「政府広報」は誰のため? 予算10倍のニュースから考える、税金と民主主義
政府の広報予算が、これまでの約10倍に増えるというニュースが報じられました。
TBSの「報道特集」が取り上げたのは、高市政権の情報発信のあり方と、政府広報と「プロパガンダ(政治的な宣伝・世論誘導)」の境界線についてです。
参考: TBS NEWS DIG「変わる“高市流”情報発信 内閣広報予算の概算要求額“10倍”に 政府広報と“プロパガンダ”の境界線は?」 (2026年10月24日)
この記事を読んで、私は二つのことが気になりました。
私たちの税金が、政権の宣伝に使われることはないのか。
SNSや動画を通じて、気づかないうちに政治的な影響を受けることはないのか。
これは高市政権だけの問題ではありません。どの政党が政権を担っても、私たち市民が考え続けなければならない問題だと思います。
政府が情報を発信することは、もちろん必要だ
政府が国民に情報を伝えること自体は、決して悪いことではありません。
災害への備え、年金や医療制度、税金の仕組み、新しい政策の内容など、私たちの暮らしに関わる情報はたくさんあります。
難しい制度をわかりやすく説明し、必要な人に届けることは、政府の大切な仕事です。若い世代に情報を届けるため、SNSや動画を活用することにも意味があるでしょう。
しかし、ここで一つ考えたいことがあります。
政府が政策を「説明すること」と、その政策を「支持してもらうこと」は、同じなのでしょうか。
もちろん、わかりやすい演出そのものが悪いわけではありません。
大切なのは、国民が自分で判断するための情報なのか、それとも政権への支持を高めるための情報なのかという違いです。
私たちの税金は、誰のために使われるのか
今回の報道では、内閣広報の予算の概算要求額が、前年度の約10倍になったことが取り上げられています。
※TBS NEWS DIGの報道に基づく概数。2027年度は概算要求段階であり、確定予算ではありません。
金額が大きく増えたという事実だけで、不適切な支出だと決めつけることはできません。本当に必要な情報発信なら、十分な予算を確保することも必要でしょう。
ただし、政府の広報に使われるお金は、国民が納めた税金です。そこには、政権を支持する人のお金も、支持しない人のお金も含まれています。
だからこそ、税金を使った政府広報と、政党や政治家が自らへの支持を求める宣伝活動は、きちんと区別されなければなりません。
例えば、政府広報に多額の予算を使うなら、次のようなことを明らかにしてほしいものです。
- 何のために広報を行うのか。
- どのような動画や広告を制作するのか。
- 制作や配信を、どの企業に、いくらで委託するのか。
- 広告を誰に向けて配信するのか。
- 広報の成果を何によって判断するのか。
特に最後の点は重要です。
動画の再生回数が増えたことや、政権への好感度が上がったことを成果とするのか。それとも、国民が政策の内容を正しく理解できたことを成果とするのか。
この二つでは、政府広報の目的が大きく違ってきます。
SNS時代には、嘘をつかなくても人の印象を変えられる
もう一つ気になるのが、SNSによる情報発信です。
私たちは毎日、スマートフォンやパソコンで、ニュースや動画、さまざまな投稿を目にしています。
そこで注意したいのは、情報は、嘘でなくても、人の考え方に影響を与えられるということです。
例えば、ある政策に成功例と失敗例が同じくらいあったとします。
どちらも事例そのものは事実かもしれません。しかし、何を見せるかによって、受け取る印象は変わります。
さらにSNSでは、情報を届ける相手や回数、表示する順序などによって、受け手が目にする情報が異なります。
そのため、政府がどのような情報を、誰に、どんな方法で届けているのかを確認できることが大切になります。
これは、政府の情報をすべて疑おうという話ではありません。情報の内容だけでなく、発信の目的や方法にも目を向けよう、ということです。
政府には「発信する力」だけでなく「質問に答える責任」がある
SNSや動画の便利なところは、政府が自分の言葉で直接国民に説明できることです。
しかし、政府が制作した動画には、通常、記者からの厳しい質問も、反対意見との議論もありません。政府が伝えたいことを、政府が選んだ形で発信できます。
一方、国会での質疑や記者会見では、政府にとって答えにくい質問が出されることもあります。
そこに大きな違いがあります。
↑ 質問・批判・監視
民主主義には、一方通行ではない情報のやり取りが必要です。
民主主義において政府に必要なのは、自分たちの政策を上手に説明する能力だけではありません。
国民や報道機関からの疑問や批判に、きちんと向き合うことも政府の責任です。
どれほど美しい映像で政策を紹介しても、肝心な質問への説明が不足していれば、国民が十分に判断することはできません。
発信することと、説明責任を果たすこと。この二つは、似ているようで違うのです。
では、私たち市民はどうすればよいのか
ここまで考えると、政治の情報を見ることが少し難しく感じられるかもしれません。
しかし、私たち一人ひとりが、すべての政策を詳しく調べる必要はありません。
まずは、政府の発信やニュースを見たときに、少しだけ立ち止まって考えることから始められます。
□ これは誰が発信している情報なのだろう。
□ 良いことばかりが紹介されていないだろうか。
□ 反対意見や問題点はないのだろうか。
□ この数字には、きちんとした根拠があるのだろうか。
□ ほかの報道機関は、どう伝えているのだろう。
こうした疑問を持つだけでも、情報との向き合い方は変わります。
そして、これは政府に批判的な報道についても同じです。報道機関も、何を取り上げ、どのように伝えるかを選んでいます。
政府の説明も、政府を批判する報道も、無条件に信じるのではなく、根拠を確かめながら考える。その姿勢が大切なのだと思います。
民主主義は、選挙で投票するだけで守られるのだろうか
今回の記事を読んで、最後に考えたいことがあります。
私たちは、民主主義というと、選挙で自由に投票できることを思い浮かべます。もちろん、それは非常に大切です。
しかし、選挙のときだけ自由に投票できれば、それで十分なのでしょうか。
日頃から接する政治情報が一方的なものに偏り、政策の問題点を知る機会が少なくなっていたとしたら、私たちは十分な情報をもとに判断できるでしょうか。
民主主義には、投票する自由だけでなく、さまざまな情報に接し、政府の説明を問い直し、自分自身で判断できる環境が必要です。
政府には、国民にわかりやすく説明する責任があります。同時に、国民には、その説明をそのまま受け入れるのではなく、疑問を持ち、必要なら異議を唱える自由があります。
そして、その自由を実際に使えるようにするためには、情報公開や独立した報道、国会による行政の監視が欠かせません。
今回の政府広報予算の問題は、単に「税金を使いすぎではないか」という話にとどまりません。
政府が強い情報発信力を持つ時代に、国民が自分で考え、判断する力をどう守っていくか。
高市政権であっても、将来の別の政権であっても、この問いは変わりません。
政府の広報によって、国民は政治をより深く理解できるようになるのか。
それとも、政府が望む方向へと考えを誘導されることになるのか。
その境界線を見失わないことが、これからの私たち市民に求められているのだと思います。
民主主義の主役は政府ではなく、
私たち市民なのです。
参考: TBS NEWS DIG「報道特集」政府広報とプロパガンダの境界線に関する報道

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