私たちはふだん、どれだけ意識して日本語を使っているでしょうか。美しい日本語を話そうとしているでしょうか。
そんな自戒をするきっかけを与えてくれる言葉に出合いました。ロシア・ウラジオストクでの出来事です。
「日本語は音楽のよう…」
今月初め、ロシアのハバロフスクやウラジオストクを取材しました。ウラジオストクの町は、2012年に開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に合わせて再開発が進みました。地元の極東国立大学と3つの大学を統合して極東連邦大学が誕生し、APECの会場を、そのまま大学の一部としました。
この大学の国際関係学部に日本語学科があります。日本語を学ぶロシアの若者は、どんな動機なのでしょうか。
私がインタビューした学生の多くは、親が日本との貿易に関係していて日本語の習得を勧められたとのことでしたが、1人の女子大生は違いました。
(学生) 「日本語は音楽のように美しい言葉なので、勉強したかったのです」
仰天しました。
私たちが日常話している日本語が、この女子学生には音楽に聞こえたのです。
で、勉強してみて、どうでしたか。
(学生) 「やっぱり美しい音楽だと思いました」
思わず頭(こうべ)を垂れてしまいます。私たちは、美しい音楽を奏でているでしょうか。
日本文学を学んでいるというので、好きな作家を聞くと、川端康成の名前が。なるほど。これは定番。『伊豆の踊子』かな『雪国』かな?
(学生) 「『山の音』です」
これまた絶句。
60歳を超え、老いを自覚するようになった実業家が、深夜に響く山の音を死の予告と恐れながらも、なおも恋心を燃やすという小説は、外国の女子大生には(日本の現代の学生にも)、理解が困難ではないかと思えるのですが。
川端文学の本質を示すのは、実はこうした作品群なのだと私は思っていましたから、そこまで把握している理解の深さに感動してしまいました。
造詣の深さ、恐るべし
気を取り直して、もう一問。他に好きな作家はいるかな?
「ハルキ・ムラカミ」の名前が出てほっとしたのですが、次に出た名前は円地文子でした。
村上春樹は、「ハルキ・ムラカミ」と発音しましたが、円地文子は、日本語の語順で「エンチ・フミコ」と発音しました。
まさかロシア極東の地で円地文子について語り合うことになるとは。
で、円地のどんな小説が?
(学生) 「『女坂』です」
うむむ。この日本文学への造詣の深さ、恐るべし。
いまどきの日本で、円地文子のことを知っている学生がどれほどいることか。
まだ学部の4年生だというのに、日本語は流暢(ちょう)でした。私には、彼女が発する日本語こそが音楽に聞こえたものです。
思い返せば、私の大学時代は、トルストイやツルゲーネフ、ドストエフスキーに傾倒。ロシア人作家の人間観の深さやロシア社会の複雑さに圧倒されました。
いわばその逆バージョンだと考えれば納得はできますが、この教養の深さに、さて、日本の学生は太刀打ちできるのでしょうか。「ヤバイ」「マジっすか」という日本語を常用している学生たちの姿を思い出してしまいました。