奨学金を「会社が返す」時代へ――代理返還制度が変える、若者・企業・地域の現在地

はじめに――「奨学金を返す会社」が増えている

大学や専門学校を卒業した後、毎月の給与から奨学金を返していく。かつては、それを個人の問題として考えるのが普通でした。

しかし、いまは少し事情が変わっています。

「その奨学金、会社が返します」

そんな求人を出す企業が増えているのです。

日本学生支援機構(JASSO)の「企業等の奨学金返還支援(代理返還)制度」は、2021年4月に始まりました。企業が従業員に代わってJASSOへ直接送金し、奨学金の返還を支援する仕組みです。

利用企業は急増し、2025年度末(2026年3月末)には4,852社に達しました。支援を受ける返還者も2万6,422人に増えています(日本経済新聞、2026年7月28日付)。さらに文部科学省は、2026年度末に約7,000社、2027年度末には約1万社まで利用企業を増やす目標を掲げています。

利用企業(2026年3月末)
4,852社
支援を受ける返還者
26,422人
国の目標(2027年度末)
約1万社

もはや、一部の企業だけが採用する珍しい福利厚生ではありません。

では、なぜ企業は「社員の借金」を肩代わりするのでしょうか。その背景には、若者の経済的負担、企業の人手不足、地域の人材流出という、別々に見えていた問題が、一つの制度でつながり始めていることがあります。

なぜ、いま「奨学金を会社が返す」のか

数百万円を抱えて始まる社会人生活

奨学金は、若者にとって決して珍しいものではありません。広島県が紹介するJASSOの調査では、大学生の55.0%、専門学校生の60.6%が何らかの奨学金を受けています。平均的な借入総額は310万円、返済期間は平均14.5年です。

奨学金を取り巻く数字
大学生の受給率
55.0%
専門学校生の受給率
60.6%
平均借入総額
310万円
平均返済期間
14.5年
返済に不安を感じる
約7割
出典:広島県(JASSO調査、労働者福祉中央協議会調査を紹介)

返済は毎月少しずつでも、10年、15年と続けば、生活設計に影響します。労働者福祉中央協議会の調査では、奨学金利用者の約7割が返済に不安を感じていました。広島県の資料は、仕事や就職先の選択、結婚、出産・子育て、住宅取得といった人生の節目への影響を挙げています。

当時の文部科学大臣だった松本洋平氏も、7月24日の日本商工会議所との面会で、返還負担が若者のライフプランに影響を与えているというアンケート結果に触れ、制度の浸透が課題だと述べています。

企業の側にも切実な事情がある

一方、企業側には別の問題があります。若い人を採用したい。しかし、採用できない。せっかく採用しても、定着しない。給与だけで採用競争をするのが難しい企業には、こんな発想が生まれます。

「それでも、若い人に選ばれるために、給与以外で何かできないか」

この発想が、奨学金返還支援につながります。

「奨学金支援」は、福利厚生から採用戦略へ

企業が奨学金を支援すれば、当然コストがかかります。それでも導入が増えているのは、単なる福利厚生ではなく、採用・定着のための投資として見る企業が増えているからでしょう。

広島県が令和7年度に、県内の導入企業97社(回答率48.5%)へ行った調査では、導入の目的は次のとおりでした。

図1 制度導入の目的(広島県・導入企業97社)
採用を有利にするため
51.5%
福利厚生の充実
29.9%
従業員の定着
18.6%

同じ調査では、導入に踏み切った要因や後押しになったもの(複数回答)も尋ねています。最も多かったのは「若手従業員の獲得競争の激化」(68.0%)で、「賃金以外の待遇改善の必要性」(53.6%)、「若手従業員の定着率の低下・低迷」(40.2%)が続きました。

図2 導入に踏み切った要因・後押し(複数回答)
若手従業員の獲得競争の激化
68.0%
賃金以外の待遇改善の必要性
53.6%
若手従業員の定着率の低下・低迷
40.2%

これは一つの県の調査で、手当方式も含む制度全般についての数字ですから、そのまま全国の傾向とみなすことはできません。それでも一つの示唆はあります。企業が奨学金返還支援を導入する背景には、「社会貢献」だけでなく、若手の獲得競争の激化と、賃金以外で待遇を改善したいという事情があるということです。奨学金支援が、福利厚生にとどまらず、賃金以外の採用競争力として捉えられていることがうかがえます。

受け取る側の声も、同じ調査で拾われています。対象の従業員182人のうち、勤務先の支援を受けて「負担が軽くなった」と答えたのは53.3%。制度のある勤務先に「従業員を大切にする会社だと感じている」と答えたのは68.7%でした。

図3 支援を受けた従業員の声(広島県・従業員182人)
支援を受けて「負担が軽くなった」
53.3%
「従業員を大切にする会社だと感じている」
68.7%

企業が「社員の借金」を返すと、何が変わるのか

月1万円の重み

例えば、毎月1万円を会社が負担すれば、年間12万円。5年間なら60万円、10年間なら120万円です。金額だけを見れば、それほど大きく感じない人もいるかもしれません。

図4 月1万円の支援が積み上がると
1年間
12万円
5年間
60万円
10年間
120万円

しかし、社会人になったばかりの時期の月1万円は、決して小さくありません。その1万円が、貯蓄、資格取得、引っ越し、結婚、子育て、住宅取得などに回る可能性があります。

JASSOが紹介する利用者の声には、「物価高で賃金が上がらないなか、浮いたお金を貯金や自分のやりたいことに回せた」「負担が軽くなり、将来の成長を考える時間ができた」「従業員を大事にする会社だと思い、信頼感が強まった」といったものがあります。

つまり、代理返還の価値は「何万円返してもらえるか」だけではありません。若者が給与を自分の人生のために使える余地を増やすことにも意味があります。

企業の制度設計はさまざま

支援額や期間は、国が一律に決めるものではなく、企業ごとに設計します。たとえば外食大手の松屋フーズは、当初最長5年だった支援期間を、2025年3月に10年へ延ばしました。上限は200万円で、JASSO以外の奨学金も対象にしています(リクルート進学総研の取材記事より)。新卒限定か中途採用者も含めるか、支援額に上限を設けるかも、企業次第です。

「代理返還」と「手当支給」は同じではない

働く側が特に注意したいのが、ここです。企業の支援方法には、大きく二つあります。

図5 お金の流れの違い
代理返還型
企業 ━━▶ JASSO等(直接送金)
手当支給型
企業 ━━▶ 従業員(給与として) ━━▶ 本人が返還
代理返還型 手当支給型
お金の流れ 企業 → JASSO等 企業 → 従業員 → 返還
返還するのは 企業が直接 本人
税・社会保険 一定の条件で優遇され得る 給与として扱われる
実質的な価値 支援額が、そのまま返還負担の軽減につながりやすい 税・社会保険の影響を受ける

JASSOの制度では、代理返還の場合、一定の要件のもとで従業員側の所得税が非課税となり、社会保険の報酬に含めない扱いとなり得ます(J-Net21、小田原市の案内も参照)。一方、従業員に手当として支給する方式では、給与として扱われ、所得税や社会保険の影響を受けます。企業側は、代理返還の場合、返還額を給与として損金に算入でき、賃上げ促進税制の対象となり得ます。

ただし、役員への支援や、給与に代えて返還する場合などは取扱いが異なります。個別の税務・労務の判断が必要です。

だから、求人票に「奨学金返還支援あり」と書いてあるだけでは、まだ情報として不十分なのです。

求人票で「月1万円」と書いてあっても、比較できない

例えば、A社とB社があるとします。

A社
月給30万円
奨学金支援なし
B社
月給29万円
+ 奨学金返還支援 1万円

これだけを見れば、B社にも魅力があります。しかし、「奨学金支援があるからB社のほうが待遇が良い」とは単純には言えません。奨学金返還支援は、基本給そのものではないからです。

さらに、支援期間は何年か、月額はいくらか、総額はいくらか、対象となる奨学金は何か、正社員だけか、入社後すぐ対象になるのか、退職したらどうなるのか。これらによって、価値は大きく変わります。福利厚生として評価するときには、支援額だけでなく、期間と条件を見る必要があります。

代理返還制度は「企業のための制度」でもある

名前だけを見ると「奨学金を抱える若者を助ける制度」に見えます。もちろん、それは重要な目的です。しかし企業側にも大きなメリットがあります。

JASSOの制度では、企業は採用時に返還支援を打ち出すことができ、希望すればJASSOのホームページに企業名を掲載することもできます。在職中の支援を、継続的な福利厚生として位置づけることもできます。

若者を助けることと、企業が若者を採用・定着させることが、同じ方向を向く。ここに、この制度の特徴があります。

利用企業が約15倍になった意味

利用企業は、次のように増えています。

図6 代理返還制度の利用企業数の推移(点線は国の目標)
2021年度
約320社
2022年度
約733社
2023年度
約1,798社
2024年度
約3,266社
2025年度末(2026年3月)
4,852社
2026年度末(目標)
約7,000社
2027年度末(目標)
約1万社
出典:JASSO、文部科学省、日本経済新聞(2026年7月28日付)ほか

制度開始時の約320社から、2025年度末には4,852社へ。約5年で約15倍になりました。しかも、JASSOの2024年度の利用企業アンケートでは、利用企業の90.5%が中小企業でした。

図7 利用企業の規模(JASSO 2024年度アンケート)
90.5%
中小企業 90.5%
その他 9.5%

これは非常に重要です。奨学金返還支援は、大企業が余裕のある福利厚生として行う制度だけではありません。給与だけでは大手と競いにくい中小企業が、「若者の生活に直接響く支援なら打ち出せる」という採用戦略として使っているのです。

ただし、広がりは一様ではありません。文科省によると、業種や地域によって利用率には差があり、医療・福祉や情報通信業などで高く、小売業や不動産業では低いといいます(日本経済新聞、7月28日付)。

ただし、「定着率76%」をどう読むか

10月9日付の日本経済新聞は、文部科学省の調査として、奨学金代理返還について「人材確保に効果」、定着率76%と報じました。2023年度に利用を始めた約3,300人のうち、76%が2025年度も同じ企業から支援を受けていたといいます。文科省は、大卒者の入社3年間の定着率(2022年卒の全国平均で66%)を上回ったことから、制度の周知を進める考えです。

図8 「76%」と「66%」――比べてよい数字か
制度を使った人(利用開始から2年後も同じ企業で支援を受けている)
76%
大卒者全体(入社3年間の定着率・2022年卒)
66%
比べる対象も、測る期間も異なります。この差だけで「代理返還の効果」とは言えません。

非常に興味深い数字です。しかし、ここで一歩立ち止まる必要があります。

76%という数字だけで、「代理返還によって定着率が76%になった」とは言えません。比べる対象が、大卒者全体と、奨学金を借りて制度を使った人で違います。測っている期間も、制度の利用開始から2年の継続と、入社から3年の定着で、少しずれています。そしてもう一つ、もともと社員を大切にしている会社ほど、奨学金返還支援を導入しやすい可能性があります。

奨学金支援をしたから定着したのか、
定着を重視する会社だから奨学金支援も導入したのか。
これを区別しなければなりません。

だからこそ、今後は制度をどれだけ普及させたかだけでなく、制度が採用や定着にどの程度寄与したのかを検証することが重要になります。制度は、「普及させる段階」から「効果を検証する段階」へ移りつつあると見ることができます。

文科省が「1万社」を目指す理由

これは単なる制度の利用促進ではありません。文科省は、返還負担の軽減を「若者の経済的負担軽減」にとどまらず、企業の人材確保や、若者のライフプランを支える取り組みとして位置づけています。企業にとって税制上のメリットがあり、従業員の定着につながっているという声が寄せられていることも、文科省は紹介しています。

ここから見えてくるのは、奨学金返還支援が「教育政策」だけでは説明できない政策になっている、ということです。

若者支援、企業の採用、そして地域の人材政策

視野を広げると、奨学金返還支援は地域政策にもつながります。若者にとって、「どの会社に就職するか」と「どこで生活するか」は、必ずしも別々の問題ではありません。企業が奨学金を支援すれば、その企業を選ぶ経済的な理由が生まれます。地域の企業が支援制度を導入すれば、「地元で働く」という選択肢に新しい魅力を加えられます。

これは、単なる「自治体による奨学金補助」の広がりではありません。内閣官房の調査は、自治体による若者への奨学金返還支援を、地方企業への就職を促し、地方への定着を推進する施策と位置づけています。政府も平成26年の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」以来、奨学金を活用した若者の地方定着を促進する方針を掲げ、自治体が返還支援に要した経費を特別交付税の対象とする措置も講じてきました。

取り組みは、実際に大きく広がっています。2025年6月時点で、全47都道府県と876市区町村(市区町村の約5割)が実施しており、2015年度の5県・97市町村から増えました。2024年度に自治体が返還支援を行った人は延べ3万3,720人、支援額は約88億円です。2020年度の約13.5億円から、約6.5倍になりました。

図9 奨学金返還支援を実施する自治体数
2015年度
5県
97市町村
▶
2025年6月時点
47都道府県
876市区町村
図10 自治体による返還支援額の推移(億円)
2020年度の13.5億円から、2024年度は88.0億円(約6.5倍)
13.5
30.3
60.8
73.8
88.0
2020年度
2021
2022
2023
2024
出典:内閣官房 地域未来戦略本部事務局(令和7年6月1日時点調査)

若者から見れば、入り口は一つではありません。自治体の制度、そして制度のある企業への就職という、複数の入り口があります。

自治体が企業を支える「もう一つの層」

自治体の支援には、若者本人に届くものだけでなく、企業の負担の一部を補助するものもあります。例えば、企業が若手社員に年間12万円の支援を行い、一定の条件のもとで自治体がその一部を補助する。すると、若者は奨学金の負担が減り、企業は採用・定着の施策を実施でき、自治体は地域企業の人材確保につなげられます。三者の利益が重なります。

自治体にとっては、若者一人ひとりに直接給付するだけでなく、企業を通じて若者の生活支援と地域の人材確保を同時に行う政策手法です。

ただし、補助の設計は自治体ごとに大きく違います。広島県は、一般企業枠で従業員への給付額の3分の2、人的資本開示企業枠で4分の3を補助し、いずれも上限額を設けず、補助は最長3か年度です。一方、宮城県は企業の返還支援額の2分の1を補助しますが、1人あたりの補助上限額があり、支援期間は最長6年間です。「制度がある」ことと「自分の会社や自分が対象になる」ことは別です。所在地の自治体の制度は、個別に確認する必要があります。

広島県 宮城県
補助率 一般企業枠:給付額の2/3
人的資本開示企業枠:3/4
企業の返還支援額の1/2
上限額 設けていない 1人あたりの上限あり
期間 最長3か年度 最長6年間

福岡の場合――県と市に、それぞれ補助がある

福岡では、県と市がそれぞれ、企業の奨学金返還支援を補助しています。ただし、県と市の補助を、同じ経費について重複して受けられるという意味ではありません。福岡県の補助は、企業が他の自治体の同様の補助を受けている場合の併用を認めておらず、福岡市も原則として併用を認めていません。

福岡県の「奨学金返還助成による中小企業人材確保支援事業補助金」は、県内に本店のある中小企業が、従業員のために行った奨学金の代理返還や、返還のための手当等の支給を対象に、費用の一部を補助するものです。令和8年度は、補助率が企業負担額の2分の1以内、上限が1企業あたり年間50万円とされています。対象となる従業員は、県内の事業所に勤務する期間の定めのない正社員で、本人名義の貸与型奨学金を返還中、または返還予定の人です。

県の例示では、従業員1人に月1万円を12か月支援した場合、年間の支援額は12万円。県の補助は最大6万円で、企業の実質的な負担は6万円になります(補助額は額の確定で決まります)。申請期限は12月28日(必着)ですが、予算の上限に達した場合は、期間内でも受付が終わることがあります。

図11 福岡県の補助のイメージ(従業員1人に月1万円×12か月=年12万円の場合)
補助額は額の確定で決まります
県の補助 最大6万円
企業の実質負担 6万円
支援額の合計:12万円

福岡市にも、中小企業向けの補助があります。令和8年度は、福岡市内に本店・本社のある中小企業等が、就業規則等で制度を設けて実施した場合に、原則として企業負担額の2分の1を、1年度あたり1企業50万円までを上限に補助するとされています。対象の従業員は、勤務先が市内にある正社員です。

福岡県 福岡市
対象企業 県内に本店のある中小企業 市内に本店・本社のある中小企業等
補助率 企業負担額の2分の1以内 原則、企業負担額の2分の1
上限 1企業あたり年間50万円 1年度あたり1企業50万円
対象従業員 県内の事業所に勤務する期間の定めのない正社員 勤務先が市内にある正社員
併用 他の自治体の同様の補助とは不可 原則不可

県も市も、補助は企業に出ます。若者に直接現金が渡る制度ではなく、企業が奨学金返還を支える費用を、自治体が分け合う仕組みです。県は、中小企業の若手人材の確保・定着を目的に掲げています。

この制度には、導入を考える企業にとって見落としたくない点がいくつかあります。

補助金は後払いです。 額の確定のあとに支払われるため、従業員への支援額は、いったん会社が負担します。
社内規程の整備が必要です。 支援の内容を就業規則などで明文化し、申請時に写しを出します。県の公式FAQでは、規定がないまま支援している場合は補助の対象にならないとされています。
毎年度の申請が必要です。 支援が続いても、年度ごとに申請します。
同じ経費で、同種の補助とは併用できません。 助成の対象が異なるもの(例:制度導入への奨励金)は、対象になる場合があります。県は、久留米市の導入奨励金を併用できる例として案内しています。
退職時の扱いにも条件があります。 県の公式FAQによると、従業員が退職した時点で、その人は補助の対象外になりますが、在籍中の支援分は補助対象のままです。ただし、退職した従業員に、すでに支払った手当等の全部または一部の返還義務を負わせる場合は、その従業員の分だけでなく、その申請に係るすべての補助が取り消されます。

最後の点は、この記事のテーマと深く関わります。定着を狙う企業の取り組みに公費を入れるにあたって、退職者に過去の支援の返還を求める設計は、補助の対象外としているわけです。県の意図まで断定はできませんが、従業員の退職の自由に配慮した線引きとも読めます。

また、県の補助は、代理返還も手当等の支給も対象です。一方、従業員にとっての実質的な価値は、前に見たとおり、両者で変わり得ます。補助の対象になるかどうかと、働く人の手元に何が残るかは、別の問題です。

※福岡県・福岡市の制度内容や申請期限は、年度によって変更されます。利用を検討する場合は、最新の公表資料をご確認ください。(福岡県 中小企業若手人材確保・定着応援ナビ)

企業ならどこでも導入すればいいのか

そうとも限りません。「お金がないから導入できない」という話だけではないからです。企業は、支援対象者や金額、期間を決め、社内規程を整備し、JASSOへの申請を行い、給与・労務上の処理を整理する必要があります。自治体の補助を受けるなら、さらに申請や報告の手続きが加わります。

しかも、福岡県の例のように、補助金は後払いです。支援のための資金は、まず企業が用意しなければなりません。中小企業にとっては、こうした情報・実務面や資金繰りの負担も、導入を考えるときの論点になります。

「定着率が高ければよい」という話でもない

もう一つ重要なのが、退職です。会社が奨学金を支援してくれる。その会社を辞めれば、当然、支援はなくなります。社員にとっては、「会社を辞めると奨学金支援もなくなる」という経済的な要素が生じます。

これは企業にとっては定着につながるメリットですが、労働者の側から見れば、必ずしも単純なメリットではありません。本当に良い制度とは、「辞めにくくする制度」ではなく、「この会社で働き続けたいと思わせる制度」であるべきでしょう。

今後の評価では、単純な離職率だけでなく、支援を受けた社員の満足度、キャリア形成、転職意向、支援終了後の定着、支援を受けていない社員との公平感なども見ていく必要があります。

もう一つの問題――「賃金の代わり」にならないか

奨学金返還支援には、もう一つ注意すべき点があります。「賃金の代替」になってしまうことです。

「基本給は上げない。その代わり奨学金を月1万円返してあげます」という使い方です。奨学金を返してもらえる若者にはメリットがあります。しかし、奨学金を借りていない社員にはメリットがありません。また、基本給と違って、転職すれば失われる支援です。

私は、奨学金返還支援を賃上げの代替ではなく、賃金に加えて提供される福利厚生・人材投資として位置づけるほうが望ましいと考えます。

働く人が確認したい「6つのポイント」

求人票で「奨学金返還支援あり」と見つけたら、最低でも次を確認したいところです。

1
月額はいくらか。
「支援あり」だけでなく、具体的な金額を確認します。
2
何年間続くのか。
1年間なのか、3年間なのか、在職中ずっとなのか。
3
総額はいくらになるのか。
月額だけでなく、最終的にどれくらい支援されるのか。
4
代理返還なのか、手当支給なのか。
税・社会保険上の扱いが異なります。
5
退職したらどうなるのか。
支援が終了するだけなのか、過去の支援について返還義務があるのか。特に重要です。
6
基本給はいくらなのか。
「奨学金支援がある」という一点だけで評価せず、基本給、賞与、手当、勤務条件などを含めて比較します。

企業側にも「制度設計」が求められる

企業にとっても、「月1万円出します」だけでは不十分です。重要なのは、誰を対象に、いくらを、何年間、どのような条件で支援するのかを明確にすることです。

新卒だけなのか、中途採用も対象なのか。正社員だけなのか。奨学金の種類を限定するのか。支援額は一律か、勤続年数で変えるのか。退職時にどうするのか。制度は「金額」よりも、むしろルール設計が重要なのです。

代理返還制度は、これからどうなるのか

ここまでを見ると、この制度が一時的な福利厚生ブームではないことが分かります。2021年に制度が始まり、利用企業が急増し、中小企業にも広がり、自治体が企業の負担を支え、政府が利用企業1万社を目標に掲げる。そして現在、「本当に採用・定着に効果があるのか」という効果検証の段階に入っています。

今後重要になるのは、単純な利用企業数ではありません。導入企業は、導入していない企業と比べて、採用応募者が増えたのか。内定承諾率は上がったのか。若手社員の離職率は下がったのか。何万円の支援をすれば、どの程度の効果があるのか。自治体が公費を入れるなら、その費用に見合う効果があったのかも、問われることになります。

こうしたデータが蓄積されれば、制度は「良さそうな福利厚生」から、効果を測定できる人材政策へと進化します。

おわりに――「会社が奨学金を返す」という変化が映すもの

奨学金代理返還は、一見すると小さな福利厚生制度です。しかし、少し視野を広げると、現在の日本が抱えるいくつもの問題が重なっています。

若者
奨学金返還という
経済的負担
企業
若い人材が
集まらない
地域
若者の流出と
人手不足
政府
若者支援と人材確保を
同時に進めたい
▼
その交差点にあるのが、奨学金返還支援

若者には、奨学金返還という経済的負担がある。企業には、若い人材が集まらないという問題がある。地域には、若者の流出と人手不足がある。そして政府には、若者への支援と企業の人材確保を同時に進めたいという政策課題があります。

その交差点にあるのが、奨学金返還支援です。だからこそ、この制度を「会社が社員の借金を返してくれる、お得な福利厚生」だけで終わらせるのは、少しもったいないと思います。

本質は、若者の経済的負担を、企業の人材投資に変えられるか。そして、その人材投資を、企業の採用力・定着力、さらには地域の人材確保につなげられるか、というところにあります。奨学金代理返還制度は、単なる「奨学金政策」ではなく、若者政策、雇用政策、人材政策、そして地域政策が交差する制度になりつつあります。

10月9日付の日本経済新聞が報じた「定着率76%」という数字も、その文脈で見ると意味が変わります。重要なのは76%という数字そのものではなく、これから「なぜ定着したのか」「代理返還がどれだけ寄与したのか」を検証できるかどうかです。

制度が約5年で約15倍に広がった次に必要なのは、制度の量ではなく、制度の質と効果を測ることなのだと思います。そして働く側にとっても、企業側にとっても、「奨学金返還支援あり」という一言だけで判断するのではなく、いくら、何年間、どのような条件で支援されるのかまで確認することが重要です。

「会社が奨学金を返す」という選択肢は、これからの採用市場で、少しずつ当たり前のものになっていくのかもしれません。

※本稿の制度内容や数字は、2026年10月時点の公表情報によります。奨学金返還支援の制度は、国・自治体ともに、年度ごとに変更され得ます。利用を検討する場合は、最新の公表資料をご確認ください。

参考情報

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