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鎮魂と追悼

8月も今日で終わり。本日の 「天声人語」(朝日新聞)から「8月の言葉から」 をご紹介します。 立秋をはさむ二つの原爆忌。そして、迎え火と送り火のはざまで戦没者を想(おも)う敗戦忌。不戦を誓い、鎮魂と追悼に頭(こうべ)を垂れた8月の言葉から ▼栃木の明良(あきよし)佐藤さん(70)は、8月15日から新年が始まる「戦後カレンダー」をつくり続けて30年になる。終戦の昭和20年を元年とする独自の「戦後暦」で数え、この新年は戦後70年だ。「今度戦争が起これば戦後という言葉は使えない。その意味では戦後であり続けることが平和のあかし」 ▼がんで余命宣告をされた鹿児島の女優、たぬきさん(本名・田上〈たのうえ〉美佐子さん、59歳)が、病を押してこの夏も平和を願う舞台に立った。「どれだけ命が大切で、重いか。平和の大切さをみんなで考えたい。だから私は今を生きる」と ▼修学旅行の男子中学生5人から「死に損ない」と暴言を吐かれた長崎の語り部森口貢(みつぎ)さん(77)が言う。「あの生徒たちとゆっくり話ができればなあ。生意気な時期もある年齢。あのことが傷にならなければいいが」 ▼東京の公園で憲法9条を守る署名を集めてきた蓑輪喜作さんが85歳で死去。柔和な笑顔は、若者たちから「九条おじさん」と慕われた。残された歌に〈むきあいて 九条話はたのしかり 一人一人が孫のような顔〉。6万筆を1人で集めた ▼岐阜県高山市であった短歌コンクール「八月の歌」入選作に愛知の中1、中村桃子さんの一首。〈セーラーの衿(えり)のラインが一本になった理由は戦争だった〉。3本が1本に。通う学校の制服の歴史を調べて、詠んだ。

学び、行動しないことには

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「 語らねば、伝えねば 満蒙開拓団の記録から 」(2014年8月25日東京新聞) をご紹介しましす。 国家は時に、自国民を平気で犠牲にします。昭和の戦争がそうでした。その渦中で進められた国策「満蒙開拓」も…。これは遠い昔の物語でしょうか。 一冊の本が手元にあります。 「 証言 それぞれの記憶 」という百ページにも満たない冊子ですが、そこには、数え切れない命の記憶が詰まっています。 戦前から戦中にかけ満州(現中国東北部)へ移民し、敗戦時に、地獄の思いを味わった13人が、しぼり出すように語った体験を書き起こした証言集です。 昨年、長野県阿智村にできた民間施設「 満蒙開拓平和記念館 」のスタッフが聞き取り、来館者の要望にこたえて発行しました。 ◆意図せずとも加害者に 戦後、固く口を閉ざしていた、あの戦争をじかに知る人々が、ようやく語り始めました。それほどむごい体験だったのです。満蒙開拓も例外ではありません。 「開拓じゃないに。中国人を追っ払って、既に開墾してあったところに入ったんだから。後ろ盾には日本軍がいて…」 先の証言集からの引用です。 入植直後から、意図せずとも自分が「侵略」に加担させられている、と気づいた移民は少なからずいたのでしょう。証言は、その無念の思いの吐露なのです。 1932年、現中国東北部に日本のかいらい国家、満州国が建国された後、貧困にあえぐ農村救済のためなどと、移民は国策で満州に送り込まれた。 「二十町歩の大地主になれる」と入植を勧められた農家も多く、その総数は、開拓農民を中心に約27万人に達しました。 しかし終戦直前に突然、ソ連軍が侵攻、関東軍には置き去りにされた。逃避行の途中で、その半数以上が集団自決や病死、行方不明という惨禍に。離散した家族の子どもらは中国人に託され、残留孤児、婦人になったのです。 ◆国策に流されるままに 戦争とは、人と人とが殺し合うことです。領土や宗教、民族、資源などその理由はさまざまでも、「国を守る」ため、国家や権力者が敵をつくる。だが、実際に戦場に行かされ、血を流すのは普通の人々、弱い立場の人々です。 あの昭和の時代、国家統制が強まる中でも、戦争や戦場は遠いよそ事のような日常が続いた。「お国が言うなら」と流されがちな当時の世相や国民性が、満蒙開拓という国...

大学図書館の使命

国立国会図書館が運営するサイト「 カレントアウェアネス・ポータル 」から 「 MOOCを活用した図書館での大学レベルの学習機会の提供 」(2014-08-28) をご紹介します。 MOOCとは、大規模公開オンライン講座の総称である。大学レベルの講義動画をウェブ上に公開することで、どこでも、誰でも、無料で受講できる。しかしまだ課題はある。無料とはいえ受講するにはコストがかかるのである。それは、ウェブに接続するコストや受講機材を手に入れるコスト、機材を使うスキルを習得するコストである。これらのコストが学びの障壁となっている。 この課題の解決には、図書館が受講環境を提供することが有効ではないか。誰もが自由に利用できる図書館(特に公共図書館)では、多くの場合、ウェブ上の情報を閲覧できるよう、インターネット回線や閲覧用のPCを提供している。そこでMOOCを提供すれば、ウェブに接続できない人も、PCを用意できない人も、大学レベルの講座を受講できる。また職員による機器操作支援も受けられる。しかも図書館には多くの資料がある。講義で疑問に思ったことをより深く学ぼうとしたときに、すぐに関連資料を手に入れられる。 アカデミック・リソース・ガイド株式会社は2014年7月、指宿市立指宿図書館(鹿児島県指宿市)とくまもと森都心プラザ図書館(熊本県熊本市)と共同で、両館においてMOOCの試験提供を開始した。指宿市には大学がない。同市の子どもは、高校卒業後、大学へ進学するためには地元を離れざるを得ない。大学を卒業して地元に帰ってきたとしても、学び続けることは困難である。子どもが安心して地元に帰ってくるためにも、学びの環境の整備が課題となっている。また県庁所在地である熊本市でも、東京や大阪などで開催されるようなセミナーは、移動にかかるコストなどが障壁となり、簡単には受講できない。このような教育の地域格差に直面する地方都市にこそ、MOOCが重要なのである。生涯学習の拠点となることを掲げ既に様々な企画を実施している両館にとって、MOOCの提供は大きな可能性を秘めたサービスである。 図書館で提供するMOOCのプラットフォームには、株式会社NTTドコモとNTTナレッジ・スクウェア株式会社が提供するgaccoを採用している。gaccoは、2013年に設立された一般社団法人日本オープンオンライ...

国立大学のマインド改革

国立大学法人法コンメンタール《歴史編》 (第78~80回、 文部科学教育通信 )から、「 関係者に聞く 森田朗氏 」を抜粋してご紹介します。 国立大学法人化移行時のエピソードを交えながら、”大学ムラ”の実態がわかりやすく説明されています。また、大学経営トップ(学長、役員)や教員の「意識」「スキル」の現状と改革の必要性など、法人化後の課題も浮き彫りにされています。 3回分の連載をまとめたため長文になってしまいましたが、大変示唆に富む記事ではないかと思いますので是非ご一読ください。 東大病院は自由を求めた -当時の行政改革の中心を担った国会議員へのインタビューによると、国立大学の独立行政法人化が政府の行政改革会議で取り上げられることになったのは、平成9年に東大病院が行政組織からの離脱を主張した提言を発表したことが大きなきっかけだったことが判明しました。また、当時、東大病院の関係者が、密かに行革関係議員に面会し、同様の趣旨の陳情をしていた事実についての証言もあります。そのような経緯を振り返ってみますと、結局、国立大学の法人化は、東大病院関係者の当初の期待通りに推移したとも理解できますが、このような見方についての森田先生のご感想をお聞かせください。 森田 当事者である東大病院関係者は、よくわかっていなかったのではないでしょうか(笑)。私自身も、もともと法人化の推進論者でしたから、病院関係にもいろいろ関わっていた時期があったのですが、要するに、財政上だんだん厳しくなってきて、東大病院としては、自由も金も無い状態になったわけです。そんな状態で「金をくれ」と言っても所詮無理だから、「では、せめて自由が欲しい」というわけです。自由に自分たちでやれば、経営の合理化もできるし、稼ぐ方も自分たちにはそれだけの力があるというのが、東大病院関係者の認識だったと思います。 確かに、海外、特にアメリカの病院なんかで展開されている合理的な病院経営とか医療に比べると、日本の病院、特に大学病院の非効率というか、無駄というか、停滞というのは、ちょっとひどかったですね。私も経験しましたけど、歯を一本直すのに半日かかって、そのあげく、会計処理のために待合室で一時間待たされて、「50円です」と言われた時には、正直、頭に来ました(笑)。 -最近では劇的に改善されてきているようで...

素敵な顔

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 美しき人になりたく候 」(2014-08-21) を抜粋してご紹介します。 「20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績」(ココ・シャネル) 男性も女性も、その人の長年の生きざまが顔にでる。 卑(いや)しい言動や、卑怯(ひきょう)なことばかりしてきた人は、卑しい顔になる。 自分のことより先に、人の喜びや人の幸せを考えて生きてきた人は、美しい人になる。 何の努力も苦労もせず、もって生まれたスタイルや美貌だけをたよりに生きてきた人は、晩年になって深みのないのっぺらぼうの味のない顔になる。 「物心つくその日から何を思い、何を語り、何をしたか」 美しき人になりたい。 尼僧が語る「愛の法話」45編 幸せは急がないで―人生の岐路に立つあなたへ! (光文社文庫) 著者 : 光文社 発売日 : 1999-11 ブクログでレビューを見る»

終戦記念日に考える(4)

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「 シベリア抑留 この悲劇を語り継ごう 」(2014年08月22日 毎日新聞) をご紹介します。 シベリア抑留を描いたマンガ「凍(こお)りの掌(て)」(小池書院)が2012年に刊行されて以来、着実に売れ続け、今年7月には7刷が発行された。マンガ家、おざわゆきさんが父親の4年間にわたる抑留体験をベースに、悲惨な歴史を伝える労作だ。 筆舌に尽くしがたい寒さや飢え。厳しい強制労働。極限状況で日本人同士が争う姿も、満足に治療を受けないままに亡くなっていく病人の悲惨さも表現されている。親しみやすいマンガだからこそ、地獄のような日々がひしひしと伝わってくる。 第二次世界大戦の終結後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日本兵ら約57万5000人(厚生労働省調べ)が旧ソ連領やモンゴル領に連行され、約5万5000人(同)が抑留中に死去したと推計されている。もっと多かったともいわれるが、全体像は明確になっていない。 元抑留者たちは、当時の最高指導者スターリンが抑留指令を発した8月23日に、毎年、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で、犠牲者たちを追悼する集いを開いている。 抑留を体験した人で生存するのは全国で4万数千人と推定される。平均年齢は91歳。直接に証言を聞くことができる時間を大切にしたい。 この1年間でも、シベリア体験を伝え続けてきた多くの人が亡くなった。村山常雄さんは約4万6300人の抑留死亡者の名前(仮名表記を含む)を突き止め、ホームページに公開した。旧ソ連が公開した名簿を他のさまざまな資料と照らし合わせる膨大な作業だった。シベリア抑留については日本政府も、研究者たちも、ジャーナリズムも、実情を明らかにする作業が遅れた。そんな中で、村山さんの仕事は研究の基礎をなすものだった。 抑留体験を描き続けた画家、佐藤清さん、抑留された人々が祖国への思いを歌った「異国の丘」を作詞した増田幸治さんも死去した。 一方で、京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館が所蔵する抑留に関する資料が来年、世界記憶遺産の登録をめざすことになった。舞鶴市は抑留された人々が帰還した地で、歌謡曲「岸壁の母」の舞台でもある。この記念館がシベリア抑留を考える拠点の一つになることが期待される。 来年は戦後70年。北の大地に眠ったままの遺骨の収集、ロシア側の資料公開、中学や高...

終戦記念日に考える(3)

「 視点・論点 「シリーズ・戦争と若者 後世にどう伝える 」(2014年08月15日 NHK解説委員室ブログ) をご紹介します。 アジア・太平洋戦争について知らない若者が増えてきたと、毎年のように言われています。 2000年にNHKが実施した世論調査によりますと、1959年生まれ以降の「戦無派」では69%が「最も長く戦った相手国」を知りませんでした。また、「広島原爆の日」を知っている若者はたった25%。 逆に.「終戦を迎えた日」を知らない人も16%いることがわかりました。これは、2000年のデータですから、現在の2014年時点では、戦争の記憶はもっと風化していると思われます。 今年5月には、修学旅行で長崎を訪れた横浜市の公立中学校の生徒5人が、被爆の語り部に対して、「死に損ない」と暴言を浴びせかけていたこともわかりました。校長先生が謝罪することになったと報道されています。 この事件は、お行儀の悪い一部の生徒たちが引き起こした問題として、単純に片付けられないものを、含んでいるように思います。つまり、戦争体験者や語り部による「平和学習」について、新しい工夫を迫られているのではないかということです。 大学で教えていても、最近は戦争記憶の風化を確実に感じます。授業後に提出してもらっている感想の中には、驚くべきものが増えてきました。3種類ほどご紹介します。 1つ目は、「日本が、台湾や韓国を植民地統治していたとは知りませんでした」というものです。これは、明治維新以降の歴史を十分に勉強してこなかったことが原因だと思われます。 2つ目の感想はこういうものです。 「日本が真珠湾をいきなり攻撃したからアメリカとの戦争が始まったと思っていました。その前の日中戦争が関係していたことは知りませんでした」 これは、かなり多くの大学生が陥っている問題です。「太平洋戦争」という呼び方が一般的であったため、満州事変から真珠湾攻撃までが連続しているという認識が欠落しているのです。「アジア・太平洋戦争」という呼び方の方が妥当だと思います。 これぐらいなら、まだ驚きませんが、ついに、こういう感想が出てきました。3つ目です。 「日本がアメリカと戦争していたなんて、初めて知りました。びっくりです~!」 この感想を見たときに、「こっちがびっくりです~!」とつぶやいてし...

広島市豪雨災害義捐金

広島市北部の大規模な豪雨災害を受け、被災地救援のための義捐金の募集が始まっています。 主なものをご紹介します。みんなで心をつなぎましょう。 広島市8・20豪雨災害義援金の受け付けについて(広島市) 平成26年広島県大雨災害義援金の受け付けについて(広島県) 平成26年広島県大雨災害義援金を受け付けます(日本赤十字) 広島土砂災害緊急募金(Yahoo基金) 『広島市豪雨災害』災害義援金募金 実施のご案内(株式会社イズミ)  広島市での集中豪雨に伴う土砂災害被害への緊急復興支援募金実施について(イオン株式会社) 広島市内で発生した土砂災害に対する義援金募金開始のお知らせ(サンフレッチェ広島) (参考) 広島土砂災害(2014-08-22 THE PAGE) Deadly landslides hit Japan(2014-08-22 The Big Picture) 【感動】各地で支援広がる?広島土砂災害支援の輪(2014-08-22 NAVERまとめ)

終戦記念日に考える(2)

今回は、ブログ「 外から見る日本、見られる日本人 」から 「 戦争とは何か? 」(2014年08月15日) をtご紹介します。 終戦記念日が近くなるとどうしても日本のあの過去について考えてみたくなります。勿論、私自身は戦争経験とは縁遠いのですが、幼少の頃、年長者、あるいは自分の親から聞かされてきた断片的な話、それが、書物やメディアを通じた知識と合体し、一定の体系となって自分の頭で戦争の像が描かれるようになります。原爆記念日から終戦というこの8月の10日間はそういう意味で一年の戦争に対する総集的な時でもあります。 バンクーバー郊外で恒例の航空ショーがあり、久しぶりに見に行きました。好天であったこともあり、大変な人出でイベントそのものも昔来た時に比べて「北米のエンタテイメント」具合がグッと上がっており、夏の一日を過ごすにはなかなか面白いと思いました。 そんな中、1940年代に活躍したとされる飛行機がいくつか、曲芸飛行をしていましたが、司会者が「ゼロ戦も彷彿させる…」と紹介していたのが聞こえてゼロ戦は北米で今でも語り継がれる名機であったのか、と改めて思った次第です。よく見ればあんなちっぽけな飛行機でよくぞ戦っていたのだろうと思います。B29がいかに恐ろしかったか、私なりによくわかります。 さて、日本がなぜ戦争の道を選んだのか、ということを考えた時、司馬遼太郎氏はそのきっかけが日露戦争の勝利にある、と考えていらっしゃいます。これは私なりに二つの意味があると考えています。一つはロシアという大国に勝ったという日本人の自負。もう一つは講和で小村寿太郎氏が賠償金を全く取れなかったことへの失望と反感。この二つの相容れない事実が日本人の高揚を推し進めていったとすれば時代背景からしても正しい答えの一つでありましょう。 結局日本は戦争を通じて何を求めたのか、といえば領土であり、支配する地域をより大きく、そして国を豊かにするという支配者の留まるところを知らない欲であります。豊臣秀吉の朝鮮出兵も同じ意味でしょう。それは強い日本を世界に認めさせるという力で圧す重要な外交手段の一つでもあったかもしれません。 ならば、日露戦争後の日本の支配者は誰だったのか、と考える時、それは日本人そのものであり、その存在感を世界に見せつけたかったのかもしれません。しかし、島国が大陸を...

終戦記念日に考える(1)

夏休みも残すところ1週間程度。子ども達も宿題や自由研究に大忙しといったところでしょうか。 さて、今月は、終戦記念日を迎えた月でもありました。今回から数回にわけて関連記事をご紹介します。まずは、各紙の社説などをいくつか。 ■ 平和主義を貫く 不戦の誓い 新たなれ(2014年8月15日 東京新聞) 発掘された戦没学徒兵木村久夫の遺書全文は繰り返し読むことを迫ります。そして、八月十五日。不戦の誓い新たなれ、と祈らざるを得なくなります。 戦没学徒の遺稿集「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でもとりわけ著名な京大生木村久夫の遺書は、実は哲学者田辺元「哲学通論」(岩波全書)の余白に書き込まれた手記と、父親宛ての遺書の二つの遺書をもとに編集されていたことが本紙の調べで明らかになりました。 哲学通論の遺稿と発掘された父親宛ての手製の原稿用紙十一枚の遺書は、このほど「真実の『わだつみ』」の題で本にしてまとめられました。二通の遺書全文は再読、再々読を迫ってくるのです。 ◆戦場に無数の兵木村 本紙記者によって書き下ろされた木村の生い立ちや学問への憧れ、二十八歳でシンガポールの刑務所で戦犯刑死しなければならなかった経緯と事件概要が読む手引となり、汲(く)めども尽きぬ思いが伝わってくるからです。哲学通論余白の一言一句、短歌も甦(よみがえ)ります。 と同時に、事件をめぐる軍人たちの行動とその後は、日本と日本人は許されるのだろうか、との暗澹(あんたん)たる気分にも襲われます。 木村が戦争犯罪に問われたのは戦争最末期の一九四五年七、八月、インド洋アンダマン海のカーニコバル島での住民殺害事件。日本軍は住民に英国に内通するスパイの疑いをかけ少なくとも八十五人を殺害してしまいました。 事件は連合軍の反攻上陸に怯(おび)えての幻影の可能性が大きく、裁判なき処刑が行われました。その処刑の残虐、取り調べの残酷、野蛮に情状の余地なく、死者に女性、子供も含まれました。 ◆子供らに戦なき世を シンガポールの戦犯裁判で死刑は旅団長と命令に従った上等兵の木村ら末端兵士五人、事件を指揮命令した参謀は罪を逃れ、戦後を生き延びました。木村遺書の「日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中(まっただなか)に負けたのである。全世界の怒るも無理はない」「最も態度に賤(いや...

認知症への偏見を無くす

「 徘徊ではないという理解のすすめ-言葉づかいから拡げていこう! 認知症の人を支える町づくり 」(2014-08-11 ニッセイ基礎研究所) をご紹介します。 10,322人。これは、平成25年度に警察に届けられた、認知症の人の行方不明者数です。実に、行方不明者全体の12.3%を占めており、想像以上の長距離移動になっているケースも少なくないとのこと。保護された方の照会書の誤記入で、何年もの間、家族と離れ離れになってしまったという出来事には胸が絞めつけられる思いにもなりました。 最近、テレビや新聞などでは、こうした認知症に関わる報道が頻繁に取り上げられるようになりました。これらの報道を見聞きする中で気になっていること。それは、同じニュースを取り上げていながら、番組によって、紙面によって、そこで使われている言葉づかいには微妙に異なる点があるということです。例えば、行方不明になる認知症の人について、多くの報道では次のような表現を用いています。 「認知症による徘徊(はいかい)が原因で行方不明となる高齢者が増えています。」 しかし、一部の報道では、「徘徊」という言葉を一切使わずに情報を伝えています。これは偶然でしょうか。私が接した報道関係者の話によると、同じ組織の中でも認知症に関する認識はそれぞれ異なり、認知症の課題を当事者の視点で捉えられるか否かによっても、そこで用いられる表現はずいぶん違ってくるということを聞きました。私は、「徘徊」という言葉を目にしたり、耳にしたりすることが増えれば増えるほど、逆に、この言葉を使わないで報道している人たちの言葉づかいへの「拘り」を感じずにはいられないのです。 「徘徊」とは、「目的もなく、うろうろ歩き回ること」と説明されますが、行方不明になる認知症の人が、本当に目的もなくうろうろしていたかどうかは本人にしか分からないことです。それどころか、認知症ケアに携わる専門職に聞くと、認知症の人の行動の全てには意味があるということを教えてくれます。たとえ、その行動が辻褄の合わない理解しにくいものだとしても、周囲が「徘徊」と決めつけている認知症の人の外出などには、その人なりの目的があるという意味です。 たとえば、周囲には「徘徊」に見える行動を、認知症の人の立場から表現するとどうなるでしょう。家族思いのAさんは、「もうす...

「知識」をシェアすること

ブログ「 教授のひとりごと 」から 「 真のコミュニケーションとは 」(2014-08-08) をご紹介します。 日経産業新聞(7/25付け)に「ウィリアム氏と明日を読み解く」欄に『真のコミュニケーションとは』という記事があった。 コミュニケーションとは、「ナレッジをシェアすること」です。組織で培ってきた知識をチーム全員で共有することこそがコミュニケーションと私は思います。休日の行動や趣味の話は知識ではありません。場合によっては重要かもしれませんが、あくまで「情報」にすぎません。 上司や組織が持つ「知識」をシェアしていくことで、組織は「チーム」になっていくのです。そのときに重要なのが上司のリーダーシップであり、コミュニケーションをはかることです。米国では、部下を説得すること=リーダーの役割です。だから、小学生のときから授業で説得力をつけるトレーニングをします。自分の持っている意見や知識を伝えることで信頼を得るのです。相手を納得させるためのスピーチ、表現力が求められます。 日本ではどうでしょうか。情報を正確に伝えられる人はたくさんいます。ですがプラスして自分の意見を伝えること、知識をシェアすることを意識して部下と接しているいる人がどれくらいいるでしょうか。米国では、意見のないリーダーは見向きもされません。 とはいえ、突然自分の意見を押し付けても受け入れてはもらえません。だから、日々の案件を通じてあなたの意見を伝えてください。たとえば「A、B、Cのどれにすればいいでしょうか?」と部下に聞かれたとします。「俺ならAだな」では、コミュニケーションになりません。 まず、部下に考えさせてください。彼らの考えをくんだうえで、あなたの意見を述べてください。答え合わせではなく、考え方、思考のプロセスを確認するのです。あなたと部下が「思考を共有すること」で初めてコミュニケーションが成立します。 考え方の道筋が同じならば、別の案件でも、部下はあなたがベストだと考える答えに近づく提案ができるようになります。少なくとも、とんでもない間違いはなくなるはずです。もし、それでも成果が出ないような場合には「なぜうまくいかなかったのか」を話し合ってください。そのときには、単純な情報の伝達ではない「コミュニケーション」が生まれているはずです。 講義もコミュニケーションの...

子どもの頃の夏休みなど

自由民主党幹事長の 石破茂 さんのブログから 「 夏休みの思い出など 」(2014-08-08) をご紹介します。 子どもの頃の夏休みについて、前回に続いてもう少し記したいと思います。 読書感想文の課題図書は毎年どうしてこんなにつまらないのか、と思ったものですが、それを読んだ感想はどうしてもあらすじ紹介みたいになり、「…ここはとても面白かったです」「…ここはとても可哀相だと思いました」などとその場面場面に応じた感想を書くような代物になってしまい、夏休みで帰省していた当時大学生だった姉に「こんなものは読書感想文ではない!」と叱られて泣きそうになったものでした(ちなみに我が家の女性たちは皆教員資格を持っており、実際母は国語、上の姉は英語、下の姉は歴史の教師でした)。 自由研究がまた難物で、小学四・五年の時(昭和四十一・四十二年)はスクラップブック作りという一風変わった研究(?)をしていました。 その頃父が公職にあったため、住んでいた官舎は朝日から産経まで全紙購読しており、新聞によってものの見方がこんなにも違うものかと幼心に思ったことでした。 晩夏から初秋にかけて内閣改造が行われるのは当時も恒例行事であったようで、「遅咲きの桜、満面の笑み」「苦節○○年、大願成就」などという佐藤改造内閣の顔ぶれ紹介記事のタイトルを今も妙に覚えています。 そのメンバーのどなたも今、存命ではありませんが、悲喜こもごもの光景は昔も今も同じようです。 随分以前にもご紹介したかと思うのですが、夏休みを題材とした小説で一番印象に残っているのは、柏原兵三の「 夏休みの絵 」、これを小編にした「 短い夏 」ではないかと思います。 「僕はきわめて自堕落にその年の夏休みを過した。そして本当に夏はあっという間に過ぎてしまい、僕の夏休みに寄せた期待の十分の一も実らない内に僕はもう秋の中にいた」という「短い夏」のラストは実に秀逸で、作者の早逝がとても惜しまれます。 柏原兵三の作品では「 徳山道助の帰郷 」(芥川賞受賞作)、「 独身者の憂鬱 」、「 兎の結末 」も好きでした。 笹井副センター長の自死には、何ともやりきれない思いが致します。そこまで追い詰めたマスコミの責任は何ら問われず、やがて何事もなかったかのように人々の記憶が風化していくのも通例ですが、当事者の苦しみや悲しみ...

自分以外はみんな師匠

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ブログ「 今日の言葉 」から 「 持ち帰る 」(2014-08-08) をご紹介します。 家に何かを持ち帰りたいなら、 大きなかごを持ち歩きなさい。 ローズ・ホーキンス ピーター・ドラッカーをして「米国最高のマネージャー」と言わしめた、フランシス・ヘッセルバインの著書「あなたらしく導きなさい」からのご紹介です。 彼女がガールスカウトのとある支部のリーダーをしていたときに参加した研修会で、「何も得るものがない」と他の支部のリーダーが言うのを聞いて、知り合いのローズに相談したところ、「昔から伝わる古い格言だけど」と紹介されたのがこの言葉だったそうです。 自分のかごが小さくて入りきらないから、「得るものがない」と感じるだけで、大きなかごには大きな志や大きなビジョン、大きな期待、大きな影響力を入れられる。 だから大きなかごを持つ人は、何を見ても学び取ることが出来るのです。すなわち自分自身の度量を大きくしておくことの大切さを説いたものですね。 「無駄だった」と思ってしまうのは、無駄なことだとしか感じられない自分自身の能力の言い換えなのです。 良いものを見たら吸収すれば良いし、期待外れだったら自分の反面教師にすれば良い。 論語にも、『子曰く、三人行(あゆ)めば、必ず我が師有り。その善き者を択(えら)びて而(すなわ)ちこれに従い、その善からざる者は而ちこれを改む。』とあります。 意味は、『三人で連れ立って歩けば、必ず自分の師を見つけることができる。善い仲間を選んで、その善い行動を見習い、悪しき仲間を見れば、その悪い行動を改めるからである。』ということ。 自分以外はみんな師匠、という気持ちで、道端の石ころからも哲学的なひらめきを得るように、人のみならず、自然からも学べることもあるでしょう。 あなたらしく導きなさい 愛されるリーダーの生き方、愉しみ方 著者 : フランシス・ヘッセルバイン 海と月社 発売日 : 2013-05-27 ブクログでレビューを見る»

介護離職と2025年問題

「突然親が介護に!仕事はどうする!?」(2014-08-06 日経ビジネス) から抜粋してご紹介します。 「介護離職」という言葉が聞かれるようになりました。少子高齢化時代の本格化を前に、働き盛りの40~50代が親の介護に直面する事態が急増しています。仕事と介護の両立は大きな課題です。まずは以下のAさんのケースをお読みください。あなたにとっても、決して他人事ではないはずです。 埼玉県に住むAさん(45歳)は毎週末、郷里に住む母の面倒を見るため、新幹線に乗って静岡県へ向かう。普段は母の家の近くに住む兄夫婦が主に面倒を見ているが、兄夫婦一家には小学生の子供たちがいる。「子供たちの学校も休みだし、週末くらいは介護から離れたい」と半年前に頼まれ、引き受けるようになった。兄弟同士、介護の分担も平等にしたいとする兄夫婦の主張を受け入れた形だ。 Aさんはメーカーの営業マン。出張であちこち回ることが多いため、移動は苦ではない。だが週末の休みを使っての介護は、続けるとなかなか辛いものがある。片道3時間近くかけて土曜日の午後、母の住む実家に到着。その後入浴や食事の介助を含めた身の回りの世話を泊りがけで日曜日の夕方まで行う。そして日曜日夜9時前に埼玉の自宅に戻る。月に1回は妻が代わりに行ってくれるが、妻は実家の勝手が分からない上、車が運転できない。本数の少ないバスに乗るか、兄夫婦に送迎をお願いする形になってしまう。そのため週末の介護はAさんがメーンにならざるをえない状況だ。 79歳の母は足腰が弱い上、軽度の認知症を患っている。2011年に認知症と診断され、2013年の夏ごろから徘徊が始まった。今のところ、大事に至ったことはないが10キロ離れた所で見つかったこともある。そのため、徘徊が始まってからは誰かが必ず交代で泊まり込みで母の家にいなければならなくなった。施設への入所も検討したが、入居金や利用料が高めの老人ホームは家計的に厳しい。特別養護老人ホームやグループホームは常に待機待ちの状態で、入れるのはいつの日になるか分からない。今のところ、週3回のデイサービスを利用することで何とか負担を軽減することができている。 「週末介護が始まってから、疲れが取れず、仕事にも集中しづらくなった。休みの日に自分の子供たちを遊びに連れて行くこともできない。だが、介護は子供として続けなけれ...

大学の使い方

「 大学の敷居 」(2014-08-03 福島民報) をご紹介します。 産官学連携などを議論する場で、「大学は敷居が高い」とよく言われる。言葉の意味をあらためて調べてみると、「不義理や面目のないことがあって、その人の家に行きにくい」(デジタル大辞泉)と記されている。 その補説には、「文化庁が発表した平成20年度『国語に関する世論調査』では、『あそこは敷居が高い』を、本来の意味である『相手に不義理などをしてしまい、行きにくい』で使う人が42・1%、間違った意味『高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい』で使う人が45・6%という逆転した結果が出ている」とある。 先の指摘は、解説にある間違った意味に当たるが、一般には、「大学は訪ねにくいところ」と考えられているようである。 専門分野については、大学で行われている研究は先端的なものであるが、大学は専門分野の「技術レベルが高い」「周辺技術に関する多くの情報を持っている」と認識されるべきである。専門性の高い教育・研究を行っていることが、専門家以外にとっては「訪ねることが難しいところ」という印象を与えているのかもしれない。 大学は教育・研究機関であることはもちろんだが、その役目の一つには、さまざまな形での地域貢献が含まれている。そして、地方中核都市にある大学の教育は、地域社会に支えられていることも多い。 地域社会の支援に感謝を込めた社会貢献の一環として、本年4月に落成した屋内相撲道場は、子どもたちに安全・安心な運動の場を提供するため一般開放している。 開放を機会に、小学生から社会人までのメンバーで郡山北桜相撲クラブを結成して毎日汗を流している。メンバーの中には所属中学校で県大会団体準優勝などの戦績を残すものが現れている。 各地域の優れた指導者のもとでこれまで練習を重ねてきたことに加え、施設利用と大学・高校コーチの指導がそれを後押ししていると考えると、大学の使い方も広がってくる。 大学保有の財産の中には、教職員の知的財産、学生という人材、各種の施設がある。これらを有効に活用して地域の活性化につなげたいと考えている。大学との連携というと、知的財産の活用にとらわれていないだろうか。 2009年まで天栄村で開催されたYOSAKOIソーランジュニア東日本大会(現在は下郷町で開催)は、大学生の支援が...

金さえあれば学生が集められるシステム

井上久男 さん(ジャーナリスト)が書かれた 「 平安女学院大学、倒産寸前から再生で就職率100%達成 “大学のゴーン”が狙う次の一手 」(2014-07-08 Business Journal) をご紹介します。 弱肉強食といった「強欲資本主義」の流れが私立大学の経営にまで及んできている。学生数が多い、規模の大きな大学が、巨額の入学検定料や学費収入を使って展開する過大な宣伝広告によってさらに学生をかき集め、それがさらなる入学検定料や学費の増大につながるといった好循環を生み出す。定員充足率が高く、資金が豊富にある大学ほど文部科学省の補助金が手厚く行きわたる制度に変更されており、なんのための補助金かという意義も問われそうだ。 その一方で、規模の小さな大学はまったく逆のパターンである、学生数の減少→収入減→宣伝できないことによる認知度低下→学生数減少(定員割れ)→補助金削減といった悪循環に陥っている。 少子化による学生数の減少というマクロ的な問題を抱えている中で、学生の奪い合いが起こり、資金力のある大学が施設の改良や宣伝面も含めたさまざまな戦略に取り組み、少ないパイを奪っていく流れは仕方ない面もある。さらにいえば、経営努力の足りない私学が淘汰されていくのも時代の流れであろう。 しかし、あまりにも今の流れは、都会にあるマンモス大学の「強者」だけしか生き残れない流れが加速しすぎている。経営努力をして特色ある教育も実施していながら、規模が小さく地方にあるというだけで、その存続が危ぶまれかねない私学が出始めているのだ。果たしてそれでよいのか。大学は、教育と経営の両方がわかる専門性の高い人材が運営していく「社会的共通資本」であり、決して市場の論理だけで淘汰されてよいものではないはずだ。優れた「松下村塾」的大学を潰してはならないのではないか。 こうした流れに対して問題提起するのが、京都市内に本拠を構える学校法人・平安女学院大学の山岡景一郎理事長兼学長だ。山岡氏は2003年に理事長に就任。経営破たん寸前だった同大学を、大胆なリストラと、教育を受ける立場から見てのカリキュラム改革や学部再編などを通じて見事再生させ、就職率の高い大学として評価を得てきた手腕がある。「私学業界のカルロス・ゴーン」と呼ぶ人さえおり、山岡氏から大学再生のノウハウを得ようとする私学経営者も増え...

恰好いい人

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 他人を動かすことができる人 」(2014-08-01) を抜粋してご紹介します。 相手の立場に立つことができる人は、人の気持ちがわかる人。 人の気持ちがわかる人は、感性が豊かな人。 感性が豊かな人は、他人の痛みがわかる人。 だから、自分も悩む。 恰好(かっこう)いい人とは、見た目も大事だが、自分のことより先に人のことを考えたり、思いやったりできるという中身も大事。 つまり、利他の心を持った人。 また、「卑怯なことをしない」「嘘を言わない」「弱い者いじめをしない」等々の精神を、黙々と実践するような人を言う。 それらの精神が、結果的に外見というデザインに滲(にじ)み出る。 「恰好いい、ということは、他人に好かれることの基本」 感性が豊かで、恰好(かっこう)いい人は、他人を動かすことができる。 本田宗一郎「一日一話」―“独創”に賭ける男の哲学 (PHP文庫 ヒ 4-1) 著者 : 本田宗一郎 PHP研究所 発売日 : 1988-11 ブクログでレビューを見る»

国立大学の目指すべき方向性

去る7月24日(木曜日)に開催された「 国立大学法人学長・大学共同利用機関法人機構長等会議 」における 文部科学大臣の挨拶 (要旨)をご紹介します。 本日は、大変にお忙しい中、本会議に御出席をいただき、厚く皆様方に御礼を申し上げたいと存じます。また、各学長・機構長の皆様方におかれましては、日頃より我が国の高等教育と学術研究の発展にご尽力をいただいていることを、心から感謝申し上げたいと思います。 「知識基盤社会」と言われる21世紀におきまして、社会経済の高度化、複雑化、グローバル化が進む中におきまして、少子高齢化に直面する我が国が、今後も世界に互して成長、発展していくためには、一人一人の能力や可能性を最大限に引き出し、付加価値の高い生産性を高めていくことが重要であります。 特に、安倍内閣が掲げる「三本の矢」の一つである成長戦略の重要な柱である、科学技術イノベーションを進めていくためにも、高度な人材が必要となります。高度な人材の育成を担う大学の役割はますます重要になってきていると考え、私は、この大学の質と量をさらに充実をしていくことが必要であると、それは、各国が競うように、大学教育を含めた高等教育に力を入れているということからも明らかでございます。 「大学力は国力そのもの」であり、このままでは日本が世界の中で沈没しかねない。これから、大学を中心とする高等教育の再生に向けて、しっかり取り組まなくては、日本の再生はあり得ないと考えております。しかし、我が国の大学におきましては、一つは、大学生の学修時間が短い、また、社会からの期待に十分応えられていないのではないか、あるいは、国際的な評価が必ずしも上昇していないのではないかなど様々な課題が指摘されています。 こうした課題を克服しつつ、人材育成や学術研究、産学連携などを通じ、我が国の成長と発展への積極的な貢献をしてほしいという社会の大きな期待に国立大学が応えることができるよう、各国立大学及び大学共同利用機関法人の機能強化を強力に進める観点から、昨年11月、「国立大学改革プラン」を策定いたしました。 文部科学省では、このプランに基づきまして、平成27年度までの改革加速期間中に、各大学の強み・特色、社会的役割を中心としたグローバル化、イノベーション創出などの機能強化、年俸制の積極的な導入促進を柱とした人事・...

あとから来る者のために

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 トイレットペーパー 」(2014-07-30) をご紹介します。 人並み外れて不器用である。 こんな仕事をしているから器用だと誤解されがちだが、とんでもない。 何ひとつ満足にできない。 折り紙の鶴が折れない。 靴紐(ひも)が満足に結べない。 本当にお恥ずかしい。 僕以外は家系の中に不器用な人間はいないんですけどね。 絵も非常に不器用な絵で、友人仲間と比較して一番下手である。 線のひきまちがい。 失敗も日常茶飯事で、こんなに長い間仕事しているのに初歩的ミスが多くていやになる。 名人芸なんていうのは全く無関係な世界。 その僕が最近トイレットペーパーの三角折をはじめた。 トイレットペーパーを取りやすいように三角にたたむという簡単な作業。 誰でもできるが、ぼくがたたむときれいな二等辺三角形にならない。 しかしトイレを使用する度に練習した。 あんなもの練習するほどのものではない。 大多数の人はそう思いますよね。 ぼくにとっては、そうではなかった。 正確な二等辺三角形で先端がピシッととんがっている端正な形にはなかなかならなかった。 でも最近時々傑作ができる。 うーん、やった、美しい! と思ってトイレの中でひとりで感動している。 馬鹿みたいですね(馬鹿ですけど)。 勿論(もちろん)公衆トイレ、ホテルのトイレ等々でも使用後にトイレットペーパーの三角折をする。 便座も拭(ふ)く。 後から使用する人が気持ちがいいだろうと思うとうれしい。 ところで高知新聞を読んでいると山の中の神社に放火したり、町の電飾を破壊したりという記事があって暗然とする。 ぼくは高知県生まれで、土佐人であることにプライドを持っている。 しかしこんな無頼な連中がいるとは信じられない。 恥ずかしくてたまらない。 古い奴(やつ)だとお思いでしょうが、人は人のためにつくし、人をよろこばせるのが最大のよろこび。 たとえばほんのトイレットペーパーの三角折でさえも…。 ◇ 詩人の坂村真民さんに、こういう詩がある。 『あとから来る者のために 田畑を耕し 種を用意しておくのだ 山を 川を 海をきれいにしておくのだ ああ あとから来る者の...

自分で自分を律する

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 自制心がある人 」(2014-07-27) を抜粋してご紹介します。 自制心とは、セルフコントロールのことだが、自分で自分を律すること。 些細なことで怒ったり、キレたりする人はセルフコントロールができていない。 また、威張(いば)ったり、愚痴ったり、不平不満を言ったり、大きなことを言う人もセルフコントロールができない。 そして、そういう人は、人からは好かれない。 人はどこかで弛(ゆる)みが出たとき、タガがはずれ、セルフコントロールができなくなる。 セルフコントロールができない人は、自分の利や得を先に考える。 中国の六然の中に、次のような言葉がある。 「得意澹然(とくいたんぜん)」 「失意泰然(しついたいぜん)」 得意のとき、調子のよいとき、有頂天になったときには、おごりたかぶったり、傲慢(ごうまん)にならず、淡々としていること。 失意にあるとき、物事がうまくいかないときには、がっかりしたり自暴自棄になったりせず、ゆったりと構えていること。 自制心のある人でありたい。 人間の見分け方 著者 : 谷沢永一 エイチアンドアイ 発売日 : 2005-06 ブクログでレビューを見る»

誠実な生き方

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 信用を得る方策 」(2014-07-26) をご紹介します。 『正直に生きている人が得をする』〈失敗はごまかすよりも、正直に言ってしまうほうがいい〉 自分自身に後ろめたい思いがある時には、「正直に報告しなければならない」という気持ちに、どうしてもブレーキがかかってしまうものです。 「友人から借りていた本にコーヒーをこぼしてしまい、本にシミを作ってしまった」 「仕事でミスをした。そのために仕事仲間に迷惑をかけることになりそうだ」 「ついウソをついてしまった。でも、いつまでもウソをつき通すことはできそうもない」 「公園の遊具を過って壊してしまった。黙っていれば自分がしたとはバレないが、どうすればいいのだろう」 この人たちの心には、「正直に報告してしまったら、きっとひどく叱られるだろう。罰を受けることになるかもしれない」という恐怖心が働いてしまうのでしょう。 その恐怖心から心にブレーキがかかってしまって、「どうにかごまかせないか。それとも知らんぷりをしていようか」などと考えてしまいます。 しかし、それは誤解ではないでしょうか。 正直に報告してしまうことで、叱られるどころか、かえって「よくぞ正直に言った」とほめられることも多いのです。 自分の非を隠そうと思っても隠しおおせるはずはありません。 いずれ発覚してしまいます。 その時が来るまで報告していなかったり、ごまかしたり、ウソを言っていたことが発覚してしまうほうが、よほどこっぴどく叱られる結果を招きます。 そのために自分の立場をいっそう悪くし、大きな罰を与えられることになるようです。 次のような昔話があります。 江戸時代のことです。 武蔵国忍(おし)藩(現在の埼玉県)に松平信綱という殿様がいました。 信綱は子供の時に、江戸城内の屋敷の中で遊んでいる時に、過って大切な屏風(びょうぶ)を破ってしまいました。 そこへたまたま徳川将軍が通りかかりました。 将軍は「この屏風を破ったのは誰だ」と、ひどく怒り出しました。 信綱は正直に答えればもっと怒られるだろうと恐れましたが、勇気を出して「私がやりました」と告白しました。 すると将軍は怒った顔を和らげて、「よくぞ正直に申した。立派なやつだ」と、信綱をほめた...

介護と仕事の両立

「 介護離職 仕事との両立支援急げ 」(2014-07-23 東京新聞) をご紹介します。 家族の介護を理由に退職する人が急増している。少子化や介護職員不足が背景にある。企業にとっても経験豊富な人材を失うのは損失だ。介護と両立できる柔軟な働き方と支援策の充実で防ぎたい。 1年間に10万人。親の介護や看護を理由に退職した数だ。親と一緒に暮らす中高年が多く、最近は男性が目立つ。今後10年間に団塊世代が70代半ばになる。子どもの世代はきょうだいが少なく未婚率も高い。親の介護に直面すると、これまで以上に退職を余儀なくされる可能性が高まる。 総務省が昨年まとめた就業構造基本調査によると、働きながら介護している人は290万人。うち、働き盛りの40代、50代は170万人。その4割は男性だ。 介護は先の予測が立たない。育児・介護休業法で定める年間93日間の介護休暇を使っても、3カ月で終わるわけではない。職場の内外に支援がないと、結局は仕事を辞めざるをえなくなる。 一度離職してしまうと、多くのリスクを抱える。家計経済研究所の調べでは、在宅介護にかかる自己負担分は平均月6万9千円。介護保険で補われても、収入が途絶えると家計の重荷になる。再就職も難しい。老後への備えも失う。 企業にとっても職場で大切な役割を担う社員の退職はデメリットだ。柔軟な働き方ができれば、それだけ退職を防げる。 大手化粧品会社は、介護期にある社員に対し転居を伴う異動を免除している。大手住宅会社は、介護休暇を増やして分割して取れるようにし、失効した有給休暇も介護に使えるようにしている。 国の支援策としては、介護職員を大幅に増やし、介護休業期間の拡充や、休業中の給付金を増額するのも一案だろう。 一方で、介護休業の取得率は一割未満しかない。経営環境の厳しい中小企業では現行制度すら絵に描いた餅になっている。 女性が働きながら子どもを産み育てやすいようにと、子育て支援は社会の問題として語られてきた。それに比べて介護は「家庭の問題」として表に出にくかった。だが、多くの職場で共通し、誰もが当事者になりうる。男性は問題を抱え込みやすいとされる。身近に相談の場があれば、支援も受けやすくなるのではないか。 政府は本年度、有効な支援制度を実際に企業に導入してもらい、効果的な事例をまとめる。年間...

忘れられた日本人

「 (インタビュー)民俗学からみる介護 介護施設で「聞き書き」する職員・六車由実さん 」(2014-07-24朝日新聞) をご紹介します。 気鋭の民俗学者が大学を辞め、介護職員として働き始めた。それから5年。いまは静岡県沼津市のデイサービスで働く六車由実さんは、お年寄りの言葉を丁寧に「聞き書き」する独特の介護を続けている。多くの「忘れられた日本人」との出会いがあったという高齢者介護の世界。外から来た目に何が、どう映ったのか。 ▼どうしてまた、大学教員のポストをなげうって介護の仕事を始められたのですか。 「よく聞かれるんです。こんな大変な世界によく来ましたねって。でも、その言葉には介護への偏見が混じっていませんか。社会的な評価が低すぎると思います。私はここに来て初めて、ずっと感じていた生きにくさから解放されたんですよ」 「大学では雑務も多く、研究も学生との関係も思うようにいかなかった。若くて不器用だったのでしょう。行き詰まったんです。体調を崩し、このままでは壊れる、いったん大学を離れようと決めました。実家に戻って3カ月後、失業保険の手続きでハローワークに行ったら、ヘルパーの講習会があるよと窓口で勧められた。それがきっかけです。もう大学に戻る気はありません」 ▼なぜ聞き書きをやろうと? 「デイサービスには在宅で暮らすお年寄りが日帰りで通ってこられます。朝9時から夕方まで、体操、入浴、食事、娯楽と予定がびっしり。いくつもの仕事を覚え、人並みにこなすので精いっぱいでした」 「ある日、隣に座った大正生まれの女性が関東大震災のときに竹林に逃げた体験を語り始めたんです。すると向かいの人も『私も』と切り出した。びっくりしました。民俗学の調査では出会えなかった大正一桁(ひとけた)、明治生まれの人から鮮明な体験談を聞けたわけですから。えっ、ここはどこなんだと。しかも民俗学と違って偶然の展開に任せるため、想像を超えたお話が聞けるのです」 ▼たとえば、どんな話ですか。 「無口で気むずかしい要介護度5の男性がいました。出身が宮崎県と知り、話の糸口にと思って、『私も宮崎の椎葉(しいば)村に行ったことがあるんですよ』と話しかけたんです。かつて柳田国男が訪れた、民俗学発祥の地ともいわれる山奥の村です。そしたら『俺も行った』と話し始めた。電線を引くお仕事でした。...

研究倫理教育の実践

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このたび、文部科学省では、「 研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドライン(実施 基準) 」(平成26年2月改正)の周知徹底を図るべく、その内容を取りまとめたコンテンツを制作、公表しました。各研究機関における効果的な活用が求められています。 「研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドライン(実施基準)」に係るコンプライアンス教育用コンテンツ(文部科学省) 文部科学省では、各機関が公的研究費を適正に管理するために必要な事項を示すことを目的として、平成19年2月に「研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドライン(実施基準)」を策定・運用してきました。 しかし、昨今、不正事案が社会問題として大きく取り上げられる事態となったことを受け、従前のガイドラインの記述の具体化・明確化を図り、平成26年2月に本ガイドラインを改正いたしました。 この度、改正したガイドラインに定められている事項のうち、国として公的研究費の管理監査の観点から、各機関に共通する内容を取りまとめたコンテンツを制作いたしました。 本コンテンツを各機関のコンプライアンス教育に活用するなどにより、研究費の管理・監査体制の構築に役立ててください。 なお、本コンテンツは、ガイドラインの内容の主要な事項を全て網羅するため、研究者向けと管理者向けそれぞれ1時間程度で作成しています。 したがって、各機関においては、構成員に特に周知を図る必要がある箇所や、各機関におけるコンプライアンス教育内容と重複する箇所などを考慮し、例えば、コンテンツの一部を省略し、特に必要と判断する箇所を活用(印刷用PDFの利用も含む)するなど、効果的に活用いただきますようお願いいたします。 管理者向け Section1 研究費制度の概要 Section2 ガイドラインの要請事項(1)~不正防止の取組~ Section3 不正の基礎知識と事例紹介等 Section4 ガイドラインの要請事項(2)~不正発覚後の対応~ Section5 ガイドラインに関する質問と回答 【印刷用】 研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドラインについて(管理者向け)  研究者向け Section1 研究費制度の概要 Section2 ガイドラインの要請事項(1)~不正防...

ぼくたちの場所・来間小中学校フォトプロジェクト

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沖縄県・ 来間島(くりまじま) の小学生たちが、島の日常を写した写真展「 ぼくたちの場所 」が8月1日(金曜日)から、 ギャラリー・アートグラフ (東京都中央区銀座2-9-14 2F)で開催されています。 開館時間は、午前10時~午後6時(木・土曜午後5時まで、日曜休み)、入場は無料です。7日(木曜日)まで開催されますので、お時間のある方はどうぞよろしくお願いします。 写真展:小学生が撮影した沖縄の離島の日常 銀座で(抜粋)(2014-08-01 毎日新聞) 沖縄県宮古島の南西1.5キロにある人口約180人の離島、来間島(くりまじま)の小学生たちが、島の日常を生き生きと写した写真展「ぼくたちの場所」が1日、中央区銀座2のギャラリー・アートグラフで始まる。 同県出身で米ニューヨーク在住の写真家、比嘉良治さん(76)を中心に進める「沖縄来間島・来間小中学校フォトプロジェクト」の成果。2011年、宮古島を訪れた比嘉さんは、知人に「来間島の子供の素晴らしい感性を伸ばしたい」と相談された。「デジタルカメラなら維持費もかからない」と、友人らと使っていないコンパクトカメラなど約80台を集め、来間小・中学校の子供たちに贈った。 中学校は今年3月に廃校になったが、 写真展 では小学校の在校生5人を含む子供10人が撮りためた作品から、約70点を展示する。同小3年の砂川野之花(ののか)ちゃん(8)は「身近な木や花を撮るのが好き」という。 ぼくたちの場所~来間小中学校フォトプロジェクト~ このプロジェクトについて 来間島の子ども達と、島ぐるみで取り組んできたプロジェクトの集大成となる、写真展を開催したい! はじめまして!砂川葉子と申します。来間島に嫁いで14年、ゴーヤー農家で、3児の母で、来間小学校のPTA会長です。 島にたったひとつの来間小中学校の子ども達が「来間島の今」、「島の日常」をカメラで写し残す活動を支援するために、昨年11月に来間小中学校フォトプロジェクト実行委員会を立ち上げました。(現在、中学校は廃校となってしまいました。) この度、来間島の子どもたちの素直な目でカメラにおさめた写真の数々は、早くも高く評価され、来間小中学校フォトプロジェクトによる「ぼくたちの場所」展が、銀座の写真弘社様の支援により同社のギャラリー・ア...