2014年10月24日金曜日

官民イノベーションプログラム

IDE:現代の高等教育(2014年10月号)からご紹介します。


大学に食やねぐらを頼っているスズメたちのさえずりが、このところひときわにぎやかだ。寄ると触ると口の端に上るのが「カンミンイノベーションプログラム」。大学発のベンチャー企業で産業を活性化し、日本にイノベーション(革新)を起こしたいと、政府が2012年度の補正予算で東京、京都、大阪、東北の国立4大学に計1,000億円を投じた「官民イノベーションプログラム」のことだ。

「ダイジョウブカネ、コノジギョウ」「コンナ大金モラッテ、ダイガクガワモ困ッテルミタイダヨ」……。電線の上で、スズメたちは心配している。国の威信をかけた事業。失敗したら大学の権威と信用は失墜し、政府から大目玉を食らうだろう。結果、スズメたちの寄る辺がなくなりかねない危険性も大とくれば、かしましくもなろう。

これから起こす一文は、今年9月初めの時点での話。読者の皆さんの手元に届くころには事態は激変しているかも知れないことをお断りしたうえで、スズメのさえずりの適否に一考を加える。

「官民イノベーションプログラム」

まず仕掛けがややこしい。①国が国立4大学に計1,000億円を「出資」する(内訳は東大417億円、京大292億円、阪大166億円、東北大125億円)、②その金で各大学はファンド事業を立ち上げる、③大学はタネになる学内研究を見つけ出し、ビジネス化するためのベンチャー企業を興させる、④ベンチャー企業にファンドが「出資」する。そうして経営を始めるベンチャー企業には金融機関や個人投資家の投資も促し、産業や経済の活性化を狙う。

目指すは日本版シリコンバレーの実現。大学にはイケイケドンドンでやってもらいたい、という鳴り物入りの事業だが、何しろ仕掛けが複雑だから、取り巻くシステムも仰々しくならざるをえない。

監督官庁は経済産業省と文部科学省で、それぞれ省内に有識者会議を設けて大学から「申請」された事業計画などを審査し、ファンド事業者にふさわしければ「認定」を出す。事業内容も審査し、適正と認めれば設立・登記ができる。一方、設立されたファンドからベンチャー企業への個々の出資計画については文科省が単独で審査して認可し、事業開始後も同省でモニタリングする、という構えだ。

以上のような体制で9月初め現在、どこまで事態が進んでいるかというと、すでに1,000億円は昨年3月に4大学に対し渡されている。次いで今年6月には、国立大学がファンドに出資できるよう改正された産業競争力強化法と国立大学法人法に基づき、大阪大学と京都大学が事業申請し、9月に事業者として認定された。東大と東北大については、具体的な目処は立っていない。

ここまで読んで、このプロセスの奇妙さに「え?」と首をひねられた方も多いだろう。大学が何か事業をしたいという場合には、まず大学側が大量の書類を用意して申請し、審査を経て初めて金が出てくるというのが一般的な流れだからだ。ところが、官民イノベーションプログラムの場合、先に資金が各大学のフトコロに納まり、それから必要な法律が整えられ、大学が申請し-という正反対の流れとなっている。政府の並々ならぬ意気込みはいやおうもなく伝わって来るが、問題は、食べつけない脂っこい料理を胃袋に入れた時のように、大学が消化不良を起こさないかということだ。

同床異夢

そもそも、なぜプログラムは始まることになったのか。霞が関や永田町に巣食う事情通のカラスたちによると、発案されたのは2012年12月、自民党が大勝し、安倍政権が発足した直後。イノベーション志向の新政権に財務官僚が持ち込んだという。

落ち着き先として当初は経産省が上がったが、その時、経産官僚の脳裏に浮かんだのが「キバセン」、つまり基盤技術研究促進センターの苦い記憶だ。技術開発のために国と民間があわせて4,000億円超を出資したものの成果を残せず、最終的に国が出資した約2,700億円の巨費が回収不能となり、2003年に雲散霧消した悪名高い事業だ。その二の舞になりはしないかと懸念したとされる。「ソコデ目ヲツケラレタノガ、ベンチャーファンドノ大変サナンテ何モ知ラナイ文科省ダッタトイウワケサ」。一羽のカラスが気の毒そうな表情で解説してくれた。

押しつけられた格好とはいえ、文科省側には受け入れの余地があったようだ。ある幹部は「旧帝国大学といえども、同列ではない」と言う。国立大学を世界的な研究大学と教育大学、地域に貢献する大学とに仕分けしたい思惑を抱く文科省にとって、このプログラムが序列化の好機と映ったことは、十分に考えられる。

事業を審査する文科省の委員会は公開が原則だが、その議事録が昨年10月の第2回以降公開されていない。それもあって、何か不都合なことが起きていると勘ぐりたくなるが、表面的にも、事業を巡る大学側の動きには危なっかしさが目につく。

まず、投資する側とされる側が同じ大学内にいることだ。大学とファンドをどう切り分け公正性を保てるか、ガバナンスが厳しく問われることになる。それがうまく作動していないせいからか、「この事業を利用して、総長選で有利な流れを作るためよこしまな動きをしている幹部がいる」などと、とても最高学府とは思えない低レベルの風評が飛び交う大学もある。反面、ファンドを外部から連れてきた専門家集団に任せたら、その経営責任を大学が負えるのだろうかという懸念も消えない。

民業圧迫も心配だ。UTEC(東京大学エッジキャピタル)など、東大や京大には今回のプログラムと同趣旨のファンドがすでにある。にも関わらず、破格の規模のファンドを国主導で作れば、民業圧迫のそしりを免れないのではないか。

そうした事業に関する個別懸念もさることながら、根本的な問題は、国立大学法人とは何なのか、そのあるべき姿、使命を明確にできないまま今日に至っている点ではないかと思う。

法人化されて10年、国立大学は自主自立した経営で新しい大学像を打ち出すことを求められていた。だが、これまで散々、交付金の圧縮や予算執行の方法などで手足を縛っておいて、いったいどんな自主自立が可能だったというのだろう。いきなり巨費を投じて「エリート大としての務めを果たせ」で、局面が転換するとは思いない。

国は法人化でどのような大学、国づくりを実現したいのか、改めて全体で共通認識を固めたうえで、プログラムの意義を浸透させるべきだ。でなければ、せっかくの思い切った公費拠出が、単に大学内外を翻弄することに堕してしまいかねない。

虹の向こうは

ときに明るい光にも出会う。いち早く文科、経産両省に事業認定された大阪大学だ。

同大では、2006年に「インダストリーオンキャンパス」事業を始めた。企業の研究者が1社当たり年間3,000万円の研究費を背負ってキャンパス内に研究室を構え、同大の教員らと共同研究をする。今は200人以上が常駐、ベンチャー企業も立ち上がって、ここで生まれた新技術を活用する工場も大阪府内に近く誕生する運びだとか。

今後は、こうした先行事業から生まれるベンチャーに新たな枠組みで作ったファンドから出資し、具体的に動き始めたらあとは社会に任せて次の研究の芽を探す「エコシステム」を形成していきたいという。「世の中に,阪大は役立つと思ってもらいたい。大学への信頼を取り戻すための事業だ」と担当理事は言う。

取材を終えて帰途についた新幹線の車窓から、虹が見えた。重い雲間に輝く7色の光彩に、現状の混乱、ピンチは、やり方次第でチャンスに変わるかもしれないと思い直した。虹の向こうにあるのが、スズメの悪夢でないことを心から願っている。