大学は「就職のための投資」にすぎないのか ――ある学長のエッセイから考える
大学は就職のための投資なのか。それとも、人が大人へと成長する場なのか。 Forbes JAPANに掲載されたある学長のエッセイ を手がかりに、大学の価値を考えてみます。 「大学に行く意味とは何か」。進路に悩む高校生も、子の進学を見守る親も、一度はこの問いに向き合うのではないでしょうか。先日、Forbes JAPANに「大学の真の目的とは何か──ある学長の視点」と題する記事が掲載されました。この記事を手がかりに、大学の価値について考えてみたいと思います。 7年以上 筆者の学長歴 18歳 娘を送り出した年齢 5つ 本稿で挙げる疑問 4つ 進学前に考えたい問い 記事の主張 筆者は、七年以上にわたり大学の学長を務めてきた人物です。その筆者が、十八歳の娘を大学へ送り出す立場になって初めて、長年考えてきた問いの答えを実感として理解したといいます。 主張の核心を一言でまとめれば、次のようになります。 大学を「就職のための投資商品」とのみ捉えるのは、その本質を見失うことである。 筆者は、高校までの若者を親や家庭に守られた存在として捉え、社会に出れば自らの人生を自ら引き受けることになる、と考えています。大学は、その中間にあたる期間です。 高校まで 親・家庭に守られる ▶ 大学 (通過の場) 考え、失敗し、価値観を築く ▶ 社会へ 自らの人生を自ら引き受ける 親元を離れ、自分で考え、時に失敗し、他者と関わりながら、自分なりの価値観を形づくっていく。そうした移行の時間を支える場こそが大学だというのが、筆者の大学観です。 結びで筆者は、大学を「アルマ・マーター(育ての母)」と呼び、 「大学は商品ではない。通過の場である」 と述べています。 年収という物差しだけでは測れないもの 筆者が疑問を呈するのは、次のような見方です。 「大学に何百万円を払い、卒業後に年収がこれだけ増える。ゆえに大学の価値はこれだけである」 費用対効果で教育を語る風潮は、確かに広がっています。しかし、音楽や文学、歴史を学んだ成果を、年収の増減だけで評価することには違和感が残ります。大学で人が得るものは、知識や資格にとどまりません。 どのような友人と出会うか どのような考え方に触れる...