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8月, 2017の投稿を表示しています

記事紹介|定型の沖縄論の空疎さ

世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。 理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。 一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収300万~400万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収55万~99万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。 また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。 新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。 木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。 だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。 前述の...

記事紹介|すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した。「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる」。明治生まれの工学者・谷村豊太郎の言葉だ。 海軍の技術将校を経て1939年、藤原工業大(慶応大理工学部の前身)の初代工学部長に就いた谷村は、基礎の徹底と人格向上を工学教育の柱に据えた。 時流を追うだけの知識や技術はすぐに色あせる。時代に左右されない基礎理論を習得してこそ応用力が生まれる。同時に工学が兵器を生む怖さも忘れてはならない-という精神だった。 当時、慶応義塾塾長だった小泉信三は50年に著した「 読書論 」の中で、谷村の言葉を「至言」と振り返り、読書でも時代を超えて読み継がれる「古典的名著」に親しむことが大切と説いた。 志願者増を狙った学部・学科の改廃、短絡的な文系学部不要論、相次ぐ入試制度の見直し…と現代の大学教育は迷走気味。政府は東京一極集中の是正に向け都心の大学の定員を抑制するとも言いだした。 これがどこまで「役に立つ」のか。そもそも学問の自由や大学の自立精神が揺らいでないか。肝心の議論が聞こえてこない。目先の利に走らず、地道に人を育て、時代の変化にも耐えうる技術や製品を生み出していく‐。谷村の戒めを“応用”することは企業経営の要諦(ようてい)でもあろう。小泉の「読書論」は岩波新書版で今なお読み継がれている。 「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した…|西日本新聞  から

記事紹介|ヤジロベエのように

人生の真実とは、理想ばかり追い求めたり、現状に甘んじることではない。鈴木秀子 知り合いの70歳の女性の話です。 彼女は戦争で父親を失い、母親と祖父母の手で育てられました。 家は貧しく中学を卒業すると働きに出ました。 社会に巣立つ日の朝、お祖母さんが彼女を座らせて社会で生きる心構えを諭しました。 「中学を出たばかりのおまえは、これから様々な辛い経験をするかもしれない。でも決して羨ましがってはいけないよ」 すると、それを聞いていたお祖父さんが「いや、この若さで、人を羨ましがらないですむことはあり得ないな」とまるで独り言のように呟いたといいます。 少し間をおいてお祖母さんが「あなたより物質的に豊かな人が沢山いるけれども、人の物を欲しがるような気持ちは起こしてはならない」と話します。 するとまたお祖父さんが「こんな若い子が、人が良い物を持っていたら欲しがるのは当たり前じゃないか」とポツンと囁くのです。 お祖母さんが「何があっても、決して人に迷惑を掛けてはいけないよ」と三つ目の心得を話した時も、「だけど、人間というものは迷惑をかけながら、お互いに支え合って生きていくものだ」とお祖父さんの独り言が続きました。 彼女は2人の餞(はなむけ)の言葉を常に心の支えにしながら、生きてきました。 そして70歳のいま、過去を振り返りながら「もしお祖母さんの言葉しか聞いていなかったら、"こうあらねば"という思いに縛られて精神的に行き詰まっていたでしょう。お祖父さんの言葉だけで生きていたら怠け者になっていたかもしれない。2人が共に人生の真実を伝えてくれたからこそ、ここまでくることができました。」としみじみ語ってくれたことがあります。 「こうあるべき」というべき思考が強すぎてもいけない。でも怠けすぎてもいけない。 人生には場面に応じてどちらもあるという中庸さを知っていることが大事なのですね。 ヤジロベエが左右に振れながら真ん中に戻って来るように。 中庸|今日の言葉  から

記事紹介|変化対応能力を磨くこと

《高校生諸君へ》 君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか? 大きく3点あります。 ものすごく大きな違いがね。 1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。 会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。 新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。 結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。 だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。 2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。 いまの高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれなんです。 グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいいでしょう。 君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになるでしょう。 ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなるんです。 たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖(つえ)」は最強ですよね。 親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかったんです。 自分の存在の半分は、ネットのなかで広がりながら他人とつながりを持つことになります。 そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。 ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。 リアルかバーチャルかは関係ありません。 リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増えるでしょう。 だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。 グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられないと思います。 3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。 明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになります...

記事紹介|憲法から取り残されてきた沖縄

日本国憲法から最も遠い地。それは間違いなく沖縄だ。 「憲法施行70年」の最初の25年間、沖縄はその憲法の効力が及ばない米軍統治下にあった。沖縄戦を生き抜き、6月に亡くなった元知事の大田昌秀氏は、戦後の苦難の日々、憲法の条文を書き写して希望をつないだ。 それほどにあこがれた「平和憲法のある日本」。だが本土復帰から45年が経ったいま、沖縄と憲法との間の距離は、どこまで縮まっただろうか。 重なりあう不条理 米軍嘉手納基地で今年4月と5月に、パラシュート降下訓練が強行された。過去に住民を巻き込む死亡事故があり、訓練は別の基地に集約されたはずだった。米軍は嘉手納での訓練を例外だというが、何がどう例外なのか納得ゆく説明は一切ない。 同じ4月、恩納村キャンプ・ハンセン内の洪水調整ダム建設現場で、民間業者の車に米軍の流れ弾が当たる事故が起きた。演習で木々は倒れ、山火事も頻発して森の保水力が低下。近くの集落でしばしば川が氾濫(はんらん)するため始まった工事だった。 航空機の騒音、墜落の恐怖、米軍関係者による犯罪、不十分な処罰、環境破壊と、これほどの不条理にさらされているところは、沖縄の他にない。 普天間飛行場の移設問題でも、本土ではおよそ考えられない事態が続く。一連の選挙で県民がくり返し「辺野古ノー」の意思を表明しても、政府は一向に立ち止まろうとしない。 平和のうちに生存する権利、法の下の平等、地方自治――。憲法の理念はかき消され、代わりに背負いきれないほどの荷が、沖縄に重くのしかかる。 制定時からかやの外 敗戦直後の1945年12月の帝国議会で、当時の衆院議員選挙法が改正された。女性の参政権を認める一方で、沖縄県民の選挙権を剥奪(はくだつ)する内容だった。交通の途絶を理由に「勅令を以(もつ)て定める」まで選挙をしないとする政府に、沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は「沖縄県に対する主権の放棄だ」と激しく反発した。 だが、連合国軍総司令部の同意が得られないとして、異議は通らなかった。翌年、沖縄選出の議員がいない国会で、憲法草案が審議され成立した。 52年4月には、サンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から切り離される。「銃剣とブルドーザー」で強制接収した土地に、米軍は広大な基地を...

記事紹介|人と違うことをすることを恐れない

天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。 その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。 過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。 そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。 「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で闘病する父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。 やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。 自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」 三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。 今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。 ここに私の原点がある。 生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。 だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。 たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか? 手術するのは学者ではない。 組織で偉くなる人でもない。 今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。 最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。 つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。 私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。 プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。 ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。 1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。 そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。 だから、若い人のいろいろな経験...

記事紹介|行政が学問の成果を評価するということ

「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。運動競技とは異なり、むしろ芸術におけると同じく、まずは創造性を尊ぶべきであり、個人の論文生産能力、優勝劣敗を決めることではない。論文指標偏重の評価システムは明らかに不見識、かつ若い世代の価値観を拘束し、生き方を誤った方向に導くため、強く再考を求めたい。全体統計的にも、また個々の評価についてはなおさら問題は大きい。実は、研究社会が自らの見識をもって評価することを怠ってきたことが、規格化された評価制度への過度な依存を引き起こし、その結果、自らを疲弊に追い込んでいる。 「自治の府」としての研究社会における評価 この数値の背後にある理性、科学的意味は何か。今日では米国のクラリベイト・アナリティック社のWeb of Science(旧トムソン・ロイターズ社の時価35.5億ドルの事業)、オランダのエルセビア社のScopusなどの商業的情報提供事業がコンピュータ技術を駆使し、引用データを集計する。そして多様複雑に加工した数値結果を高価に売りつけ、個人評価や組織の格付けなどに最大限活用すべく促す。もう60年以上も昔に「研究成果の計測」を試みたユージン・ガーフィールドの創造性は特筆に値する。しかし現状は、この創始者自身による「その内在的価値を評価するのが科学的知性」との戒めにもとるものである。 アカデミアは自治の府であり、人間疎外のソフトウエアが一義的に規定する社会(Software-defined Society)ではない。学術、科学技術の実践のみならず、成果の評価についても、自らの判断基準を設定すべきであり、自己決定権を安易に情報企業に売り渡すことがあってはならない。優れた研究者を効率的な論文製造機と定義することは不適切である。科学的批判力をもって断...

総理、あなたはどこの国の総理ですか

「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。 日本政府に訴えます。 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の...

記事紹介|平和な社会を築くために

私はこの任務を誇りを持って旅立ちます。 お父さんお母さん先立つことをお許し下さい。 私は戦争のない世界を、未来の子ども達が創ってくれることを信じて飛び立ちます。 ◇ 18歳で特攻隊に志願して飛び立った少年の手紙から紹介します。 今日の長崎原爆の日を含め8月は先の大戦について思いを馳せる月です。 政治判断の過ち、正しい考えを持った人がいても 大きな流れに抗えなかった組織の過ちを反省して参考にするとともに、 名もなき多くの市民の犠牲と、未来を信じる心の上に、 我々の今の生活があること、平和があることを忘れないようにする。 『善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと。』 とは特攻隊員の母として慕われた鳥濱トメさんの言葉です。 トメさんは鹿児島県の知覧飛行場のそばで富屋食堂を営み、多くの若き特攻隊員の出撃前の面倒を見られました。 『平和な社会を築くために、必要なものが三つあると私は思っています。 「勇気」と「行動」と「愛情」です。 「勇気」と「行動」だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。 「行動」と「愛情」だけでは、物事を変革するのに怖気づいてしまうことがある。 「勇気」と「愛情」だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。 この三つが揃って、初めて物事をなしていくことができるでしょう。』 これは被爆者の笹森恵子(しげこ)さんの言葉です。 日々徳を積み、「勇気」と「行動」と「愛情」の3つをセットにして、 挑戦していきましょう。 平和|今日の言葉  から

記事紹介|競争相手は時代の変化

社会が成熟する中、企業は非連続の成長をせざるを得ない状況です。そこに必要なのは、イノベーションです。 しかし残念ながら、従来型のリーダーシップでは、イノベーションを起こし続けるのは難しくなってきているのです。 これから企業に求められるイノベーションのためには、顧客インサイトをいかに捉えるか、しかも、1人の天才ではなく、集団天才型のチームで「顧客共創」をすることが極めて重要になってくる、というポイントです。 社会実験と市場テストを繰り返すことで、あるいは越境して離れた領域をつなぐことで、顧客の洞察、市場の洞察、社会の洞察を引き出していく。 多様な異能の能力を組み合わせて、顧客も巻き込みながら、既存のバイアスを壊し、新しい顧客価値を共創していく。 そうでなければ、見えてこないニーズ、サービス、プロダクトがあるからです。 それは、デジタル革命の経営に対する影響力が非常に高まっているためです。 ビジネスにも、企業経営にも、テクノロジー理解が欠かせないものになっている中、コンピュータやスマートフォン、インターネット、ビッグデータ、AI(人工知能)、ロボット、自動運転、EV(電気自動車)、ドローン、ブロックチェーンといったテクノロジーをいかに自社の事業開発・組織開発に活かせるかが、企業の稼ぐ力を左右するようになってきています。 こうしたテクノロジーに若い頃から自然に触れている、「デジタル・ネイティブ」世代が、すでに活躍を始めているのです。 この世代こそ、次世代を担うにふさわしいスキルと感性を持っているのです。 これ以外にも「40歳社長が必要である」理由がいくつもあります。 さらにもうひとつ、日々、多くのビジネスパーソンと触れ合う中で伝えなければいけないと感じていたのが、新しい時代のキャリアづくりです。 リンダ・グラットン教授による『ライフ・シフト』でも言及されている通り、現在、50歳未満の人は100歳を超えて生きるだろうと予測されています。 つまり、「人生100年時代」が訪れるわけですが、これはすなわち働く期間も長くなっていくことを意味します。 日本ではこれから、人口減とともに労働人口の減少が進んでいきます。 一方で、テクノロジーの進化や顧客ニーズの高速変化から、ビジネスモデル寿命はどんどん短くなっていきます。 私...