IDE:現代の高等教育(2014年8-9月号)から、「未来を駆ける高校生」をご紹介します。
いつの時代にも、同じようなつば迫り合いがあったのだろうと思う。大人たちは勝手な思い込みと的外れな妄想を膨らませ、一方的に決め事をする。心優しい子供たちは、それが良かれと思う親心に発することを重々承知している。空気を読む力に卓越したイマドキの高校生にとって、周りの大人を喜ばせるための演技などお手のもの。もちろん、物柔らかなうわべとは裏腹に、自分たちの大切な未来を生贄に捧げるような愚は冒さない。
大学選びもまた、例外ではない。中退率や就職率など、大学の情報公開を巡って議論が続けられている。経営計画に即した独自の位置づけのもとで、これらの数値をKPI(重要業績評価指標)として活用することは、いまや大学マネジメントの常識である。しかしながら、これらの数値の背後にある多義性や個別事情、画一的解釈がもたらす副作用等について考慮することなく、その一般公開を強制する政策に対しては懐疑的とならざるを得ない。無責任な放任の末路と、次世代を底支えするという使命感に基づく困難なチャレンジに必ず付随する限界としての中退とでは、意味するところは全く異なるからである。数字が一人歩きすることの問題性は、大学ランキングに対する批判のなかで繰り返されてきたではないか。
では、中退率など抽象的かつ高い多義性を有する数値の公開を義務づけることで、質保証に関わる責任から解除されるのか。高校生は、この実り少なき議論には全く見向きもせず、無機的な数値からは決して伺い知ることのできない生きた情報を、自分の足で収集する。過度の情報縮減を伴う数字を鵜呑みにしてはいけない、という情報リテラシー教育も、少しは貢献しているかもしれない。
高校生が本物の情報を収集するための絶好の機会となっているのが、オープンキャンパスである。このイベントを支える学生スタッフは、後輩に対して嘘をつかない。舞台となる大学では、正課を担う教員が活躍している。教員に加えて、少数ながらも学生のために本気で仕事に取り組むプロもいる。どのような困難な状況に陥っても、決して逃げることなく、当の学生が自己解決に辿り着くまで徹底的に寄りそう「人生の達人」。学生と共によりよい大学を創るべく、高度のノウハウと富裕なリソースを惜しみなく投入し動き続ける「プロの広報パーソン」。本気で学生に向き合うプロが仕事に取り組む姿勢に感化され、自らの進路を選択した高校生が、未来に向かって駆け抜けていく。(taste)