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教育の本質

ブログ「 教授のひとりごと 」から 「 革新起こす人材育てる教育 」(2014年05月20日) をご紹介します。 日経産業新聞(5/16付け)の「ウィリアム氏と明日を読み解く」欄に『革新起こす人材育てる教育』とした記事があった。 ◇ 氷上で生活するイヌイットと、パソコンモニターの前に座るモダンなサラリーマンとではどちらが人間としての能力に優れているでしょうか。イヌイットは家の建て方を知らなければ生きていけませんし、魚の釣り方、料理の仕方も身に付けなければいけません。必要な知識や習得すべき能力は多岐にわたり、身の回りの何もかも自分ですることは当たり前です。 一方、サラリーマンはコンピューターを駆使して世界中と瞬時につながれます。ですがコンピューターの中身がどうなっているのかや、電気やインターネットの回線がいかにして提供されているのかなど、ごく身近な仕事道具にさえ、特別な関心を払うことなく生活しています。仕事に関わりのない領域に対する能力は、ややもすれば不要です。住む家を自ら建てるサラリーマンは変わり者と言われるでしょうし、料理がまったくできない人でも食べるのに困りません。 どちらが人間として優れているのか。 それは正解のない問いです。現代社会とは明確な役割分担による分業によって成り立っている、高度にスペシャライゼーション(専門分業化)の進んだ社会であるとの指摘はできそうです。日本は特にスペシャライゼーションの進んだ国です。終身雇用制度へとつながる縦割り型の社会構造は、世界に最たるスペシャライゼーションの事例。ただし、これは褒め言葉ではありません。行き過ぎたスペシャライゼーションには、人間の素晴らしい能力をスポイルしてしまう側面もあるのです。 その能力とは想像力と創造力。 つまりイノベーションを生み出す源泉です。ダイバーシティが前提となった世界の現状においては、経済問題、民族紛争、環境汚染など現れる問題は、常に未知のもの。閉ざされた「村空間」の中だけで最適化を追求していればよい時代はもう終わりました。私たちはそれを理解しなければいけません。 残念なことに、日本の教育システムは過剰なスペシャライゼーションの維持・推進に寄与してしまっています。日本の教育が重視してきたのは、適合性、従順性、そして規則性。その価値観は、近代教育の黎明(れいめ...

陰徳を積む

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 見えないお辞儀 」(2014年05月22日) をご紹介します。 先日、訪問販売をしている女性がインターホン越しに一所懸命何かを説明しているのを道端で見かけました。 断られてしまったようで、インターホンを勢いよく切られる音が響いていました。 しかし、その女性はインターホンに向かってゆっくり深々とお辞儀をしたのです。 もちろん、その姿は相手には見えていません。 ただその姿に、時間をさいて聞いてくれた相手への感謝の気持ち、それと同時に彼女の仕事への誇りを私は感じました。 一瞬のしぐさに心を打たれた瞬間でした。 お辞儀は、言葉以上に心が伝わる「3秒でできる」最上級の気遣いかもしれません。 CAもお辞儀を大切にしています。 機内アナウンスの「ご搭乗ありがとうございます」に合わせて、その場でお辞儀のご挨拶を必ずします。 あるとき、後輩のMちゃんは、カーテンで仕切られた場所で担当の仕事をしていたのですが、そのアナウンスが流れたとき、しゃがんでいたのを立ち上がり、お客様がいるほうを向いてお辞儀をしました。 当時ほとんどのCAは、カーテンの中で仕事をしているときはお客様に見えないので、アナウンスに合わせてのお辞儀などはしていませんでした。 それだけに、誰も見ていないところでも深々とお辞儀をしているMちゃんに、私は衝撃を受けました。 その日の反省会では、このエピソードを共有し、これからはみんなで真似しようという話になりました。 そのお辞儀は、サービスをする立場の私たちの「心の襟」も正すことに繋がりました。 見えないといえば、電話応対なども相手には姿が見えない状態です。 しかし、電話の向こう側でどんな表情で話をしているのか、どんな姿勢なのかは、怖いほど想像できてしまうものです。 あるセミナーで、電話応対のロールプレイを背中合わせで行いました。 お辞儀をしながらお詫びをした場合と、そうでない場合をあててみようというゲームをやったのですが、驚くことに、ほとんどの人がその違いを聞き分けることができたのです。 見えないからこそ、お辞儀をしなければ本当の気持ちが声に乗って伝わらないのです。 お辞儀は、一瞬でできる動作でありながら、相手に思いを伝えるための必須動作でもあります...

「怒る」と「叱る」は違う

愛読しているブログの一つ「 教授のひとりごと 」から 「 誰がやったんだ! 」(2014年5月19日) をご紹介します。 週刊東洋経済(5/17号)の「生涯現役の人生学」欄 で、作家の童門冬二氏が『「誰がやったんだ!」はやめよう』と題して寄稿している。 ◇ 後期高齢者である私は、多くの人から健康法を聞かれる。答えの一つとして、部下が失敗したときに「これは誰がやったんだ!」と犯人捜しのわめき声を上げないこと、と告げている。血圧は上がるし、精神衛生上もよくない。 さらに二つの意味がある。 まず、こういう瞬間湯沸かし器(これも言葉としては後期高齢者)的態度を見せると、一挙に部下の信頼を失う。いったん失った信頼は、簡単には回復できない。「うちの上司はこういうヒトなんだ」という警戒心は、トラウマとして部下全員の心に残る。弁解したり笑ってごまかそうとしても、部下はそんな手に乗らない。 黒田官兵衛(如水)が、こんなことを言っている。 「神仏に対する過失は、祝詞やお経を上げて謝罪すれば許してもらえるだろう。しかし部下はそうはいかない。部下を傷つけたら、絶対に許しは得られない。民も同じだ」。厳しい。如水は”下意上達”のために、福岡城内に”異(意ではなく)見会”というのを設けた。藩政に関する討論会だが、ヒラの上層部批判も許した。そして上層部には、「どんなに批判されても腹を立てるな、笑顔で応ぜよ」と命じた。そのためこの会は”腹立てずの会”と呼ばれた。上層部の中には、うわべは笑顔を浮かべているが、その笑いは引きつっており、腹の中は煮えくり返っている者もいた。「よく言うよ、このヤロー。次の人事異動期を楽しみにしていろ。必ずトバしてやる」と、憎悪の言葉をつぶやき続ける上層部が必ずいたのだ。 (中略) さて、部下の失敗に対し、上司が軽率に怒声を上げてはならないもう一つの理由は、毎年の新入社員入社式の社長のあいさつにある。多くの社長が新入社員に「失敗をおそれずに思い切って仕事をしてください」と告げている。その後に激励講演を頼まれている私は「社長はうそつきだ」と思ってきた。 (中略) 「これはどういうことだろうか」と私は考えた。そして一つの結論にたどり着いた。「社長のあいさつは、新入社員だけでなく、これを迎え入れる先輩社員、特に管理職にも告げているのだ」と。 ...

文章作法の基本

山本眞一 さん(桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授)が書かれた「 「コピペ」と研究倫理~許されない理由とは 」( 文部科学教育通信 No.339 2014.5.12 )をご紹介します。 コピーは書き写すこと 私は30歳代の終わりの頃、家族を連れて一年間米国に滞在し、現地の生活を経験したことがある。用務は、文部省(当時)と人事交流をしていた連邦政府のNSF(国立科学財団)の客員研究員として、米国の学術政策や大学の研究活動について調査を行うことであった。首都ワシントンの郊外、バージニア州のアナンデールという地区に住宅を借り、隣近所の付き合いから、ショッピング、学校のことなど、生活者ならではのさまざまな見聞ができたことはなかなか貴重な経験であった。 小学校三年生だった息子は、現地の小学校に入れた。彼の地では日本人のための補習学校はあったが、日本人学校のようにフルタイムで生徒を受け入れる学校がなかったからである。 ただ、その学校では英語が母国語でない生徒のためにESL(English as a Second Language)というクラスが開講されていて、息子もその授業に出ることになった。 最初の日、教師は英語で書かれたテキストを示しつつ、「これをコピーしなさい」と言ったそうであるが、息子は大いに困惑したという。彼はコピーと言われたので辺りを見回したが、どこにもコピー機らしきものが見当たらなかったからである。しかし程なく、日本語の世界における語感とは異なり、英語でいうCopyとは文章を書き写すことだということが分かった。つまり、テキストを手本にしてその文章を自分のノートに写しなさいと教師は指示したのであった。 手本を書き写すということは、日本でも米国でも、学習過程の基本である。とくに型を重視する日本の教育では必須のことであろう。私自身も、数字やかな、そして漢字を学ぶために、特別なノートに薄く印刷されたそれらの文字を鉛筆でなぞりながら何度も練習した記憶がある。文字だけではない。学習過程において、他人が書いた文章を書き写すことも、また学習者のためになると一般的に信じられている。ある新聞社のコラムが大学入試(国語)によく採用されるからとして、そのコラムを書き写したり、さらには高齢者のボケ防止に役立つからとして、それを書き写すための専用...

大学ガバナンス改革の問題点

清成忠男 さん(事業構想大学院大学学長)が書かれた 「 学長選考方法と教授会の権限の検討 」(リクルート カレッジマネジメント186/May-Jun.2014) をご紹介します。 今日、我が国の大学は教育研究の質的向上を求められている。そのためには、大学の的確な運営が不可欠であり、より良いガバナンスへの配慮が緊急の課題になっている。 ガバナンスの問題点 大学のガバナンスには様々な問題が存在している。ただ、最近クローズアップされているのは、大学に固有のガバナンス問題である。それだけに、大学の外からは理解し難い面を有している。 大学の組織は、通常の企業組織とはかなり異なる。組織の二重性である。まず、大学法人(国立大学法人、公立大学法人、学校法人)が設立される。この大学法人が大学を設置する。 大学法人の長は理事長である。大学法人によって設立された大学の長は学長である。国立の場合には、理事長と学長が一体化されており、学長と呼ばれている。公立と私立の場合には、学長と理事長を分離することが可能である。 したがって、大学は、大学法人の内部組織である。大学は、大学法人の主要な事業である教育研究を担う内部組織であり、相対的な独立性を有している。現場として、それなりに自己決定能力を有している。 さて、最近の議論において主要な論点とされているのが、学長のリーダーシップと選任方法等、教授会の機能と権限の明確化である。この小稿においても、この 2点に検討の対象をしぼることにする。 学長の機能・権限と選任 まず、学長の機能を、経営責任との関わりで確認しておこう。 学長は、大学の長である。学校教育法第92条は「学長は、校務をつかさどり、所属職員を総督する」と規定している。ただ、国立の場合には、学校教育法の規定する職務を行うとともに、国立大学法人法第11条によって「国立大学法人を代表し、その業務を総理する」ことになる。学長は、まさに経営の最高責任者であり、公立大学法人や学校法人の理事長に相当する。 また、地方独立行政法人法第71条の規定により、「公立大学法人の理事長は、当該公立大学法人が設置する大学の学長となるものとする」とあるが、学長を理事長と別に任命することができる。この理事長とは別に任命された学長は、副理事長となる。 さらに、私立においては、...

求めよ、されば与えられん

ブログ「 今日の言葉 」から 「 希望 」(2014年5月23日) をご紹介します。 希望は思想なり。 シェークスピア すなわち、自分の想いや心向きが希望を作り出すということでしょう。 どんなに厳しい環境でも、それが自分を成長させてくれる試練だと思えれば希望になり、どんなに恵まれた環境でも不満を感じていれば、希望を持つことは出来ない。 希望は与えられるものではなく、一人一人の信念が作り出すものなのですね。 ただし全く与えられないものかと言えばそんなことはなく、ちょっとした人との会話や、本の一節、映画のセリフなどに密かに自分へのメッセージが隠れていることがあります。 それを素直にキャッチして受け入れられる心構えが必要です。 「求めよ、されば与えられん」と言うように、求めているとアンテナを張ることになり、自分に必要な情報やご縁が繋がってくるものなのです。

研究と大学院の行方

吉武博通 さん(筑波大学大学研究センター長・ビジネスサイエンス系教授)が書かれた 「 大学院改革を通して知識と研究プロセスの社会的意義を発信する 」(リクルート カレッジマネジメント186/May-Jun.2014) をご紹介します。 大学における教育と研究の関係をどう理解するか 教育と研究は車の両輪ともいうべき大学に課せられた使命であり、学校教育法も大学の目的を定めた第83条において、そのことを明記している。 その一方で、教育と研究の関係をどのように理解し、資源配分や日々の活動において両者のバランスをどうとるかは極めて難しい問題である。教育の質の保証やグローバル人材の育成など、大学教育への期待・要求が高度化するなか、これまで以上に教育に力を入れる必要があるのは明らかであるが、研究大学としてのプレゼンスを国内外に示すために、本音の部分では研究により力を入れたいと考えている大学もあるだろう。 個々の教員レベルで考えてみても、教育能力の向上や授業の改善などが求められる一方で、採用や昇任に際しては、依然として論文の数やその水準など研究業績を中心に審査が行われるという現実がある。また、これまで学内予算で措置してきた研究費を競争的資金にシフトさせる大学も増えてきた。申請書作成、採択後の運用・管理、報告書作成などの業務が付加されることになる。 大学における教育研究において、自由と時間はかけがえのないインフラであるが、同時にぬるま湯的体質を根付かせる要因ともなり得る。 このような根源的ともいえる問題にどう答えればよいのだろうか。大学運営や教育研究に携わる者が、それぞれの立場で考え続け、対話を重ね、解を見出していくしかない。 そのための材料提供を目的として、本稿では、まず研究に焦点を当て、大学の研究力の現状をデータで確認した後、教育研究の拠点としての大学院の現状と課題について論じる。最後に、大学が創出する知識と研究プロセスが社会にとってどのような意味を持つのかについて考察し、大学のこれからを考える視点を示したい。 日本は論文生産の量と質の両面でポジションが低下 2013年8月に文部科学省科学技術・学術政策研究所が公表した「科学技術指標2013」によると、研究開発活動のアウトプットとして計測可能な科学論文について、世界の論文量は一貫して増加傾向に...

「何かをしない」という選択

ブログ「 今日の言葉 」から 「 時間 」(2014年5月15日) をご紹介します。 成果をあげる者は仕事からスタートしない。 時間からスタートする。 計画からもスタートしない。 何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。 次に、時間を管理すべく 自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける。 ピーター・ドラッカー 医師の日野原先生も『習慣に早くから配慮したものは、人生の実りも大きい』と語られています。 客観的に自分を見て、何に時間を使っているのかの把握と、何をするのかの選択を意図的に行うことが重要。 例え30分の隙間時間でも、1年間で見ると、1日分の仕事を約7.5時間とした場合、およそ23日分の時間を作り出すことが出来る。 そして「何かをする」ということは、その分「何かをしない」という選択でもあるのです。 ドラッカーが言う「自らの時間を奪おうとする非生産的な要素」が自分にとって何なのか、これをはっきり認識して断捨離する。 去年の今頃の自分と比較して、悪い習慣を止めて、良い習慣を手にしているでしょうか? 良い習慣であっても変えるべきものは無いでしょうか?

自分にもできる

ブログ「 今日の言葉 」から 「 チャレンジ 」(2014年5月14日) をご紹介します。 世の中に失敗というものはない。 チャレンジしているうちは失敗はない。 あきらめた時が失敗である。 稲盛 和夫 『あきらめたらそこで、 試合終了ですよ。』 とは安西先生(スラムダンク)の名言ですね。 成功の秘訣は、成功するまで諦めないこと。 そうすればその過程における失敗は、色々なやり方を試しているだけとなる。 エジソンもこう言っています。 『ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに。』 成功している人は、成功していない人がやろうとしないことをしているのです。 「あの人だから出来るんだ」と外野的に見ているのではなく、「誰かに出来ることは、自分にも出来ること」と思って取り組むことが大事ですね。

ベンジャミン・フランクリンの徳目

ブログ「 今日の言葉 」から 「 十三の徳目 」(2014年5月8日) をご紹介します。 政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者として活躍し、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられるベンジャミン・フランクリン氏。 そのフランクリンが、良い習慣をつくり身につけるために、十三の原理原則を手帳に書き、毎日実行できたかどうかをチェックしたそうです。 チェックするということは、できていないこと日もあったのでしょう。 そこが人間的でさらに良いのだと思います。 それぞれの補足をします。 1.節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。 2.沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。 3.規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。 4.決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。 5.節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。 6.勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。 7.誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。 8.正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。 9.中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。 10.清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。 11.平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。 12.純潔 性の営みはもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、 これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、 または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。 13.謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。

一人はみんなのために、みんなは一人のために

ブログ「 今日の言葉 」から 「 ステップ 」(2014年5月7日) をご紹介します。 一人はみんなのために、みんなは一人のために。 One for all, All for one. ラグビーで使われる有名な言葉ですね。 今日はこの言葉で紹介したい素敵なお話をお届けします。 いつも学ばせて頂いている「 みやざき中央新聞 」の2014年2月17日号の記事からです。 是非、「みやざき中央新聞」を購読してみて下さい。見本紙もあります。 「あずさからのメッセージ」という記事で、ダウン症のあずさちゃんにまつわるお話です。 あずさちゃんのお母様がお話をされています。 あずさは中学校の特別支援学級に進みました。 毎日休まずに登校しました。 運動会が近づくと、やっぱり私は心配でした。 中学校では女子のダンスは先生が教えるのではなく、ダンスリーダーになった3年生が自分たちで選んだ曲に合わせてダンスを作り、それを1・2年生に教えるんです。 結構激しい動きなので、あずさにはちょっと大変でした。 3年生になりました。 運動会の日、私は信じられない光景を見ました。 女子のダンスで、あずさがみんなと一緒に踊ってるんです。 あまりにも上手だったから、最初あずさがどこにいるか分かりませんでした。 だってみんなと同じステップで踊っているんですから。 「ウソ、何でこんなことができるの?」と言ったら、体育の先生が教えてくれました。 ダンスリーダーの人たちが、あずさのいる特別支援学級に毎日やって来て、教えていたんです。 「こうしてステップを踏んで、さあ、やってごらん」「そうじゃなく、こうやるの。大丈夫、できるよ」と。 でも、できなかったら、「じゃあ、これはやめて別のステップにしよう」と、また教えるんです。 とにかくあずさが無理な動きは入れない。 あずさが踊れるステップだけで作ったダンスだったので、踊れて当たり前だったんです。 私は涙もろいものだから、上手に踊ってるあずさを見て涙が止まりませんでした。 ふと横を見ると、中学校の先生たち、ちょっと怖そうな男の先生とか校長先生まで、みんなで泣いていたんです。 何で泣いていたか分かりますか? あずさが上手に踊っていたからではないんです。 あず...

ポスドク問題に関する財政審の議論

去る4月4日(金)に、財務大臣の諮問機関である 財政制度等審議会財政制度分科会 において、「 文教 」に関する議論(特に ポスドク問題 を中心に)が行われています。 議事録が公表 されていますので、大学関係部分を抜粋してご紹介します。(下線は拙者) 財務省井藤主計官 次のポイントで、11ページ、大学改革でございます。国立大学の現状なのですけれども、よく言われる話なのですが、日本の大学評価は必ずしも高いものではないと。ランキングトップに入るのは東大と京大だけだという話はよく言われます。一方で、それは国立大学の運営費交付金を毎年減らしているからだといった声を我々もよく受けるのですけれども、実は研究費とかは伸びているということもありますし、国立大学の法人の収入全体で見ると決して減ってはいないということです。 13ページなのですが、では、そういった中で、ランキングはどう変わってきているのだろうかと。ランキングだけが全てとは申しませんけれども、ここに挙げられているような大学は、特に研究が中心的な大学で、研究費もかなり取っている大学だということでございます。東大も若干順位を上げていますけれども、十分な強化が行われると果たして言えるのだろうかということでございます。 14ページなのですが、実は国立大学というのは86校ございまして、いわゆる総合大学は各県にあって47校あります。その他、教育大学とか、そういった専門の大学があるわけですが、こうした 大学が特色のない大学運営を行っていることが大学の評価が向上しない一因ではないか ということもよく耳にする話でございます。 こうした中で、私ども、文部科学省と議論をして、限られた財政資金はなるべく有効に使わなくてはいけないということで、重点的な支援を、機能強化を一生懸命やっているところにやろうというようなことで、例えば、今、運営費交付金というのは大体1.1兆円ぐらいの予算ですが、その1割ぐらいを特別運営費交付金ということで、その取組みに応じて配分しようという取組みもやっているわけなのですけれども、なかなか 予算全体の配分が機能強化をほんとうに慫慂し、それをフィードバックして配分を変えていくというような好循環を生み出す仕組みになっていないのではないか という疑いがございまして、ここに出している...

沖縄への誠意

久々に沖縄の話題です。 朝日新聞社説「 辺野古移設-これが熱望した祖国か 」(2014年5月17日) をご紹介します。 この15日に本土復帰から42年を迎えた沖縄県で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設をめぐって、異常ともいえる事態が進行している。 名護市辺野古への移設をめざす政府が、強引に工事の準備に取りかかっているのだ。 まず動きがあったのは4月11日。政府の担当部局である沖縄防衛局が工事に先立ち、資材置き場として使う辺野古漁港の使用許可申請など6件の申請書を、名護市長宛てに提出した。 それは事前調整もなく突然のことだった。防衛局職員が持ち込んだのは市役所の閉庁間際。提出先を間違え、他の部署に置いて帰った書類もある。 文書には、根拠のない「回答期限」が一方的に設定されていたほか、記載漏れなどの不備が目立った。 名護市は再提出を求めたが、防衛局は「適正だった」と拒んだまま。期限とした5月12日は過ぎた。防衛局は許可が得られなかったものとして、計画を進めるという構えを崩さない。 市の担当者は「申請書の形式を満たしておらず、審査に入れない」と戸惑う。 普天間飛行場の辺野古移設について、安倍首相は1月に「地元の皆様のご理解をいただきながら、誠意を持って前に進めていきたい」と語った。 ところが、現状は見ての通り。誠意のかけらもない。 1月の名護市長選で移設反対を訴えて再選され、「権限を行使して着工を阻止する」と表明した稲嶺進市長に挑むような、強硬姿勢だ。 政府は6月以降、海底ボーリング調査を開始し、来春にも埋め立て工事に着手する予定だ。 しかし、国の天然記念物のジュゴンやサンゴの群落など、近海の豊かな生態系への影響や騒音など、環境や生活に大きな支障が出るという心配に、政府は納得いく説明をしていない。 「地元の理解」を得るには、まず地元の心配に正面から答えなくてはならない。 米国の映画監督オリバー・ストーンさんらが移設反対の声明を出すなど、海外の知識人や政治家の間に、沖縄への理解が広まりつつある。米国世論に移設の不当性を直接訴えたいと15日、稲嶺市長が渡米した。 同じ15日、安倍首相は集団的自衛権の行使容認の検討を表明した。それは、平和憲法の及ばない米軍占領下、沖縄が復帰を熱望した祖国の姿だろうか。 まして、...

リサーチ・アドミニストレーター(URA)の成否

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の 山本眞一 さんが書かれた「 リサーチ・アドミニストレーター(URA)の可能性 」(文部科学教育通信 No.338 2014・4・28)を抜粋してご紹介します。 進むURA整備事業 文部科学省のURA制度の整備事業は、2011年度から本格化した。同年度の補助事業のための公募要領(2011年7月)によると、URAとは「大学等において、研究者とともに研究活動の企画・マネジメント、研究成果活用促進を行うことにより、研究者の研究活動の活性化や研究開発マネジメントの強化等を支える業務に従事する人材」とされている。また、URAはもっぱら研究を行う職とは別の位置づけであり、かつ単に研究に係る行政手続きを行うという意味ではないとされているところから、実際はともかくとして、理念的には教員でもなければ職員でもないということになるだろう。早稲田大学のホームページには「作家に対する編集者のような存在」と書かれてあるが、大変分かりやすい例えである。 文部科学省の補助事業の進展により、数十大学規模で補助対象校が増え、URAを育成する体制が整いつつある。また同時に、URAのスキル標準の策定や研修・教育プログラムの整備についても委託事業を通じて、その成果が上がりつつある。早稲田大学が2012年2月に実施した全国63大学に対する調査によれば、回答者93名のうち52%がURAを置く必要性を強く感じており、また実際に回答者の27%が自大学にURAが置かれていると回答している。また、URAに求められる機能として重要なものは、①大型プロジェクト創出機能、②全学的サービスインフラ(知的管理機能)等、③科研費応募アップ等の研究底上げ機能、④国際共同推進機能の順に高く、URAに必要と考えられる知識・能力・経験としては、①国などの研究資金情報の収集・分析、②学内研究活動の把握、③国の施策の把握、④申請書作成支援、⑤研究プロジェクトのマネジメントの順に高かったそうである。いずれも実態を反映した関係者の期待である。 多様なURAが登壇 さて、シンポジウム当日の様子に話題を移してみよう。シンポジウムでは四人の発表者が登壇した。第一番目は北海道大学で特任准教授を務める石井哲也氏である。同氏は、国立大学大学院を修了後、企業の研究所に勤めた後、科学技...

電子ジャーナル問題

近年、「 電子ジャーナル 」は、継続的な値上がりに加え、円安も手伝って、各大学の大きな経営問題の一つとして大きくクローズアップされています。 文部科学省では、こういった状況を受け、このたび「 ジャーナル問題に関する検討会 」を立ち上げ、ジャーナルの現状や課題の正確な把握・分析を行うとともに、対応策について議論を行うことにしたようです。 過日、第1回会議の配布資料と議事録が公表されました。大学におけるジャーナルの財政負担や、論文等の研究成果に無償でアクセスできるオープンアクセス等について議論されています。今後の動向を注視したいと思います。 ジャーナル問題に関する検討会設置の趣旨等(文部科学省) ジャーナル問題に関する検討会(文部科学省) ジャーナル問題に関する検討会(第1回) 配付資料(文部科学省) ジャーナル問題に関する検討会(第1回) 議事録(文部科学省) 今回は、取り巻く状況についての文部科学省の認識と、各大学(図書館)に求められる現状把握・取組みに関する部分を、議事録から抜粋してご紹介します。(下線は拙者) ジャーナル問題に関する検討会(第1回、2014年3月26日開催)議事概要(抜粋) 【文部科学省】 本検討会の設置の趣旨は今、局長から申し上げましたとおりでございますけれども、 資料1 のとおり掲げておるところでございます。研究成果の流通において重要なジャーナルの在り方ということで、毎年、継続的に値上げが続いてございますけれども、特に大学の財政負担を考えますと、これを維持することは非常に難しくなってきていることは皆様方、御承知のとおりだと思っております。これをどう考えるかは国としても考えないといけないわけですけれども、先生方にも御意見を頂いて発信していきたい。 オープンアクセスの確保は、世界でG8の科学技術大臣・アカデミー会長会合においても議題として取り上げられております。そういった流れの中で、実際に緊急性が高い内容、ジャーナル問題を考えていきたい。 検討事項は2に掲げてございますけれども、ジャーナル流通の現状、課題及び対応策は本日、御議論いただきまして、また次回以降はオープンアクセスへの対応、その他のジャーナルに関しての課題としては、3月13日の日本学術会議のフォーラムでも必要性が議論されておりました...

求められる大学教育改革

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一般社団法人 日本経済団体連合会 からの提言 「 次代を担う人材育成に向けて求められる教育改革 」(2014年4月15日) のうち、高等教育に関する部分を抜粋してご紹介します。 産業界の目線で、各高等教育機関が取り組むべき喫緊の課題と今後の方向性が明確に整理されています。各機関の強み・特色を踏まえた機能強化のための選択と集中が必要になります。 Ⅱ 求められる教育改革 1 高等教育 (1)学長のリーダーシップによる大学改革の推進 グローバル競争が激化する中、日本の大学が、世界のトップ大学と伍して優秀な教員・学生を獲得し、教育力・研究力を高めていくためには、学長がリーダーシップを発揮して、各大学のビジョンや特色・強みを明確に示し、それらを最大限に活かすかたちで、学部・大学院の再編や予算編成・配分、入試制度や学事暦、教育カリキュラムの見直し、国際化の推進などに戦略的に取り組むことが不可欠である。 政府は、 本年2月の中教審大学分科会の取りまとめ 【表1参照】を踏まえ、今国会に教授会の役割、審議事項の明確化に関する 学校教育法の改正案を上程 するほか、2015年度までに国立大学の運営費交付金の配分や評価方法を抜本的に見直し、改革を進める大学に重点的に傾斜配分することで、改革に取り組む大学を側面的に支援する方針を打ち出している。  しかし、改革の主体はあくまでも大学であることに変わりはない。各大学は、主体的に自らのガバナンスを総点検し、学長のリーダーシップを確立するための取り組みや、学長を補佐する体制の強化(改正される学校教育法の趣旨に整合しない内規の見直し、総括副学長の設置、学長を支えるスタッフとして企業人や高度な専門性を持つ専門職を安定的に採用・育成等)を進めるべきである。また、社会的ニーズや高等教育を取り巻く国内外の環境変化等を踏まえ、学部や研究科の組織再編を考える中で、教授会の設置単位についての見直しも推進されるべきであろう。 その前提として、学長の選考方法の見直しも重要である。見識・能力に優れ経営能力のある人材を広く学外も含め募集するほか、学内の有望な人材はまず理事に就任させてマネジメント能力を育成することなども必要である。また、国立大学については、学長のリーダーシップを確立するために学長の任期を見直す他、学長の権...

感謝を忘れない

ブログ「 今日の言葉 」から 「 目を向ける 」(2014年5月2日) をご紹介します。 自分のできないことばかりに 目を向けていたら、 人生はとてもつまらないものになる レーナ・マリア(ゴスペルシンガー) 障害のために、出生時から両腕がなく、左脚が右脚の半分の長さだったレーナ・マリア氏。 両親の愛情ある育て方もあって、小さい時に学校の意地悪な男の子から、「やい、一本足!」とからかわれても、「ハロー、二本足!」と返せるほど明るく強い性格の彼女でした。 ソウルパラリンピックで水泳選手として出場、また現在に至るまで、ゴスペルシンガーとして世界中で活躍されています。 彼女のことを書いているうちに、こんなお話を思い出しました。 『乞食と天使』 いつもよく働く靴屋のもとへ、あるとき、天使が現われました。 乞食の姿になって・・・。 靴屋は乞食の姿を見ると、うんざりしたように言いました。 「おまえが何をしにきたかわかるさ。しかしね、私は朝から晩まで働いているのに、家族を養っていく金にも困っている身分だ。ワシは何も持ってないよ。ワシの持っているものは二束三文のガラクタばかりだ」 そして、嘆くように、こうつぶやくのでした。 「みんなそうだ、こんなワシに何かをくれ、くれと言う。そして、いままで、ワシに何かをくれた人など、いやしない・・」 乞食は、その言葉を聞くと答えました。 「じゃあ、わたしがあなたに何かをあげましょう。お金にこまっているのならお金をあげましょうか。いくらほしいのですか。言ってください」 靴屋は、面白いジョークだと思い、笑って答えました。 「ああ、そうだね。じゃ、100万円くれるかい」 「そうですか、では、100万円差し上げましょう。ただし、条件が1つあります。100万円の代わりにあなたの足をわたしにください」 「何!? 冗談じゃない! この足がなければ、立つことも歩くこともできやしないんだ。やなこった、たった100万円で足を売れるもんか」 「わかりました。では、1,000万円あげます。ただし、条件が1つあります。1,000万円の代わりに、あなたの腕をわたしにください」 「1,000万円・・・!? この右腕がなければ、仕事もできなくなるし、可愛い子どもたちの頭もなでてやれなく...

人間としての大事なつとめ

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「 世代をつなぐ人材育成 」(2014年4月15日PHP人材開発) を抜粋してご紹介します。 4月の後半にさしかかり、今年入社の新入社員に対する導入教育が終わった企業・団体も多いのではないでしょうか。会議室・研修室での知識教育を経て、いよいよ現場での実地教育へとステージが切り替わるわけですが、ほんとうの人材育成はまさにこれからです。これから始まる現場でのOJTの質が、新社会人の成長に決定的な影響を及ぼすと言っても過言ではありません。 心理学者 E・エリクソンの提唱した「世代継承性」という概念を拡大解釈すると、今の世代が次の世代を育て、次の世代がその次の世代を育てることによって、事業や組織が継承されていくとされています。[育て-育てられ]の関係が連鎖していくという発想ですが、その逆も然り。 上司や先輩から愛情をかけられずにきちんと育てられなかった体験をした人材は、自分が後輩や部下をもった時、人を育てようという発想をしにくくなる と言われています。 新入社員にきちんとした教育を施していくことは、今年の新入社員を育てることだけにとどまらず、人を育てる風土づくりにも影響を与えることをOJTの担い手である現場の上司・先輩の人たちは正しく認識しておく必要があります。 松下幸之助は、「 教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。教えるということは、後輩に対する先輩の、人間としての大事なつとめなのである。その大事なつとめを、おたがいに毅然とした態度で、人間としての深い愛情と熱意をもってはたしているかどうか 」(『道をひらく』PHP研究所)と述べ、次の世代を教え導く重要性を説きました。 おたがい、たくさんの実務を抱え余裕のない中、人を育てることは簡単なことではありません。しかし、 今の自分があるのは、かつての上司や先輩だった人の導きに負うところが大きい のではないでしょうか。そうであるならば、 今度は自分が次の世代のためにできることをしてあげる。そんな思いをもった人が増えることで、人が育つ風土が醸成されていく のではないでしょうか。 道をひらく 著者 : 松下幸之助 PHP研究所 発売日 : 1968-05 ブクログでレビューを見る»

働くことによって、生きる喜びを感じる

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 人間の究極の幸せ 」(2014年4月18日) をご紹介します。 二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。 きれいに晴れた、暖かい日でした。 二人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。 そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。 「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。 みなが二人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。 彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。 そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。 どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。 そんなある日のことです。 私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。 ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。 そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。 「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」 ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。 「 人間の幸せは、ものやお金ではありません。 人間の究極の幸せは次の四つです。 人に愛されること、 人にほめられること、 人の役に立つこと、 そして、人から必要とされること。 愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。 障害をもつ人たちが働こうとするのは、 本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです 」 確かにそうだ…。 人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。 家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。 だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。 働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。 それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。 二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。 そして、「ありがとう。助かったよ」と声を...