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輝き続ける存在

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 自分自身が輝き続けること 」(2014-10-01) をご紹介します。 2500年も前にお釈迦様は、与えらえるのを待っている人から自分で転換して、明るい方向へ歩んで来ないと幸せにはなれないことをお示しになりました。 たとえば、家族の中に一人でもお天道様のような人がいたら、その家は暗くなりません。 ところが、家族全員が求めてばかりいる人だったら、「どうして、なんで」とお互いに相手の欠点ばかりを指摘して、喧嘩が絶えない険悪な雰囲気になってしまいます。 これは会社も同じでしょう。 陰と陽というものがあるのは仕方がないけれども、自分自身は明るく生きていこうと努力をし、心がけていると、周りが「あの人のような明るい人になりたい」と思うようになる。 そう思ってもらえるのだとしたならば、とても嬉しいことであり、もっと努力してみようという心も出てきます。 しかし、あまりにも陰気な人にかまいすぎてとらわれていると、自分が疲れてしまって、いつの間にか輝きを失い、暗い闇に落ちてしまいます。 ですから、相手にお天道様のようになることを強要するのではなく、自分自身がお天道様のように、ただそこにいて輝き続けることがとても大切です。 そうして自然と周りに良い影響を与えるような人でいるのがいいでしょう。 お釈迦様が説いた真理の教えというのは、まさに野に咲く一輪の花の如く、ただそこに咲いているという在り方をしなさいということでした。 野に咲く花が「自分がきれいに咲いているのだから、あなたもきれいに咲きなさい」と説法をしているのではない。 その姿を見ることによって、相手が自ら「私もそういうふうな存在になろう」とうなずきとるというのが仏の教えです。 生きていれば日々いろいろなことが起こりますが、すべてプラスに考えて、マイナスもプラスに転じる努力をしていく。 自分がどんなに辛くても、自分に縁のあった環境の中で何事にもとらわれず、自然体で輝き続ける努力をしていくと、自分も周りも自然と幸せになっていきます。 ◇ たった一人、誰かが部屋に入ってきただけで、座がパッと明るくなるような人がいる。 いつも、陽気で、元気よく、ニコニコと笑いがある人だ。 人を喜ばせ、人に与えることばかりを考えている。 ...

地方創生、教育格差拡大に処方箋を

「 大学進学率-地域格差を見つめよ 」(2014-10-24朝日新聞) をご紹介します。 高校生の大学進学率の差が、都市と地方で広がっている。 朝日新聞の計算によると、最上位の東京(72.5%)と最下位の鹿児島(32.1%)の差が40ポイントあった。20年前とくらべると倍になっている。 これでは住む場所の違いで進路が狭まりかねない。 大学に進まない選択は、もちろんあってよい。だが、行きたくても行けない生徒が多い現実は問題だ。能力や意欲のある子が進学をあきらめるのは、本人だけでなく社会にとってもマイナスとなる。 文部科学省はこの地域間格差を政策課題ととらえるべきだ。各都道府県で国公私立別や専門分野別の進学率を世帯年収の層ごとに調べ、分析してほしい。 進学率はこの間、どの都道府県も伸びてきたが、特に大都市圏が著しい。国が02年、都市での大学増設の抑制方針を撤廃し、大学が集中した。もともと大学が多かったが、さらに通いやすくなった。 地方はどうか。大学に進みたくても数や定員が少ない。都市の大学に行くには、下宿代など親の負担が重くなる。保護者の収入が下がる折から難しい。 そこで重要なのが、地元の国立大だ。戦後、教育の機会均等を実現するために「1県1大学」以上の原則でつくられた。だが、その授業料は、入学金と合わせると82万円と30年前の倍以上まで上昇している。 最後の頼みの綱は奨学金だが、全体の9割の額を占める日本学生支援機構の奨学金は、すべてローンだ。しかも利子つきの枠が7割近くを占める。返さなくてすむ給付型はない。返せなくなると延滞金もかかる。 そもそも都市部の方が親の学歴が高く、年収も多い。地方の生徒はいくつものハンディを負っているのだ。 ことは教育にとどまらない。 大学教育を受けるのに地方が不利となると、子どもを持つ家庭や、これから産もうとする若年層が流出する恐れが高い。地方の人口はますます減る結果となるだろう。 政府の教育再生実行会議は、「地方創生のエンジン」となる教育のあり方や、これからの教育財政の方向の議論を始めた。 地元の国立大が豊かでない家庭の子に門戸を開き、地域の人材を育てる役割を持つことに改めて目を向けてもらいたい。奨学金の充実は言うまでもない。 教育は、努力次第で誰もがチャンスを得られる「格差...

子どもの貧困問題

「 道具が買えなくて部活を辞める・・・「家が貧しいから」と言えない日本の子どもたち 」(2014-10-23弁護士ドットコム) をご紹介します。 将来の日本社会をになう子どもと若者の「教育」について考えるシンポジウムが10月18日、東京都内で開かれた。教育や福祉の専門家によるディスカッションでメインテーマとなったのは、貧困家庭の子どもたちの教育問題だ。登壇した社会学者の宮本みち子さんは「子ども自身は『家が貧しい』とは絶対に言えない」「周りの大人が子どもの貧困にアンテナを張ろう」と呼びかけた。 「家が貧しい」と子どもは言えない 「内閣府からは、日本の子どもたちの6人に1人が貧困の状態にあるというデータが発表されています。また、家族からも学校からも職場からもこぼれ落ちて、困っていても相談する人がいない『社会的孤立』の状態にある人も、2000年代から急速に増えてきました」 放送大学副学長で、子どもや若者の問題にくわしい宮本さんは、このように話を始めた。 「子どもの貧困が増えていると言うと、アフリカなどの飢餓でやせ細った子どもを思い浮かべて、『そんな子どもがどこにいるんだ?』と反論する人がいます。しかし、現代日本における貧困は、アフリカのそれとは違います。 たとえば、家にお金がなくて部活の道具が買えずに、部活を辞めてしまう子がいるとしましょう。でも、子ども自身は『家が貧しいから』とは絶対に言わず、黙って辞めてしまいます。 そのため先生も友達も、その子がなぜ辞めたのか分からず、『あの子は根性がない』『努力が足りない』と受け止めるわけです。でも、その子の背景を調べれば、ただちに貧困状態にあることがわかる。そんな状態が今、日本で見られる貧困です」 社会で普通だとされている生活がおくれない経済状態は、「相対的貧困」と呼ばれている。日本の子ども6人に1人が、そんな状態にあるというのだ。 「生活保護世帯の子ども」が親から言われていること そんな子どもたちへのサポートとして、「教育支援」は大きな役割を果たしている。埼玉県職員で社会福祉士の大山典宏さんは、埼玉県の取り組みを次のように説明した。 「埼玉県では、生活保護世帯の子どもを対象とした『学習教室』を29カ所設置しています。中学3年生については、対象者の4割が通っています。そのうち、8割が母...

志を果たしに、いつの日にか帰らん

「 人口減少 田舎から教育を変えよう 」(2014-10-25朝日新聞) をご紹介します。 教育を変える風が、田舎から吹いている。各地を取材して実感したことだ。 これまでの改革は、 学校選択制 や、塾代のクーポンを渡す教育バウチャーなど、学校や教育産業の多い「都会発」が目立っていた。今は明らかに風向きが違う。 変化を感じたのは、地方の公立高校だ。いままでは、生徒の 偏差値 を上げ、都会に送り出す装置であり続けた。「ムラを捨てる学力をつけている」と批判されたこともある。それがここにきて、地域をつくる人材を育てようとする動きが相次いでいる。 キーワード は「魅力化」だ。島根の隠岐諸島にある県立隠岐島前(どうぜん)高校が使い始めた。生徒数の減少で統廃合の危機に直面したが、魅力的な学校にすれば生徒は来るはずだと、田舎の強みを打ち出す作戦に出た。少人数指導や 地域資源 を生かしたカリキュラムを売りに、生徒を全国募集。生徒数はV字回復した。これに続けと、 北海道 から沖縄まで各地の高校が、魅力化を旗印に動き出している。 これらの高校のある離島や中山間地は、人口の集中する都会に比べて遅れた地域と思われてきた。だが、少子化や人口減という視点からすると、都市より早く課題に直面した先進地である。 2040年には、全学年を合わせて30人以下の小学校が10校に1校を占めるとの推計もある。日本の学校の仕組みは明治以降、右肩上がりの時代に整えられ、一定の規模を前提としてきたが、見直しを迫られるだろう。 40人が一斉に同じ目標を目指す教育から、一人ひとりが自分の課題を持つ教育へ。教室で教える教育から、地域で学ぶ教育へ。 そこから育つのは、経済成長時代、家庭や地域を顧みなかったモーレツ社員とは違い、コミュニティーや家庭など足元のつながりを重んじ、一人ひとりの価値観を大切にする若者なのではないか。 島前高校のある海士(あま)町にIターンし、魅力化にかかわる人たちは、ちょうど100年前に発表された文部省唱歌「故郷(ふるさと)」を、歌詞を変えて歌う。「志を果たして、いつの日にか帰らん」ではなく、「志を果たしに、いつの日にか帰らん」。ふるさとは、都で功成り名遂げて帰る先ではない。自分のやりたいことに挑む場なのだ。 「 人口減少 は50年続く」と 経済財政諮問会議 ...

救おう小さな命

社説「 奪われる子の命 親を支え虐待の芽摘む 」(2014-10-17東京新聞) をご紹介します。 子どもの命を脅かす事件が絶えない。全国の児童相談所が2013年度に対応した児童虐待件数は7万件を超え過去最多に。行政や医療、地域が妊娠期から親の支援に連携し、虐待の芽を摘みたい。 親が育てられない子どもを預かる慈恵病院(熊本市)の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」に今月初め、生後間もない男児の遺体が放置されていた。 警察の調べによると、死体遺棄容疑で逮捕された無職の母親(31)は数日前、頼る者もない中でひとり、自宅で出産した。同居する両親は妊娠や出産を知らず、母親は死んでしまった男児を家に置いておけないと、自分の車で病院に運んだ、という。 遺体を置き去りにされた病院の関係者は無念だろう。相次ぐ乳児遺棄事件に心を痛めてこの7年、全国で例のない事業に奔走してきた。目前でまた一人、小さな命を救えなかった。 病院側は匿名のまま子どもを預かるという、今のやり方を変えない。名乗ることを条件にすれば、親の事情で預けられないケースが出て、救える命も救えなくなる。 厚生労働省のまとめによると、03年7月から約10年間で、虐待死した子どもは546人。ゼロ歳児は240人で約4割を占める。身体的暴力、育児放棄、生まれたまま放置など、虐待死のケースで加害者の大半は実母だ。貧困や精神疾患、夫のDV、未成年など、虐待におよぶリスクをいくつも抱え、親としてどう振る舞えばいいのかが分からない。 助けて、と声を上げられない彼女たちにこそ、妊娠時から支援の手が差し伸べられるべきだ。 小児科のある中核的病院には虐待に対応する組織が整えられつつある。産科のある病院では妊娠期から不安な人を見つけ、出産後に育児支援が必要と判断すれば、地域の保健サービスにつなぐ。全国には予算や人手不足で体制をとれない施設が多い。地域や病院間の格差とならないよう、国は予算を投じ、取り組みを加速させてほしい。 「望まない妊娠」のために妊婦検診も受けず、病院に行かずに自宅で出産する人が少なくない。名古屋市や大阪府では電話やメールで助産師が相談を受ける「妊娠SOS」を開設し、効果を上げている。 地道な取り組みが親たちを孤立から守る。児童相談所や病院、保健所、地域が、支援の窓はいつでも開かれてい...

格差拡大措置としての大学のグローバル化

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の 山本眞一 さんが書かれた 「 スーパーグローバル大学~その光と影 」(文部科学教育通信 No349  2014-10-13) をご紹介します。 大学改革と国際化の断行 先月26日、文部科学省はかねて公募・審査中であったスーパーグローバル大学創成支援事業の審査結果を公表し、東京大学や慶鷹義塾大学など37大学を支援の対象として採択した。内訳は、世界大学ランキングトップ100を目指す力のある、世界レベルの教育研究を行うトップ大学(タイプA:トップ型)として、東京大学や京都大学など13大学、これまでの実績を基にさらに先導的試行に挑戦し、わが国の社会のグローバル化を牽引する大学(タイプB:グローバル化牽引型)として、千葉大学や国際教養大学など24大学である。タイプAに採択された13のうち11大学が国立(旧帝大のすべてと筑波、東京医科歯科、東京工業、広島大学)であるのに対し、タイプBについては国立10、公立2、私立12大学が採択され、国立大学には長岡、豊橋の技術科学大学、奈良先端科学技術大学院大学のような新構想大学が、また公私立大学には会津、国際教養、国際、立命館アジア太平洋大学のように比較的近年に設立され、かつ話題性に富んだ大学が含まれているのが目立つ。 このスーパーグローバル大学創成支援事業は、安倍政権が昨年の教育再生実行会議で提言した「大学改革、グローバル人材育成」を受けて開始したものであり、今回の公募要領にもそのことが明確に触れられている。文部科学省においては「徹底した『大学改革』と『国際化』を断行」し「世界的に魅力的なトップレベルの教育研究を行う大学や、我が国社会の国際化を牽引する大学を重点支援」(募集要領)することになったとしている。政策文書としてはかなり強い決意が感じられる。 採択された大学については、今後10年間にタイプAでは最大5億円、タイプBでは最大3億円の支援金が毎年支出されるが、途中、4年目と7年目に中間評価が行われる。評価の結果によっては、事業中止を含めて計画の見直しの可能性があり、また支援金額の変動もありうる。もっとも、数百億円あるいはそれ以上の予算規模をもつ大規模大学にとっては、支援金額の多寡よりも、当該大学が支援事業に採択されたという標章効果の方が大きいはずであり...

介護制度を再生し「地方創生」につなげる

「 介護制度の立て直しこそ地方再生につながる 」(2014年10月1日 INSIGHT NOW!) をご紹介します。 前回の記事では、離れて暮らす老親の在宅介護を余儀なくされると、離職や離婚などで家庭が崩壊しかねないリスクが小さくないことをお伝えしました。 あなたの家族に忍び寄る「介護による家庭崩壊」の危機 今現在では、人手不足のために介護施設に空きがないことが、こうした在宅介護を余儀なくされる最も大きな要因です。しかしこの先、厚労省が進めようとしている「在宅介護」の重視方針が現実化すると、経済的理由から在宅介護を選ばざるを得ない家庭が随分増えるのではないかと危惧されます。介護制度財政の厳しさゆえに、コストがかかる施設介護をそう簡単に選ばせないよう、施設介護を極端に割高にする方向にじりじり切り替わっていく可能性が高いのです。その結果、大半の家族が自宅介護を選ばざるを得ないようになると、前回の記事のような悩ましい事態が多くの家庭で生じることになります。 しかもこうした「在宅介護重視」の方向に政策を持っていくことは、第二次安倍内閣の看板政策になりつつある「女性活用」というスローガンの実現を邪魔する、という大きな矛盾を生むことを指摘しておきたいと思います。 在宅介護を余儀なくされたとき、ニッポンの典型的核家族では女性に主な負担が行きがちです。せっかく長い期間をかけてキャリアを築き上げてきた共働きの妻や独身女性はもちろん、ようやく子育てから解放されて社会とのつながりを再び持とうと考え始めた主婦もまた、(本人または配偶者の)老親の在宅介護のために家に縛りつけられるとしたら、本人も不幸、家族も不幸、会社・社会にとっても損失です。それは明らかに安倍政権の掲げる「女性活用」のスローガンとも、そして人手不足に悲鳴を上げる産業界の要望とも相反します。 では男性が主として自宅介護を担えばよいのか?それでは同じことです。女性でも男性でも、働き盛りの人々が望まぬ介護離職を余儀なくされるようではいけないのです。 そもそもこの「在宅介護重視」という方向性は、財政官僚の強い要請を受けた厚生官僚による「モグラ叩き」的発想から来ていると思われます。根本課題を解決することなく、「施設介護は公共のカネが掛かるから、自宅介護にシフトさせればいい」という安易な発想です。それに加...

官民イノベーションプログラム

IDE:現代の高等教育 (2014年10月号) からご紹介します。 大学に食やねぐらを頼っているスズメたちのさえずりが、このところひときわにぎやかだ。寄ると触ると口の端に上るのが「カンミンイノベーションプログラム」。大学発のベンチャー企業で産業を活性化し、日本にイノベーション(革新)を起こしたいと、政府が2012年度の補正予算で東京、京都、大阪、東北の国立4大学に計1,000億円を投じた「官民イノベーションプログラム」のことだ。 「ダイジョウブカネ、コノジギョウ」「コンナ大金モラッテ、ダイガクガワモ困ッテルミタイダヨ」……。電線の上で、スズメたちは心配している。国の威信をかけた事業。失敗したら大学の権威と信用は失墜し、政府から大目玉を食らうだろう。結果、スズメたちの寄る辺がなくなりかねない危険性も大とくれば、かしましくもなろう。 これから起こす一文は、今年9月初めの時点での話。読者の皆さんの手元に届くころには事態は激変しているかも知れないことをお断りしたうえで、スズメのさえずりの適否に一考を加える。 「官民イノベーションプログラム」 まず仕掛けがややこしい。①国が国立4大学に計1,000億円を「出資」する(内訳は東大417億円、京大292億円、阪大166億円、東北大125億円)、②その金で各大学はファンド事業を立ち上げる、③大学はタネになる学内研究を見つけ出し、ビジネス化するためのベンチャー企業を興させる、④ベンチャー企業にファンドが「出資」する。そうして経営を始めるベンチャー企業には金融機関や個人投資家の投資も促し、産業や経済の活性化を狙う。 目指すは日本版シリコンバレーの実現。大学にはイケイケドンドンでやってもらいたい、という鳴り物入りの事業だが、何しろ仕掛けが複雑だから、取り巻くシステムも仰々しくならざるをえない。 監督官庁は経済産業省と文部科学省で、それぞれ省内に有識者会議を設けて大学から「申請」された事業計画などを審査し、ファンド事業者にふさわしければ「認定」を出す。事業内容も審査し、適正と認めれば設立・登記ができる。一方、設立されたファンドからベンチャー企業への個々の出資計画については文科省が単独で審査して認可し、事業開始後も同省でモニタリングする、という構えだ。 以上のような体制で9月初め現在、どこまで事態が進んでいる...

企業であれば当然の戦略

IDE:現代の高等教育 (2014年8-9月号) から、「 本音の大学経営 」をご紹介します。 近畿大学が2016年度に14番目の学部を東大阪キャンパスに作る。近ごろ流行の「外国語・国際系学部」で、定員は500人、1学年の後期から1年間、全員に海外留学を義務づける。帰国後は、総合大学の強みを活かし、一般教養教育や専門教育を主に英語で行う。 英語で授業を行い、全員に海外留学を義務づけている学部は、既に他大学にいくつも存在する。しかし、近畿大が面白いのは、学部の構想段階から語学教育のベルリッッと連携し、英語教育や留学先確保で同社の全面協力を得ることだ。 下手をすると、語学学校への丸投げという批判も起こりそうな戦略に、塩崎均学長の説明は明快だ。 「学部の構想段階から民間教育機関と手を組むのは異例と思うかもしれないが、ベルリッツに丸投げするつもりは全くない。あくまでも主体は近畿大だ。近畿大の実学教育とベルリッツのノウハウを融合させて、新しいカリキュラムを実現したい。入学直後の1年生の英語力を、短期間で留学できるレベルまで鍛えるノウハウも、毎年500人の留学先を確保するノウハウも、我々には十分にはないのだから」 「今春入試では、全国1の志願者数を集め、文科相の競争的資金を数多く獲得するなど、近畿大の教育・研究に対する評価は上がっている。でも、国際化への対応の遅れが大学全体の評価を下げている。国際化を進めないと3万人を超える総合大学に成長した近畿大が、アンバランスな大学になってしまう。国際系の新学部を作るのは喫緊の課題だった」 自分たちの強みを徹底的に伸ばすと共に、弱点があれば、それを強化する。そのためには外部のリソースを活用することも厭わない。企業であれば当然の戦略だ。だが、それを大学のトップが認め、実行することは容易ではない。 近畿大といえば派手な入学式でも有名だ。ある幹部は、かつてこう言った。「近畿大の新入生は不本意入学が多いからこそ、派手な入学式で帰属意識を高める必要がある」。これもまた、大学人が、外に向かってなかなか言えることではない。 近畿大は理事会ガバナンスの強い大学だ。しかも最近は躍進著しい。そんな大学だからこそ、採り得た戦略かもしれないが、実はこれからの少子化時代に最も重要なのは、本音ベースの大学経営だという気がする。近畿大の...

高等学校教育の再定義

IDE:現代の高等教育 (2014年8-9月号) から、「 平成の学制改革 」をご紹介します。 教育再生実行会議が、第5次提言「今後の学制改革の在り方について」をまとめた。自民党が打ち上げた「平成の学制大改革」を受け、昨年10月から9回の会議と5回の視察・意見交換を経て纏めた。だが、当初の意気込みは何処へやら、一部の小幅な制度改革に留まる内容だった。 答申は、①子供の発達に応じた教育の充実、様々な挑戦を可能にする制度の柔軟化、②教員免許制度改革と、質の高い教師確保のための養成や採用、研修等の見直し、③教育を「未来への投資」として重視し、世代を超えて子供・若者を支える-という構成からなる。 主な提案内容を見ると、①では、幼児教育の充実や無償教育、義務教育期間の延長、小中一貫教育学校(仮称)の制度化、実践的職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化、②では、複数の学校種で指導可能な免許状の創設、教師インターン制度(仮称)の導入、③では、教育財源確保、教育サミット(仮称)の開催などが目に付く。 この中で、最も実現性が高いのは、小中一貫教育学校(仮称)の制度化だ。小学校と中学校は学習内容や環境が大きく異なるために、学校になじめない中学1年生が少なくない。小中一貫教育は、「中1ギャップ」に効果があるとして、東京都品川区や広島県呉市などを皮切りに全国に拡大している。提言は現実を追認し、制度的なお墨付きを与えた。 ただ、それ以外の項目では、提言は一気に現実味を失う。それぞれの提言事項について、「見直しを行う」「環境整備を行う」「体制を整える-などのあいまいな表現が並ぶ。「国は小中一貫教育学校を制度化し、柔軟かつ効果的な教育を行うことができるようにする」という歯切れの良さとは対照的だ。「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化」にしても、既に中央教育審議会が似たような提案をしたが、大学や短大の反発もあって実現していない構想だ。 こうした提言になったのは、本気で学制改革を断行すれば、影響は極めて大きく、しかも巨額の予算が必要になるからだろう。例えば、義務教育の期間を延長するには、財政的な裏付けが不可欠になる。憲法26条は「義務教育は、これを無償とする」と明確に定めている。無償化と切り離して義務教育を延長することは不可能なのだ。 だが、実行会議が指摘...

学会とは「知的闘争の場」

IDE:現代の高等教育 (2014年8-9月号) から、「 学会のマナー 」をご紹介します。 6月末に開かれた高等教育学会を覗いて、とても気になる場面があった。2時間の自由研究発表で、5人の発表があった。持ち時間は1人20分、15分で発表を終え、5分の質疑応答。100分で5人全員の発表を終えた後に、20分の総括討論を経て終了というスケジュールである。 旬のテーマだったので、初日の朝一番の発表にしては傍聴者も多く、それぞれの発表もそれなりに聞き応えのある内容だった。ただ、決められた15分で発表を終え、その後の質疑に応じた発表者は1人のみで、他の4人は20分全部を発表に使ってしまい、質疑に回す時間がなくなった。傍聴者は最後の総括討論まで、4人に質問をしたり議論する機会はなく、総括討論も時間不足なまま尻切れトンボの印象だった。 さすがに、司会者も気になったのだろう。「あえて、発言者に苦言を呈するが、研究発表は講演会ではない。研究成果を発表し議論をして、それを元にさらに研究を進めていく場だ」。こんな趣旨の注意をしていた。 実は、過去にも、教育社会学会で似たような体験をしたことがある。発表を終えた大学院生が、「用事があるから」と言って、総括討論に残らず、退出してしまったのだ。 前回のことも思い出しながら、改めて学会発表とは何なのだろうかと考えた。他の学会の事情はよく知らないが、高等教育学会では本人が申請すれば、中身の出来不出来にかかわらず発表の機会が与えられる。 だからこそ、発表の後の議論は重要だ。発表者の問題設定は適切なのか、分析手法に問題はないのか、得られた結論は正しいのか……。傍聴者と議論を闘わす中で、研究の質が問われ、磨かれて、そこから次の研究への道標が得られる。自説を言い放しで終わるのならば、個人のプログや政見放送と似たようなレベルといわれても仕方ない。 確かに、伝えたいことがたくさんあるのに、与えられた時間が少ないという悩みは理解できる。だが、研究者同士で壮絶な知的ファイトを展開する場面がなくなったら、学会の意味はない。 こんな事を知り合いの研究者と話していたら、「最近は業績評価が厳しいので、とにかく学会発表をやりたがる傾向がある」「学会費を払っているのだから研究発表は権利だと考える若手もいる」などという自虐的つぶやきを聞いた。も...

グロ・イノ人材以外は要らないのか

IDE:現代の高等教育 (2014年7月号) から、「 グロ・イノ人材だけでいいの? 」をご紹介します。 ある著名な経済人が、国の審議会でこんな趣旨の発言をしていた。 「今、日本が育てるべき人材は二つある。異文化を理解し、英語で自分の考えを表現でき、世界を舞台にリーダーシップを発揮できるグローバル人材。そして、博士課程を修了した専門家や企業家などイノベーション(技術革新)を起こすことができる人材だ」 別に目新しい内容ではない。わざわざ言われなくても、国はとっくにそちらに舵を切り、グローバル人材とイノベーション人材、略して(略す必要もないけれど)グロ・イノ人材を育てるべく、主にその舞台となる大学に鞭打っているようにみえる。時に、「1大学5億円」という巨大なニンジンを鼻先にぶら下げ、「世界ランキングトップ10に入れ」なんて号令を出したりもして。 今、学生でなくてよかった、と思うのはこんな瞬間だ。生来の怠け者にはきつい空気が、キャンパスにも醸成されているからだ。まるで、グロ・イノ人材以外は要らない、とまで言われているように感じる場面もある。 先日、ある私立大学の非常勤講師のゼミを取材した。その大学では、高校時代まで勉強をしたことがない学生が大半を占め、1年生はまず学ぶ意欲を起こさないことには授業も進められない。そこで1年生のゼミを必修にし、新聞や短い文章を教材に読み書きの基本を学び、学ぶ習慣づけをしようとしている。ところが、多くの教員はそうした現状の改善に真剣に取り組まず、学生を小ばかにしている風潮がある。 その思いが学生に伝わり、教室の雰囲気はいつも殺伐としていて、授業中に立ち歩いたり大声で話したりの「学級崩壊状態」になっているのだという。 足を運ぶと、なるほど昼休み直後の時間ということもあって、ゼミの空気はダレ切っていた。チャイムがなっても学生はほとんど集まってこない。着席していてもまた「トイレ」と言って廊下に出てしまう。戻ってくると、隣の学生とおしゃべりを始める。 その姿に、そもそもなぜ大学にきているのだろうと疑問に感じ、尋ねてみた。いかにもヤンキーという金髪の男子学生は父親の命令だったという。建築業の現場で働く父親は、中学校しか出ていないため、苦労したそうだ。「親父は怖いから、言われた通りにした」とふてくされたような顔で話していた...

「思考停止」は卵の「殻」

IDE:現代の高等教育 (2014年7月号) から、「 みんなと同じ 」をご紹介します。 先日ある学会の討論の場で、一人の国立大学教員が「最近の学生は思考停止している」と発言した。討論やグループワークを盛り込んだ授業でそれなりに「考えている顔」は見せるが、話を聞いてみると考えていないことがわかる、そもそも考えるという習慣が身についていないのではないか-という指摘に、ともにテーブルを囲む40人ぐらいの大学教職員は、なるほど、と大きくうなずいていた。 その光景を見ながら、東日本大震災の被災地、福島県の農村で出会った一人の大学院生の女性の姿を思い浮かべた。 早朝からひどい雨で、時々、雪も混じる寒い日だった。彼女は、教員や後輩の学生と一緒に、レインコートに長靴といういでたちで畑に座り込み、土や枯れた農作物を採取したり、土中の水分に含まれる化学物質を調べたりの作業に追われていた。 セシウムを吸収しない栽培法を研究し、原発事故で農業を再開できない農家の人たちを助けたい。その思いで2年以上、毎月、貯金を取り崩しながら通っているのだという。 顔も手も泥だらけになるのもいとわず、思いを語る姿に感銘を受け、その活動を書かせてもらいたいと話した。快諾してくれた。 ところが後日、彼女に電話をし、明日の紙面で記事が掲載されることを伝えたところ、意外な一言が返ってきた。 「私の年齢だけは書かないで」 大学に入るまでに2年浪人しているが、そのことは友だちや研究室の仲間にすら明かしていないというのだ。「修士1年で25歳は、おかしいじゃないですか」。電話の向こうの声は必死だった。 「おかしい」-その言葉が耳に残った。毎月被災地に通い、泥だらけになりながら調査を続けるという、だれにでもできるわけではない尊い活動を続けながら、なぜ、みんなと同じでいたいと望むのか。 「同じでいたい」は、言ってみれば思考停止だ。自ら考え、判断し、行動することは不要で、隣の人のふるまいをまねればいいだけ、そこには思考は働かない。 だがもしかすると、私たちはそれが当たり前の世界に生きているのかもしれない。何しろ、年齢で「すべきこと」が決められているのだから。6歳に始まる義務教育、その後は高校に進み、18歳で大学に入る。3年生になったら就職活動を始め、就職する。女性の場合はさらに、30...

大学はどこへ行く

朝日新聞の 天声人語「大学はどこへ行く」 (2014年10月18日) をご紹介します。 下宿生活といえば、『 男おいどん 』という漫画を思い出す。松本零士(れいじ)さんが1971年から連載した出世作だ。主人公は九州から上京した苦学生、大山昇太(のぼった)。4畳半の部屋で貧乏に耐える。 洗濯していないパンツの山から、サルマタケというキノコが生えている。悩める青春、身ぎれいさからは遠い。村上春樹さんの『 ノルウェイの森 』が描く60年代末の都内の学生寮もまた、〈男ばかりの部屋だから大体はおそろしく汚い〉。 今の下宿暮らしはそんな哀感とは無縁だろうか。そもそも下宿生の割合が減っているらしい。実家から通える範囲で進学先を選ぶ傾向だ。都内のある私大ではこの10年余で自宅生が約1割増え、7割近くになった。 先日の本紙の報道によれば、大都市と地方の間で大学進学率の差が広がっている。一番高い東京と最下位県との差は40ポイントで、20年前の2倍。親には子を都会に送り出す余裕が乏しい。といって地元には通う先が少ない。大学が集中する都会との格差が拡大していく構造が見えてくる。 大学改革の方向も格差容認に傾いていないか。文科省は先日、「 スーパーグローバル大学 」を選んだ。旧帝大や早慶など37校が並ぶ。最大5億円の支援金を受け、世界の大学ランキングの100位以内を目指す。大学間の、そして都市と地方の間の溝がさらに深まる懸念がある。 選別する目的は経済成長であり、国際競争力向上という。勝ち組をもっと勝たせようという競争至上主義の発想であるなら、末恐ろしい。

首相発ではない地方再生を

ブログ「 外から見る日本、見られる日本人 」から 「 地方の時代、私ならこう考える 」(2014年10月07日) をご紹介します。 10月4日の日経夕刊のトップは「人口減 もがく自治体 移住・子育て支援、『消滅可能性都市』4割が予算増、『成果』2割どまり」とあります。つまり、地方再生に対して今一つ、成果がない、という事でしょう。安倍首相は今国会で地方再生を主題としようとしています。しかし、今のところ、これという決め手になるような話題は聞こえてきません。 日経によると地方都市が対策として打ち出しているものとして空き家対策、雇用場の確保、移住者積極的受け入れ、給付金、PR広報、Uターン促進といったものが並んでいます。個人的には全部、付け焼刃的な気がします。 地方の根本問題は若い人が都会に出てしまい、年齢構成が非常に悪いことが主因の一つだと思います。何故都会かといえば仕事と刺激を求めるわけです。ご近所は高齢者ばかりで子供の友達すらおらず、集落内のどこどこの誰ちゃんの噂話は家族内部情報よりも早かったりすれば若い人には居心地が悪いでしょう。 とすれば、まず、集落や町に年齢ミックスを作り上げなくてはいけませんが、今さらUターンといっても都会の高層ビルから田舎暮らしとなって何が不安といえば仕事がない、というのが私の知る30-40代の人たちの声であります。物価が安ければよい、空気がきれいならよい、広々とした家…といった魅力は一部の人には刺激になるでしょうが、本質的ではなく付随的理由な気がします。 私が以前から成功例として注目していたところをご紹介します。それは徳島県の神山町。グーグルの地図を見てもらえば分かりますが、徳島から剣山に向かって30キロも行く果てしなき田舎であります。私も四国はかなりぐるぐる回っていますが、ここはさすが山奥過ぎて行ったことがありません。しかしそこにはITベンチャーが9社も立ち上がったとか。 なぜ、徳島かといえば私の記憶が正しければ「一太郎」のソフトで有名なジャストシステムが徳島発であったことが大きな理由だったと思います。徳島とITというある意味、もっとも結びつきが少ない関係、ITと田舎という相反する関係が実はキーだったという事になります。そして、徳島県は200億円もかけて県内のすべての集落に光ファイバーを敷くのです。恐ろしいほど...

地(知)の拠点大学による地方創生事業

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関係者の皆様におかれては、既にご案内のとおりですが、文部科学省所管の平成27年度概算要求の中に、「 地(知)の拠点大学による地方創生事業 」(80億円)という新規事業が盛り込まれています。 要求上の位置づけは、いわゆる「優先課題推進枠」要望となっていますが、この事業は、元々平成25-26年度の「地(知)の拠点整備事業」を組み替えた事業ですし、「地方創生」は、安倍政権の目玉政策の一つですので、予算編成過程で、要求事項そのものが無くなることは考えにくいところです。 最終的な予算規模や、具体的な選定スキームが未だ明らかではありませんが、既に公表されている以下のような資料に書かれたポイントを念頭に、情報収集、関連機関との調整、そして構想案の作成など、申請準備への早期着手が肝要です。 (参考1) 地(知)の拠点整備事業(大学COC事業)(文部科学省) (参考2)平成25年度 地(知)の拠点整備事業 採択大学一覧(国立大学) 単独申請 小樽商科大学 地域と共創する北海道経済活性化モデルと人材育成 岩手大学 地域と創る"いわて協創人材育成+地元定着"プロジェクト 宮城教育大学 宮城協働モデルによる次世代型教育の開発・普及 秋田大学 一人ひとりを大切にし、自立した高齢社会に向けた地域づくり 山形大学 自立分散型(地域)社会システムを構築し、運営する人材の育成 福島大学 原子力災害からの地域再生をめざす「ふくしま未来学」の展開 宇都宮大学 とちぎ高齢者共生社会を支える異世代との協働による人材育成事業 干葉大学 クリエイティブ・コミュニティ創成拠点・千葉大学 金沢大学 地域の感性を備えた人材を育て社会を繋ぐ「地(知)」の拠点 福井大学 地域を志向して人を育み、地域を活かす福井の知の拠点づくり 信州大学 信州を未来へつなぐ、人材育成と課題解決拠点「信州アカデミア」 岐阜大学 ふ清流の国、地x知の拠点創成:地域にとけこむ大学 京都大学 KYOTO未来創造拠点整備事業-社会変革期を担う人材育成 鳥取大学 知の発展的循環プロセスの構築による地域拠点整備事業 島根大学 課題解決型教育(PBL)による地域協創型人材養成 広島大学 平和共存社会を育...

研究費不正使用に係る間接経費の削減

過日改正された「 研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドライン(実施基準) 」では、「組織の管理責任の明確化」に係る取組として、機関における不正調査の最終報告書提出の遅延や体制整備の不備に応じて競争的資金制度における 間接経費措置額の削減 を行うこととされています。 (関連記事) 「研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドライン(実施基準)」の改正について(文部科学省) 文部科学省研究振興局長名で、「 間接経費措置額の削減割合の基準等 」が、各大学長等宛に通知されていますのでご紹介します。 ◇ 1 体制整備に不備がある機関に対する間接経費措置額の削減について(ガイドライン第7節) (1)間接経費措置額の酬減基準について ガイドラインの第7節における「履行状況調査」及び「機動調査」の結果に応じて付与した「管理条件」(改善事項)について、文部科学省がその翌年度から実施する「フォローアップ調査」において履行が認められないと判断した場合は、「フォローアップ調査」の翌年度から表1のとおり間接経費措置額の一定割合を削減することとする。 また、文部科学省が実施する「履行状況調査」及び「機動調査」の結果、機関における体制整備に重大な不備があると判断した場合又は機関における体制整備の不備による不正と認定した場合は、管理条件(改善事項)を付与するとともに、その翌年度から表2のとおり間接経費措置額の一定割合を削減することとする。 (表1)「フォローアップ調査」の翌年度から間接経費措置額を削減する場合 「フォローアップ調査」の結果、「管理条件」(改善事項)の履行が認められない回数に応じた削減割合は、 1回→5%、2回→10%、3回以上→15%(表形式を小生において加工) (注)間接経費措置額の15%の削減措置を講じている年度の「フォローアップ調査」において、管理条件(改善事項)の履行が認められない場合は、翌年度以降の競争的資金の配分を停止する。 (表2)管理条件(改善事項)付与の翌年度から間接経費措置額を削減する場合 「フォローアップ調査」の結果、「管理条件」(改善事項)の履行が認められない回数に応じた削減割合は、「管理条件」(改善事項)付与の翌年度→5%、1回→10%、2回以上→15%(表形式を小生において...

学校教育法・国立大学法人法等の改正に関する説明会

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過日、大学のガバナンス改革を促進することを目的とした「学校教育法」及び「国立大学法人法」の改正等についてご紹介しました。 (過去記事) 学長を育てる(2014年9月21日) このたび、これらの改正を受け文部科学省が主催した「 学校教育法及び国立大学法人法等の改正に関する実務説明会 」の様子がyoutubeで公開されましたのでご紹介します。 【 法律改正の概要について 】 【 学校教育法改正の詳細について 】 【 国立大学法人法改正の詳細について 】

美しい日本語

池上彰の大岡山通信 若者たちへ 「 異国の地で知る日本語の美しさ~ロシアからの報告 」(2014-09-29日本経済新聞) をご紹介します。 私たちはふだん、どれだけ意識して日本語を使っているでしょうか。美しい日本語を話そうとしているでしょうか。 そんな自戒をするきっかけを与えてくれる言葉に出合いました。ロシア・ウラジオストクでの出来事です。 「日本語は音楽のよう…」 今月初め、ロシアのハバロフスクやウラジオストクを取材しました。ウラジオストクの町は、2012年に開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に合わせて再開発が進みました。地元の極東国立大学と3つの大学を統合して極東連邦大学が誕生し、APECの会場を、そのまま大学の一部としました。 この大学の国際関係学部に日本語学科があります。日本語を学ぶロシアの若者は、どんな動機なのでしょうか。 私がインタビューした学生の多くは、親が日本との貿易に関係していて日本語の習得を勧められたとのことでしたが、1人の女子大生は違いました。 (学生) 「日本語は音楽のように美しい言葉なので、勉強したかったのです」 仰天しました。 私たちが日常話している日本語が、この女子学生には音楽に聞こえたのです。 で、勉強してみて、どうでしたか。 (学生) 「やっぱり美しい音楽だと思いました」 思わず頭(こうべ)を垂れてしまいます。私たちは、美しい音楽を奏でているでしょうか。 日本文学を学んでいるというので、好きな作家を聞くと、川端康成の名前が。なるほど。これは定番。『伊豆の踊子』かな『雪国』かな? (学生) 「『山の音』です」 これまた絶句。 60歳を超え、老いを自覚するようになった実業家が、深夜に響く山の音を死の予告と恐れながらも、なおも恋心を燃やすという小説は、外国の女子大生には(日本の現代の学生にも)、理解が困難ではないかと思えるのですが。 川端文学の本質を示すのは、実はこうした作品群なのだと私は思っていましたから、そこまで把握している理解の深さに感動してしまいました。 造詣の深さ、恐るべし 気を取り直して、もう一問。他に好きな作家はいるかな? 「ハルキ・ムラカミ」の名前が出てほっとしたのですが、次に出た名前は円地文子でした。 村上春樹は、「ハル...

本気で学生に向き合うプロ

IDE:現代の高等教育 (2014年8-9月号) から、「 未来を駆ける高校生 」をご紹介します。 いつの時代にも、同じようなつば迫り合いがあったのだろうと思う。大人たちは勝手な思い込みと的外れな妄想を膨らませ、一方的に決め事をする。心優しい子供たちは、それが良かれと思う親心に発することを重々承知している。空気を読む力に卓越したイマドキの高校生にとって、周りの大人を喜ばせるための演技などお手のもの。もちろん、物柔らかなうわべとは裏腹に、自分たちの大切な未来を生贄に捧げるような愚は冒さない。 大学選びもまた、例外ではない。中退率や就職率など、大学の情報公開を巡って議論が続けられている。経営計画に即した独自の位置づけのもとで、これらの数値をKPI(重要業績評価指標)として活用することは、いまや大学マネジメントの常識である。しかしながら、これらの数値の背後にある多義性や個別事情、画一的解釈がもたらす副作用等について考慮することなく、その一般公開を強制する政策に対しては懐疑的とならざるを得ない。無責任な放任の末路と、次世代を底支えするという使命感に基づく困難なチャレンジに必ず付随する限界としての中退とでは、意味するところは全く異なるからである。数字が一人歩きすることの問題性は、大学ランキングに対する批判のなかで繰り返されてきたではないか。 では、中退率など抽象的かつ高い多義性を有する数値の公開を義務づけることで、質保証に関わる責任から解除されるのか。高校生は、この実り少なき議論には全く見向きもせず、無機的な数値からは決して伺い知ることのできない生きた情報を、自分の足で収集する。過度の情報縮減を伴う数字を鵜呑みにしてはいけない、という情報リテラシー教育も、少しは貢献しているかもしれない。 高校生が本物の情報を収集するための絶好の機会となっているのが、オープンキャンパスである。このイベントを支える学生スタッフは、後輩に対して嘘をつかない。舞台となる大学では、正課を担う教員が活躍している。教員に加えて、少数ながらも学生のために本気で仕事に取り組むプロもいる。どのような困難な状況に陥っても、決して逃げることなく、当の学生が自己解決に辿り着くまで徹底的に寄りそう「人生の達人」。学生と共によりよい大学を創るべく、高度のノウハウと富裕なリソースを惜しみなく投入し動き続け...

教授会の生き方

IDE:現代の高等教育 (2014年10月号) から、「 学長対教授会? 」をご紹介します。 学校教育法が改正され、学長のリーダ一シップと教授会の法的位置付けが明確化された。これで大学改革が進むとなれば結構なことなのだが、学長の力が強くなりすぎるのではないかと危惧する声がある一方で、一番喜びそうな当の学長のなかから、逆に教授会の弱体化を危惧する声を聞く。なぜなのか。 確かに、学長が何か事を進めようとすると、その都度教授会の了解を取り付けなければならない。学校教育法の「重要事項を審議する」という現行規定が想定する範囲を、相当逸脱した実態にある大学は今なお少なくないと言ってよさそうだ。しかし、もしそうであれば、逆にいえば学長の能力差はあまり問われなくて済んだ、という見方もできなくはない。これからは、単純に教授会のせいといって済ますわけにはいかなくなる。改革が進まなければ、学長の責任がストレートに問われることになる。面倒な教授会が急に愛おしく思えてきた、ということかもしれない。しかし、事はそう単純でもなさそうだ。 教授会の実態は外からは見えにくい。しかも大学は多様だ。以前とはすっかり状況が変わった、という大学も少なくないだろう。同じ大学の中でも、学部によって雰囲気がずいぶん違うという話もよく聞く。アンケート調査などではよく見えない部分を含め、改革が進まないのは教授会があるからというよりも、実は別のところに原因があるというケースが少なくないのではないか。それにもかかわらず、学長のリーダーシップの最大の障害が取り除かれたのだからこれで問題が解決するはずと期待されても困る、ということかもしれない。 大学改革は、大学が社会の期待に応えて、その教育研究の成果をより適切に社会に還元する、ということのためにあるのだろう。それは、大学が就職準備機関になることでも、産業技術開発機関になることでもない。ましてや、ランキングを上げ、多くの学生を集めてシェアを拡大することでもない。では何をもって社会の期待に応えるのか。その方針を示すのが学長のリーダーシップの中核だろう。今の時代、それは容易なことではない。 だとすれば、学長のリーダーシップに最も必要なものは、その大学が抱える専門家集団の知恵であり、それを生むのが教授会であるはずだ。あきらめムードの漂う無気力な教授会では、学長...

中教審軽視の大学ガバナンス改革

IDE:現代の高等教育 (2014年7月号) から、「 拙速な大学改革案の審議 」をご紹介します。 2014年4月25日に、大学ガバナンス改革をめざす学校教育法改正案が閣議決定された。法案の成立の可否はこの稿が刊行されるときには明らかになっているだろう。法案そのものの内容についても検討する余地はあると思うが、ここで記しておきたいのは、この法案に関連する中教審の審議と立法過程についてである。詳細な検証は、高等教育政策研究者に委ねたいが、中教審の審議はすべて発言者名を含めて公開されているので、客観的に検証することが可能である。以下、議事録から審議の経緯をみたい。 この問題は、中教審組織運営部会では大学ガバナンスの問題として、2013年6月から12月まで7回審議された。審議の中で教授会を諮問機関にという委員の提案があるが、複数の委員はこれに反対しており、賛成する意見はみられない。また、続く12月の大学分科会では、学校教育法改正には賛成の意見は複数見られるが、諮問機関化の提案に対して、反対意見が特に大学関係者から出されている。しかし、12月の総会では、諮問機関化が再び提案されており、これについて文部科学大臣は、検討させていただきたいとしている。その後2月の大学分科会については、現時点では議事録が公開されていないので、どのような審議がなされたか不明である。2月や3月の総会では目新しい点は見られない。こうした中教審の審議の末、学校教育法改正案は、閣議決定されたのである。 以上が議事録から見た中教審の審議の経過であるが、学校教育法改正について、とりわけ教授会の諮問機関化について、委員の意見は必ずしも一致していないことは明らかである。しかし、このような中教審の審議とは別に、この法案については、首相の私的諮問機関である教育再生実行会議が主導的な役割を果たしているように思われる。既に、2013年5月の「これからの大学等の在り方について(第3次提言)では「教授会の本来の役割を明確化するとともに(中略)…学校教育法等の法令改正の検討」が提言されている。 さらにいえば、それ以前の政府の「骨太方針」や「新再興戦略」や文部科学省「教育振興計画」にも大学ガバナンスの改革が提案されており、現にこれらの動向については、第1回の組織運営部会に資料として配付されている。また、これらと並行...

公正な研究の推進に向けて

理化学研究所における小保方問題など、近時、研究活動における不正事案が後を絶たず、大きな社会問題になっています。 この間、文部科学省では、「研究活動における不正行為」や「研究費の不正使用」に関する防止策についての検討が行われ、特に、研究活動における不正行為への対応については、以下のように、副大臣をトップとするタスクホースや、ガイドラインの見直し・運用改善等に関する協力者会議における検討を経て、このたび、ようやくガイドラインの見直しが行われたことはご案内のとおりです。 (文部科学省における検討の経緯) 「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース中間取りまとめ」(平成25年9月26日 文部科学省) 「公正な研究活動の推進に向けた「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」の見直し・運用改善について」(審議のまとめ)(平成26年2月3日 文部科学省) 「研究費の不正使用、研究活動における不正行為の防止について」(「平成27年度科学研究費助成事業公募要領等説明会」等資料)(文部科学省) 「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(平成26年8月26日 文部科学大臣決定) (関係機関による提言等) 声明「科学者の行動規範-改訂版-」(平成25年1月25日 日本学術会議) 「科学研究における不正行為の防止と利益相反への適切な対処について」(平成25年7月23日 日本学術会議会長談話) 「研究活動に係る不正行為及び研究費の不正使用の防止に向けて」(声明)(平成25年8月9日 国立大学協会) 提言「研究活動における不正の防止策と事後措置-科学の健全性向上のために-」(平成25年12月26日 日本学術会議) 「研究不正行為への実効性ある対応に向けて(案)」(平成26年9月19日 総合科学技術・イノベーション会議配付資料) また、先月末には、東京と大阪を会場として、文部科学省によるガイドラインに係る説明会が開催され、出席者から入手した情報によれば、主に次のような内容の説明が行われています(ほぼ配付資料の内容と重なっておりますが)。 なお、新たなガイドラインは、平成27年4月1日から適用され、平成27年3月31日までをガイドラインの適用のための「集中改革期間」とし、大学等の研究機関は、期間内にガイド...

日本人は何と不幸なのだろか

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 日本に生まれただけで幸せ 」(2014-09-23) をご紹介します。 「日本人に生まれただけで幸せ」という私の意向に疑問を感じる愛すべき人のために、少し触れておきたいことがある。 国連世界食糧計画(WFP)の調査によれば、現在世界の死因の第一位は「飢餓」である。 約70億といわれる世界人口のうち10億人近くが飢餓に苦しみ、毎日平均2万5千人もの5歳未満の子供が飢餓を原因とする病気で死亡する。 時間に直すと6秒にひとりの子どもが、飢えを原因として命を失っているのだ。 ちなみに、日本の5歳未満の乳幼児の死亡率は1千人中6人。 その死因は病気や事故、虐待であって、飢餓ではない。 あなたはこれまでの人生の中で、餓死しそうになった経験があるだろうか。 あるいは、身近に餓死した知り合いがいるだろうか。 先の戦争を経験した世代を除けば、イエスと答える人はほとんどいないと思う。 日本人はたとえホームレスになったとしても、自分で普通に体を動かせる限り、餓死する心配はほとんどない。 残念なことに、GDP世界一の我が母国アメリカ合衆国といえども、最下層では餓死が十分あり得る。 あなたは、日本人として生まれただけで幸せなのである。 あなたが今、自分のことを不幸だと感じているとしたら、その最大の原因はあなたの視野と度量にある。 それは目の前の幸せな現実が見えないからである。 ほんの少し視野を広げるだけで、自分は幸せだと気付くことが出来る。 そうすれば身辺や目先に多少の問題を抱えていたとしても、解決に向けて積極的に行動することができる。 広い世界の現実を知れば、自分がいかに小さな問題で悩んでいるのかに気付くことになる。 日本語が読めるというだけでも、実にありがたいことである。 子どもの頃、学校も勉強も大嫌いだった人もいるだろう。 しかし、日本の義務教育制度の恩恵を受けたからこそ、基本的な日本語の読み書きには不自由しないし、恐らく掛け算の九九も暗記しているだろう。 ニジェールなどアフリカ南部の貧しい国では、2人にひとりの子どもが勉強したくとも小学校にすら通えない。 ネパールでは1日に100円にも満たない収入を得るために、学校にも行けず過酷な労働を選択せざるを得ない...

蓮の花は、にごった泥の中でしか咲かない

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 キズのあるリンゴ 」(2014-09-18) をご紹介します。 青森へ行った帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。 キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。こちらが、 「キズのあるリンゴの方が甘いんですよね」 と言うと、おばあさんが、 「東京のひとのようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています」 という意味のことを土地の言葉で言った。 うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。 キズのついたリンゴ。 なんとかそれをかばおうとして、力を出すのであろう。 無キズのリンゴよりうまくなるのである。 キズのないリンゴだってなまけているわけではないが、キズのあるリンゴのひたむきな努力には及ばないのか。 人間にも似たことがある。 試験を受ければ必ず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。 他方では落ちてばかりいる凡才がたくさんいる。 もちろん、秀才の方がえらくなるけれども、落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、かつての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。 若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。 しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。 ちょっとした失敗は人間ならだれしもあることだが、失敗したことのない秀才、エリートは、なんでもないミスで破滅したりする。 K氏は大組織のトップであった。 その前は官僚として最高のコースをのぼりつめた大物だった。 あるとき、その組織でちょっとしたトラブルがおこった。 K氏は「私は相談を受けていない。知らなかった」と言った。 責任回避。 トップに相談しないで、できることではないのは内部の者には明々白々である。 しかし、苦労を知らないK氏は、もっともまずい、言いのがれをした。 たちまち一般からの非難を浴び、やめたくないポストを投げ出さざるを得なくなった。 失敗を知らない、すばらしい経歴がアダになったのである。 K氏は幸福すぎたために不幸になった。 H氏は家が貧しく、小学校すらロクに出なかった。 昔だから、そんなことが許されたのであろう。 両親が早く亡くなり、いろいろつらい目にあいながら、二十歳になる...

サービスのモノ化

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 製造業のサービス業化とサービス業の製造業化 」(2014-09-19) をご紹介します。 サービス業のリーディング・カンパニーといえば、ディズニーランドを想起する人は多いだろう。 オリエンタルランドが経営する東京ディズニーランドリゾートの収入を見ると、日本独自のビジネス手法が見えてくる。 東京ディズニーランドの2013年の売上高は3298億円で、その内訳はアトラクション・ショーの収入が約43.6%、商品販売収入が36.4%、飲食販売収入が約18.8%、その他の収入が1.2%という構成になっている。 米国を始めとする海外のディズニーランド関連施設と比較して、日本ではキャラクター・グッズに代表される商品販売の売上構成比が非常に高い。 日本人は、どこかに出かけるとお土産を購入することが多い。 リピーターの構成比が高い東京ディズニーランドであっても、人々がグッズをたくさん購入していることがわかる。 もし、東京ディズニーランドがキャラクター・グッズに力を入れていなければ、売り上げの4割近くを失ってしまうことになる。 サービス業における「モノづくり」が、いかに企業の収益に貢献するかがわかる。 日本のGDPに占める製造業の割合は年々低下し、2008年の段階ですでに19.8%と2割を切っている。 一方で、同年のサービス業の比率は70%を超えている。 これを額面通り受け取ると、製造業に代わって、サービス業が日本を牽引する産業になっているように考えられそうだが、それは一面的な見方だ。 これまでの日本の産業構造と成長の軌跡から考えると、日本に必要な視点は「製造業はサービス業化」を図り、もう一方で「サービス業は製造業化」に取り組むことにある。 日本の製造業は単にモノを製造し販売するだけでなく、モノの製造から生み出された知的資産をモノ化(モノの製造からソフトウエアやシステムを生み出し、それをモノ化する)させるところから始まった。 続いてモノとサービスを組み合わせたビジネスモデルが考案された。 さらに、製造業は自社の資源(ブランドやノウハウ)を生かしてサービス業に進出している。 近年、製造設備を持たず、製品の企画設計やマーケティングだけを自社で行い、製造は外部に委託するアップル社のよう...