2014年8月7日木曜日

誠実な生き方

ブログ「人の心に灯をともす」から信用を得る方策」(2014-07-26)をご紹介します。


『正直に生きている人が得をする』〈失敗はごまかすよりも、正直に言ってしまうほうがいい〉

自分自身に後ろめたい思いがある時には、「正直に報告しなければならない」という気持ちに、どうしてもブレーキがかかってしまうものです。

「友人から借りていた本にコーヒーをこぼしてしまい、本にシミを作ってしまった」

「仕事でミスをした。そのために仕事仲間に迷惑をかけることになりそうだ」

「ついウソをついてしまった。でも、いつまでもウソをつき通すことはできそうもない」

「公園の遊具を過って壊してしまった。黙っていれば自分がしたとはバレないが、どうすればいいのだろう」

この人たちの心には、「正直に報告してしまったら、きっとひどく叱られるだろう。罰を受けることになるかもしれない」という恐怖心が働いてしまうのでしょう。

その恐怖心から心にブレーキがかかってしまって、「どうにかごまかせないか。それとも知らんぷりをしていようか」などと考えてしまいます。

しかし、それは誤解ではないでしょうか。

正直に報告してしまうことで、叱られるどころか、かえって「よくぞ正直に言った」とほめられることも多いのです。

自分の非を隠そうと思っても隠しおおせるはずはありません。

いずれ発覚してしまいます。

その時が来るまで報告していなかったり、ごまかしたり、ウソを言っていたことが発覚してしまうほうが、よほどこっぴどく叱られる結果を招きます。

そのために自分の立場をいっそう悪くし、大きな罰を与えられることになるようです。

次のような昔話があります。

江戸時代のことです。

武蔵国忍(おし)藩(現在の埼玉県)に松平信綱という殿様がいました。

信綱は子供の時に、江戸城内の屋敷の中で遊んでいる時に、過って大切な屏風(びょうぶ)を破ってしまいました。

そこへたまたま徳川将軍が通りかかりました。

将軍は「この屏風を破ったのは誰だ」と、ひどく怒り出しました。

信綱は正直に答えればもっと怒られるだろうと恐れましたが、勇気を出して「私がやりました」と告白しました。

すると将軍は怒った顔を和らげて、「よくぞ正直に申した。立派なやつだ」と、信綱をほめたのです。

それ以降、信綱に目をかけ、出世の面倒を見てやったのです。

現代のビジネス社会でも、不祥事を起こしたものの、それを公表するのが遅れたり、世間から隠そうとしたために激しく非難される経営幹部がいます。

そのために信用を失って、会社の業績が傾いてしまった、というニュースもよく聞きます。

もしもっと正直に、もっと早く、自分の非を世間に公表していたら、損害も少なくて済んだのではないかと思わせる事件も少なくはありません。

ミスや失敗は正直に早く報告しましょう。

それが信用を得る方策です。


ちょっとした小さなウソも、それを積み重ねていると、時間がたてばたつほど、後でにっちもさっちもいかなくなってしまう。

一つのウソのつじつまを合わせるために、また別のウソをつかなければいけないからだ。

しかし、本人はごまかしているつもりでも、周りのほとんどの人は途中からそのウソに気付く。

「誠実さ」、という言葉がある。

ウソをつかない、ごまかさない、守れない約束はしない、責任感がある、卑怯(ひきょう)なことをしない、正直である、というようなことだ。

ウソをついて真実から逃げれば逃げるほど、真実からは追いかけられる。

非を認めることは、早ければ早いほどいい。

正直という誠実さを貫くには、勇気がいる。

正直に生きれば、信用が得られる。