人間関係がラクになる。「心の扇」を広げるという生き方
人は知らず知らずのうちに、出会う人を「好き」と「嫌い」に分けています。気の合う人には心を開き、そうでない人からは距離を置く。自然な心の働きですが、この仕分けが厳しくなるほど、私たちの暮らしは窮屈になっていきます。
潔癖すぎる人は、生きづらい
中国の古典『菜根譚』に、次のような趣旨の教えがあります。
世を渡るにあたり、あまりに潔白であろうとしてはならない。汚れも濁りも、一度は呑み込む器量が要る。人と交わるにあたり、白黒をはっきりさせすぎてはならない。善人も悪人も、賢い人も愚かな人も、包み込む度量が要る。
四百年前の書物ですが、今日の私たちにそのまま当てはまります。
線を引き続ける人は、やがて自分もその線の外側に立たされます。誰かを「合わない人」と感じるとき、相手もまた、こちらを「合わない人」と感じているかもしれません。他人に厳しい目を向けることは、巡りめぐって自分への視線を厳しくすることにもなるのです。
「誰とでも仲良く」ではない
誤解してはならないのは、これが「誰にでも合わせなさい」「我慢して付き合いなさい」という教えではないことです。意見の違う相手に、無理に同調する必要はありません。
大切なのは、「この人は自分とは違う考えを持つ人なのだ」と、違いを違いのままに認めることです。そのうえで、必要な場面では礼を尽くし、適度な距離を保って関わる。
職場であれば、考え方の合わない同僚とも、仕事と割り切って力を合わせる。親戚づき合いであれば、深く語り合えなくても、節度ある挨拶は交わす。これは妥協ではなく、人生経験を積んだ大人の知恵と言えるでしょう。
心の広さを「扇」にたとえると
ある作家は、人の度量を扇子にたとえて語っています。
心の広さを扇の開き具合とし、一般的な人を90度とします。誰かにイライラするとき、私たちの扇は20度、30度ほどしか開いていないのかもしれません。自分の価値観の外にいる人を、無理にその内側へ引き入れようとし、思い通りにならずに苛立つ。その繰り返しが、心を疲れさせます。
ここに、もうひとつの解決の道があります。相手を変えるのではなく、自分の扇を広げることです。「そういう人もいるよね」と受け入れてしまえば、苛立ちの種は消えます。
とはいえ、いきなり大きく開くのは難しいもの。まだ許せない人に出会ったときには、こう考えてみてはどうでしょうか。「この人のおかげで、自分の心を広げる稽古ができる」と。腹立たしい相手が、自分を成長させる師となるのです。
そして、あらゆる人を受け入れて扇が180度に開いたなら、人はきっと「ぼんやりした人」と呼ばれることでしょう。逆に、狭い角度で生きる人は「ぴりぴりした人」になります。自分の正義や使命感を絶対のものとし、周りを思い通りに動かそうとするからです。
「なるほどね」「そうなんだ」と、気軽に受け流せる、ぼんやりとした人。そのやわらかさこそ、強さなのかもしれません。
むすびに
世の中には、自分と違う人が必ずいます。その人たちを排除することはできませんし、その必要もありません。
違いを認め、礼を忘れず、ほどよい距離で付き合う。そして少しずつ、心の扇を広げていく。そうした穏やかな度量を持った人でありたいものです。
出典
ブログ記事「広い度量を持つには(許容量・寛容度を広げる)」『人の心に灯をともす』
https://ameblo.jp/hiroo117/entry-12979903455.html

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