週刊東洋経済(5/17号)の「生涯現役の人生学」欄で、作家の童門冬二氏が『「誰がやったんだ!」はやめよう』と題して寄稿している。
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後期高齢者である私は、多くの人から健康法を聞かれる。答えの一つとして、部下が失敗したときに「これは誰がやったんだ!」と犯人捜しのわめき声を上げないこと、と告げている。血圧は上がるし、精神衛生上もよくない。
さらに二つの意味がある。
まず、こういう瞬間湯沸かし器(これも言葉としては後期高齢者)的態度を見せると、一挙に部下の信頼を失う。いったん失った信頼は、簡単には回復できない。「うちの上司はこういうヒトなんだ」という警戒心は、トラウマとして部下全員の心に残る。弁解したり笑ってごまかそうとしても、部下はそんな手に乗らない。
黒田官兵衛(如水)が、こんなことを言っている。
「神仏に対する過失は、祝詞やお経を上げて謝罪すれば許してもらえるだろう。しかし部下はそうはいかない。部下を傷つけたら、絶対に許しは得られない。民も同じだ」。厳しい。如水は”下意上達”のために、福岡城内に”異(意ではなく)見会”というのを設けた。藩政に関する討論会だが、ヒラの上層部批判も許した。そして上層部には、「どんなに批判されても腹を立てるな、笑顔で応ぜよ」と命じた。そのためこの会は”腹立てずの会”と呼ばれた。上層部の中には、うわべは笑顔を浮かべているが、その笑いは引きつっており、腹の中は煮えくり返っている者もいた。「よく言うよ、このヤロー。次の人事異動期を楽しみにしていろ。必ずトバしてやる」と、憎悪の言葉をつぶやき続ける上層部が必ずいたのだ。
(中略)
さて、部下の失敗に対し、上司が軽率に怒声を上げてはならないもう一つの理由は、毎年の新入社員入社式の社長のあいさつにある。多くの社長が新入社員に「失敗をおそれずに思い切って仕事をしてください」と告げている。その後に激励講演を頼まれている私は「社長はうそつきだ」と思ってきた。
(中略)
「これはどういうことだろうか」と私は考えた。そして一つの結論にたどり着いた。「社長のあいさつは、新入社員だけでなく、これを迎え入れる先輩社員、特に管理職にも告げているのだ」と。
先輩社員や管理職に何を告げているのかといえば、「新しい酒が思い切って仕事ができるような袋や容れ物としての環境作り、条件作りに努力してほしい」ということなのだ。古い言葉に「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」というのがある。新入社員は新しい酒だ。迎え入れるのは先輩が構築している皮袋だ。それを新しくしてほしい、つまり先輩側も職場改革をしてほしい、ということなのだ。
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”怒る”と、”叱る”は違う。
怒るときは、たいてい自分のため。自分の感情のはけ口を相手に求めて、すっきりする。相手を思い通りにコントロールして、安心する。相手のせいにして責任転嫁したりする。一方、叱るときは、相手のため。相手がうまく生きていけるようルールを教える。自分で考える力を養うために、質問し、考えさせる、こと。怒りたいときもあるけど、ちょっと一呼吸して、冷静になって”叱る”のがいいだろう。
大学では毎年新しい学生が入学してくる。教員の入れ替えは頻繁ではないので、教員と学生には2世代くらい(あるいはそれ以上)のジェネレーションギャップが生まれることになる。そのため新しい皮袋を用意するためには、教員側の意識をつねに新鮮な状態にしておく必要があるし、学生気質についても敏感に感じ取ることが必要だ。講義は毎年同じ内容でも、授業を受けている学生は毎年変わっていることを気に留める必要があろう。
僕らが学生のときには、スマートフォンなんてなかったし、講義は板書か教科書中心だった。それが今では、友達といつでもどこでもスマートフォンで連絡できるし、図書館に行かなくてもある程度の情報はネットで入手できるようになった。そして若者は減っているにもかかわらず、大学数は増えている。学生をとりまく環境は大きく変わっているのだ。