壁は、あなたの本気を試している。夢をあきらめない人に伝えたいこと
人は誰しも、人生のどこかで壁に突き当たります。努力が報われない日もあれば、長く抱いてきた夢が遠のいたように感じる日もあります。そのとき私たちは、壁の高さばかりを見つめてしまいがちです。
しかし、ある一人の人物の生き方が、壁の意味をそっと問い直してくれます。
一度は門前払いされた夢
ある大学で教壇に立っていた一人の教授は、少年のころから抱き続けた夢を持っていました。世界的な娯楽施設のアトラクションを設計する部門で働くことです。
博士号を取得したのち、教授は履歴書を送りましたが、結果は不採用でした。ところが教授は、夢を手放しませんでした。仮想現実の専門家として研鑽を積み、実績を重ねながら機会をうかがい続けます。そしてついに、狭き門をくぐり抜け、念願の設計者となったのです。
壁は、自分の本気を映す鏡
この言葉は、壁に対する見方を静かに変えてくれます。立ちはだかるものは敵ではなく、問いかけなのです。それでも進みたいのか、と。
本当に叶えたい夢を持つ人は、壁が高くても歩みを止めません。壁は一生のうちに越えればよいのですから、焦る必要もありません。
また、一度手が届かなかった夢、あるいはあきらめかけた夢が実現したときにこそ、人は深い喜びを味わうものです。しかも、人生の壁は、ときに私たち自身がつくり出してしまうこともあります。「どうせ無理だ」という思い込みが、本来はなかったはずの壁を築いてしまうのです。
だからこそ、いったん手放した夢にもう一度挑むことには、大きな意味があります。そこには、本当の自分に出会うためのヒントが隠れているかもしれません。壁の向こうの景色を見て見ぬふりをしてしまえば、のちに悔いが残ります。それはあまりにもったいないことです。
最後の授業に込められた願い
この教授は、若くして世を去りました。余命わずかと宣告されたのち、母校で「最後の授業」と題した講義を行い、子どものころの夢をいかに実現してきたかを語りました。講義の結びで、本当に語りかけたかった相手は会場の聴衆ではなく、幼い自分の子どもたちだと明かしたといいます。
限られた時間のなかで教授が遺したのは、成功の自慢ではなく、壁との向き合い方でした。その姿は、世代を超えて私たちの背中を押してくれます。
打つ手は、いつも無限にある
「打つ手は無限」と題された、ある詩があります。その趣旨はこうです。
愚痴や泣き言が口をついて出るのは、多くの場合、行動を止めてしまったときです。行動すれば、新しい景色が見え、新しい知恵に出会い、新しい手が見つかります。試練は、解決の糸口を連れてやってくる。そう信じて動き続ける人の前には、道が現れるのでしょう。
結びに
壁は、死ぬまでに越えればよいものです。急ぐ必要はありません。ただ、あきらめないことだけが求められています。
今、行く手を阻まれているように感じている方も、かつて手放した夢を胸の奥にしまっている方も、どうか思い出してください。その壁は、あなたの本気を試すために、そこに立っているのです。
何度つまずいても、また立ち上がる。その繰り返しのなかに、人生の深い喜びがあるのだと、私は思います。
出典
ブログ記事「打つ手は無限」(『人生の壁』) ブログ名「人の心に灯をともす」
https://ameblo.jp/hiroo117/entry-12980168110.html

コメント
コメントを投稿