SD義務化の話は職員研修の視点にとどまるものではないと前回(略)で示したところですが、それではどのような「大学運営の高度化」が今後進められ、SD義務化を契機にどのような運営改善が進められるべきか、について、しばらく取り上げていきたいと思います。今回は「大学のコスト意識」についてです。
予算と事業
かのP・F・ドラッカーは、「マネジメント~基本と原則」という著書の中で、予算を中心に運営されている公的機関について、組織の成果が予算の獲得・拡充に重きが置かれ、予算を通じて達成すべき価値の実現には実はあまり関心を払っていないと、手厳しく述べています。また、予算という仕組みでは組織の事業が抜本的に見直される機会に乏しく、大胆な成果検証が行われにくいこと、仮に行われたとしてもそれが予算面での大胆な組み替えにつながることは少なく、旧態依然とした取組も温存されがちになってしまうということにも触れています。
法人化された国公立大学、そして多くの私立大学において、実質的に予算制度が採用されています。経営が厳しくなっているとはいえ、普通の企業に比べれば学生納付金収入というかなり予測可能性の高い収入源が存在していることは、中長期的な収支の見通しを明るくする代わりに、事業を自ら厳しく見つめ直す動機を損なわせやすい要因ともなっています。
また、事業と財務の考え方が別個に存在し、お互いが十分リンクしていないという課題もあります。自己点検・評価制度や認証評価制度、国立大学であれば国立大学法人評価制度により、事業の実施状況に対するメスが入ります。ただ、(国においても基盤的経費の配分上一定の考慮はされていますが)それが学内の予算配分の増減に直接にリンケージしているかというと、もちろん無関係ではないものの、「全学的に重要だから」や「この事業を倒してしまうと対外的な説明ができないから」などといったいわば政策的な判断も介入してきます。
もとより、各事業において「資源を投入すればするほどよい」という考え方の下で事業設計されていることが多く、また、基盤的経費や学生納付金収入はいわば前受金として法人に入ってくるわけなので、それらをどう執行=費消するかという観点で事業が組まれていることが通常ですから、個々の事業に対しそれぞれのコスト意識をしっかり伴わせるプロセスが十分とは言えません。
こうして事業ごとの達成状況を財務的観点から検証することが難しい状況が生まれ、その一方で、全体の予算組み自体は厳しいわけですから全事業についてシーリングをかけざるを得ず、事業ごとの予算配分にメリハリが利かない(「全体を薄ぐ切り取っていく」)状況が生じます。
事業の正当性や重要性を実施責任者が執行部に訴える場面は幾らでも存在しますが、そのような場面でどれだけコストを意識した議論がなされているかというと、逆に「どれだけコストがかかってもこれはやるべきだ」という向きになっているかもしれません。確かに果断な判断とチャレンジは必要ですが、いつまでに何を達成できなければ事業は継続できない、ないし、その場合は予算はこの程度に抑える、等という合意が予めできているかどうかということは非常に大切なポイントだと思います。
なお、このことは、各事業による便益を必ず金額的な便益に置き換えるべき等という議論につながるものではありません。そうではなく、限りある資源を配分する際には、前例踏襲ではなく相応の注意が必要だということです。
「コスト意識」と大学職員
大学は営利組織でなく、利潤追求が最大の目的ではないので、高等教育において、大学教育におけるサービス性を過度に強調すべきではないと考えますし、そもそも大学の教育・研究の「リターン」を厳密に判別することは大変難しいことです。このため、事業の意義を財務的観点から判別していくプロセスには困難が伴います。
しかし、教育研究に投入する資源は無限ではありません。全方位的に様々な取組を進めることが、取組自体の自己目的化につながり、資源の戦略的配分を更に困難にしてしまいます。学問分野、「個人主義」「自身の裁量」が重んじられる大学文化の中、ただでさえ様々な「部分最適」が生まれがちな中で、大学における「コスト意識」が育まれないことは大学が変革を進めていく上で大きな阻害要因となります。
一方で大学全体で統一的な「コスト意識」を持つことは難しいと思われるので、少なくとも事業実施側に予めその意識を持たせるためのプロセスは重要ではないかと思います。つまり、事業が目指す目標と工程表の明定です。どのような「コスト意識」を持ってもらうかは強制しないが、自ら立てた「コスト意識」の遵守状況は確認する、というスタンスです。このプロセスの実施レベルは、各教員レベルかもしれませんし、学科・コース、研究組織、学問単位レベルかもしれません。その辺りのマネジメントは大学ごとで異なっていて良いと思いますが・このマネジメントには職員や事務組織が積極的に関わっていくべきだと思います。専門家ではないのでその研究の価値自体をはっきりとは理解できないことが、逆に大学運営の安定性・継続性に向けた透明性と英断を支えることになるように思います(その道の専門家であるほど「店じまい」は逆に困難である)。こうしたことを、SD義務化を契機として、大学マネジメントの新たな機能としてしっかり位置づけていくことが重要だと感じます。
SD義務化が問うものの-早稲田大学 喜久里 要|文部科学教育通信 No.405 2017・2・13 から