朝日新聞によれば、厚労省研究班の推計によると、65歳以上の高齢者のうち認知症の人は15%で約7人に1人、2012年時点で462万人にのぼる。さらに軽度認知障害(MCI)と呼ばれる「予備群」も約400万人いる。認知症の把握がより正確になったことや、高齢化が進んだことなどから、有病率は1985年の6・3%から2倍以上に。最も多いのは、「アルツハイマー型」で半数以上を占めるそうです。
「(大介護時代)だれが見守る?:1 今日を乗り切る、それだけ 出歩く親、気抜けない」(2014年6月26日朝日新聞)をご紹介します。
外出して歩き回る「徘徊(はいかい)」と呼ばれる行動は、認知症の症状のひとつです。行方不明になることも、危険な目に遭うこともあります。認知症男性の鉄道事故の裁判で、妻に監督責任があるとの判決が4月に出ました。家族や施設、地域はどう向きあえばいいのか。介護中の家族は「今日を乗り切るだけ」と言います。
「腹減った」「腹減った」「腹減ったーっ」
東京都青梅市にある一軒家。夕暮れ時、デイサービスから帰ってきた川鍋美津子さん(70)が甲高い声で叫び続けた。「まだだって言っているだろっ」。夫の健司さん(74)がたまらず、怒鳴った。興奮した美津子さんが食卓にあった湯飲みを手で払いのけると、健司さんのシャツがびしょぬれになった。
おさまらない美津子さんは家の中をドスドス歩き回る。
食事を遅くしようとするのは、早く食べて寝ると未明に起き、家を飛び出ることがあるからだ。健司さんは「病気だから仕方がない」と言いつつ「もう何年もこんな感じだから。ふつうの家がうらやましい、と思う時もあるよ」。
「前頭側頭型」という、行動抑制がきかなくなるタイプの認知症だ。美津子さんの場合、興奮すると、ののしり、たたくといった症状もある。
美津子さんは朝晩を問わず、いつ出かけようとするかわからない。デイサービスで過ごす時間以外、健司さんと娘の美佐子さん(42)は常に気が張り詰めている。
50キロ先で保護
きちょうめんで我慢強い性格だったという美津子さんが発症したのは12年以上前。9年前には原因不明の頭痛を訴えて床を転げ回ることがあり、2年間、精神科病院の認知症病棟に入院した。
いま要介護4。ひざが悪いものの、寝起きや歩行には支障がない。2年前、健司さんと外出中、最寄り駅の近くでいなくなったこともある。4時間後、直線距離で50キロ以上離れた葛飾区で歩いているところを警察に保護された。
最近、遠出は減ってきた。ただ、月に数回は深夜や早朝に突然抜けだし、近所の公園や市内の親戚宅に行こうとする。夜間は玄関の戸の外側から鍵をかけて出られないようにすることもある。だが、「開けろ」と騒ぎ続け、あきらめることはない。
介護ケアマネジャーの美佐子さんには、母に施設での集団生活が難しいことがよく分かっている。また、入院すれば、月々の費用負担は重くなる。母自身が自宅での暮らしを望んでいる、とも感じる。
「父が倒れたら私一人でみられるだろうか、という不安はある。でも、今は、先のことまで考えられない。今日一日を乗り切りたい。毎日考えるのは、それだけです」
引きとめても
広島県福山市の会社員橘高(きったか)宏治さん(55)は、同居する両親がともに認知症だ。母の千鶴子さん(81)はアルツハイマー型。父の保さん(84)は脳血管性。妻(57)、会社員の次女(21)との介護生活は約7年になる。
「里へ帰る」。足腰が丈夫な母はこう言って頻繁に外へ出ようとする。今月半ばの日曜、険しい表情で鍵がかかった玄関の引き戸を開けようとした。「何のためにこうなっとるん」。母は橘高さんに強い口調で言った。
母の「外出」が頻繁になったのは3年前。最初は2日に1回程度だったのが、昨年からは毎日、引きとめても出て行くようになった。
8月には、JR山陽線の踏切を渡ろうとして線路上で立ち往生した。橘高さんの子どものころがよみがえったのか、「宏治がおらん(いない)。まだ小さいけえ」。後ろについていた妻が慌てて「こっちよ」と引っ張り出した。橘高さんは「もし遮断機が下りていたらと想像するだけで今でも怖くなります」。
今年2月には、近所の人が「お母さん、出とるよ」と知らせに来た。父は「ばあさんが出て行った」と泣き出した。橘高さんが父をなだめ、探しに出たのは15分後。幸い、スーパーの前にいた母を見つけたが、行方不明になっていた可能性もある。両親は自分の名前は言えるが、名字や住所の認識はあいまいだ。
「過労」の診断
父は足腰が弱くなり、あまり出歩かなくなった。だが今年初めにはパン工場に勤めていた頃を思い出したのか、早朝に起き、玄関の鍵を開け、手押し車を押して出て行った。そばで寝ていた橘高さんが気づき、付き添った。
橘高さんの「安息日」は両親がデイサービスなどで不在になる土曜の朝から夕方までだけだ。今年5月、帯状疱疹(ほうしん)に悩まされた。多忙な営業の仕事をしながらの介護。医師からは「過労」と言われた。
父か母が家にいる時は、玄関そばの台所に誰かが門番のように詰める。勝手口には自転車などで緩やかな「バリケード」を作っている。それでも母は出て行こうとする。
「24時間監視しろと言うなら、お父ちゃん、お母ちゃんにヒモをつけにゃいけんことになる。そんなこと誰も望んでないですよね」(立松真文、森本美紀)
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<認知症男性の死亡事故と判決>
2007年、愛知県で認知症の男性(当時91)がJR東海道線の駅構内で列車にはねられて亡くなった。介護していたのは要介護1の妻(当時85)と長男の妻。男性は妻がまどろむ間に外出していた。JR東海は振り替え輸送費などの損害賠償を求めて提訴。今年4月、名古屋高裁は、妻に約359万円の支払いを命じる判決を出した。