は聞きたがる できない人はお金を求め、できる人は成長を求める できない人は過去にこだわり、できる人は未来にこだわる できない人は不可能と思い、できる人は可能と思う できない人は他人のせいにして、できる人は自分のせいにする できない人は一人で頑張り、できる人はみんなで頑張る できる人もできない人も、能力にほとんど差はない ほんの少しの意識の違いによって結果に差が生まれる。 ◇ ネット上で見つけた言葉です。 ここで挙げられているできる人の行動はどれもハードルの高いものではないと思います。 ほんのちょっとの差で、しかもそれを継続することで大きな違いが生まれてきます。 ほんのちょっとと言えば、こんな言葉もありますね。 『ほんのちょっとしたことが、幸せな人生や、仕事の成功を左右する。ほんのちょっとしたことが・・・。 たとえば、すごく緊張しているときに笑顔を忘れないようにすること。 子どもと話をするときに、「愛しているよ・・・」と言うことを忘れないこと。 いつも家族がなぜそれほど重要なのかを考えること。 そんな、ほんの少しの繰り返しが、実はとても大事なのです』 小さなことを大事にしていきましょう。 「神は細部に宿る」とも言われますから。 ほんの少しの違い|今日の言葉  から

記事紹介|未来を生きる子どもたちのため

たとえばウミガメがなぜ泣いているのか。子どもたちは知っています。ウミガメの未来は子どもたちの未来。未来を生きるのは、子どもたちなのだから。 リサイクルの“最終走者”といわれたその都市が「ごみ非常事態」を宣言したのは、1999年2月のことでした。名古屋市です。 ごみの処理量が年間百万トンを超え、市と市民はそれまでにない勢いで、分別や、リサイクルに取り組みました。その結果、二十世紀最後の二年で、処理量を23%、埋め立て量を47%、減らすことができました。 ここ数年の処理量は約60万トンで推移、安定しています。 でもそれで、ごみ問題が終わったわけではありません。 あれから20年、「次世代へつなぐ思い」というタイトルのDVDを制作し、今月、市内のすべての小、中、高校に環境教育の教材として配布する予定です。 オリジナルのエコソングやエコダンス…。とりわけ印象的なのが、市内の小学校で収録された4年生のモデル授業の模様です。 最初は国語。テーマは「海の環境」です。教科書は閉じたまま。先生がクラスに問い掛けます。 「ウミガメは絶滅の恐れがある生き物です。なぜでしょう」 一斉に手が挙がり、一人の男子が答えます。 「人間が海にレジ袋なんかを捨てて、ウミガメが、それをクラゲと思って食べちゃって、のどにつかえて死んじゃう可能性もある」。正解です。先生が解説します。 「ここからあまり遠くない遠州灘の砂浜に、ある年一頭のオサガメの死体が打ち寄せられました。おなかを開くと、プラスチックのごみが34枚も…」 年間8百万トンのプラごみが海に捨てられると知って、みんな、「えー」と驚き、「かわいそう」と同情し、「ひどいよ」と怒ります。 環境に共感するチカラ 続いて体育、表現運動の時間です。ウミガメの生態を全身で表現します。体育館の中を所狭しと泳ぎ回る子どもたち。そこへ先生が本物のレジ袋をばらまいて「食べてみよう」と告げるのです。 子どもたちは「いやだ」「苦しい」と言いながら、表情をゆがめ、もがいて、悲鳴を上げる-。 「かわいそう」から「苦しい」へ、ウミガメになりきって、いつの間にか一人称に、傍観者ではなく当事者になっています。 小学4年の環境や命に対する想像力、共感力には...

記事紹介|人生を楽しむ

人生をつまらなくするのは簡単だ。 結果や報酬を目的として生きればいい。 これこれの収入を得るためにこの仕事をする。 この会社に入る、実入りを期待して誰々と親しくする。 実際、そういう人は多いのだが、最終的な目的が報酬なのだから、そこにたどりつくまでの事柄や関係のいっさいが手段や道具となるわけだ。 途中の過程で起きることも出会う人も、自分にとっては報酬までのプロセスという意味しか持たない。 本当に意味があるのは想定してある結果や報酬だけである。 こういう人生がはたしてどういうものであるのか、収入のために仕事をしている人の顔を見ればありありと表れている。 少年少女が周囲の期待する「いい子」を演技するのも、結果を想定しての行動である。 それを引き起こしているのは本人ではなく、周囲の大人たちである。 大人たちが結果にしか意味を見出さない考え方なので、少年少女たちはあえてそれに応えようとするわけだ。 そして彼らはいつかその欺瞞に耐えきれなくなり、彼らなりに失踪(しっそう)する。 それは反抗ではない。 地獄からの脱出なのだ。 何をするにしても人間は結果のために行動すると、結局は日々の意味を失い、総じて生きることの意味を失う。 意味を失うことは死だと直感的に感じるから、その恐怖を何かへの沈溺(ちんでき)によってごまかすしかなくなる。 ドラッグや遊興(ゆうきょう)はもちろん、老人になって趣味やスポーツ、旅などで自分の不安定な心をまぎらわしている人もいるのだ。 地獄の入口とは架空のことではない。 結果と意味を同じだとする安易な考え方なのである。 ◇ 旅の楽しさは、どこへ行くかではなく、「誰と行くのか」によって決まるという。 気の合った人と体験する、途中の寄り道や珍道中が面白く、楽しいのだ。 食事も同じで、どこで何を食べるのかではなく、「誰と食べるのか」によって決まる。 どこへ行くという、結果を目的として行動すると、あとのことはすべて手段や道具となる。 誰と行こうが、どんなところに泊まろうが、交通も、食事も、すべて手段であり道具。 「できるだけ最短で」とか、「できるだけ安く」といった、効率や...