教育の本質
ブログ「 教授のひとりごと 」から 「 革新起こす人材育てる教育 」(2014年05月20日) をご紹介します。 日経産業新聞(5/16付け)の「ウィリアム氏と明日を読み解く」欄に『革新起こす人材育てる教育』とした記事があった。 ◇ 氷上で生活するイヌイットと、パソコンモニターの前に座るモダンなサラリーマンとではどちらが人間としての能力に優れているでしょうか。イヌイットは家の建て方を知らなければ生きていけませんし、魚の釣り方、料理の仕方も身に付けなければいけません。必要な知識や習得すべき能力は多岐にわたり、身の回りの何もかも自分ですることは当たり前です。 一方、サラリーマンはコンピューターを駆使して世界中と瞬時につながれます。ですがコンピューターの中身がどうなっているのかや、電気やインターネットの回線がいかにして提供されているのかなど、ごく身近な仕事道具にさえ、特別な関心を払うことなく生活しています。仕事に関わりのない領域に対する能力は、ややもすれば不要です。住む家を自ら建てるサラリーマンは変わり者と言われるでしょうし、料理がまったくできない人でも食べるのに困りません。 どちらが人間として優れているのか。 それは正解のない問いです。現代社会とは明確な役割分担による分業によって成り立っている、高度にスペシャライゼーション(専門分業化)の進んだ社会であるとの指摘はできそうです。日本は特にスペシャライゼーションの進んだ国です。終身雇用制度へとつながる縦割り型の社会構造は、世界に最たるスペシャライゼーションの事例。ただし、これは褒め言葉ではありません。行き過ぎたスペシャライゼーションには、人間の素晴らしい能力をスポイルしてしまう側面もあるのです。 その能力とは想像力と創造力。 つまりイノベーションを生み出す源泉です。ダイバーシティが前提となった世界の現状においては、経済問題、民族紛争、環境汚染など現れる問題は、常に未知のもの。閉ざされた「村空間」の中だけで最適化を追求していればよい時代はもう終わりました。私たちはそれを理解しなければいけません。 残念なことに、日本の教育システムは過剰なスペシャライゼーションの維持・推進に寄与してしまっています。日本の教育が重視してきたのは、適合性、従順性、そして規則性。その価値観は、近代教育の黎明(れいめ...