2017年3月4日土曜日

記事紹介|大学職員の育成(2)

個人をどう高めるかと業務改善の関係

SD義務化により職員研修の在り方だけがスポットライトを浴びるわけではないということについて、前回までで述べてきました。

大学をめぐる昨今の財務状況にかんがみれば、多くの外部人材を一気に採用するというわけにはいきません。望まれる大学職員像に向けて、現在その大学にいる職員をどのように育成し、キャリアアップと専門性の向上を図っていくかという観点が重要な意味を持ちます。組織の在り方を再定義し、そこから抽出される的確な職員像を、と考えてみたところで、結局は今大学にいる人材をベースにHuman Resource Managementを考えていかざるを得ず、そうでないプランを単に「もっと頑張れ」という掛け声とともに声高に唱えても、職員育成の仕組みは非常に空虚なものに陥ります。

では、現在の大学職員の研修はどうなっているでしょうか。

現在の大学職員育成プログラム(=研修プログラム)は基本的に、今いる職員を底上げするような義務的内容(経験年数・階層別研修として実施されることが多い)と、希望者を対象にした特定の能力・専門性向上を狙った内容(例えば「IRについて」「学生の主体的学修を育む環境について」)または自己研鑽型の内容(ただし大学から支援されている場合と支援されていない場合(必要経費の補助制度がない、勤務時間外での実施を命じられる等)がある)で構成されています。

義務的な内容は、多くの職員が身につけるべきいわば最大公約数的な内容を元に、多種多様な職員に対し共通に実施されるものであり、対象職員の高い研修意欲や事前知識を前提にしたものとなっていないため、内容ないし職員側の受け止めによっては非常に形式張ったものになりがちで、高い研修効果が望みにくいものとも言えます。

他方、希望者制または自己研鑽型のものは一定の研修効果を見込みやすいものの、当該研修を受講したことがまったく考慮されない業務環境であったり、人事異動が実施されている場合は、研修内容をその後生かせるかどうかという点が各職員任せになっていて、これはこれで効果として不十分になるケースが出てきます。

一般に研修に意欲的でない職員というのはどうしても出てきてしまいますが、研修に出てこない職員にもそれなりの反論材料があります。曰く、研修内容が形式化していて面白くない、今の自分の業務に関係があるとは思えない、参加してもメリットがない等といったものです。そうはいっても研修なんだからもう少し前向きに捉えて、と実施側としては言いたくなるところでしょうが、再三にわたって声をかけたり無理やり参加させたりするのでは、課題解決どころか逆に負の効果をもたらす恐れもあります。

この場合は、研修の仕掛け方自体に課題があります。日常業務が定型的な処理業務でほぼ占められていたり、自分に判断権・裁量権がない事柄にばかり日頃向き合わされ、何か上司に提案しても「仕事を増やすようなものはだめ」と言われてしまう環境に置かれていれば、解決すべき大学の課題とその職員の業務との連動性もまったく見えておらず、そのような条件下で「大学としての人材育成像」を突然示したところで、職員にしてみればモチベーションの湧きようがありません。

大学職員の育成が重要である、若手の能力向上が大事だとマネジメント層が考えていても、当のマネジメント層や管理職、あるいはマネジメントの仕組みが結果的に能力向上を阻んでしまっている状態のままでは、何にもなりません。

職員の能力と個性を伸張させるためには、まずその組織における業務の在り方自体を問い直す必要があります。このことは、前々回で述べた、今回のSD義務化に際し重要な三要素ー①職員に必要な知識・技能の習得、②能力・資質を向上させるための研修、③関連して重要になる「その他の取組み」ーの中の三点目「その他の取組み」として検討・実施されることが期待されていると言えます。そして、SDに関係する様々な取組みを実質化する上で最も大切とも言えることです。

個人のキャリアパスの設計を諦める?

大学職員に求められる専門性は多様化・高度化しています。中途採用など人材の流動化が進み、職員のキャリアパス自体も非常に多様化する中で、職員の人材育成として必要なプグラムのすべてを大学が提供することは最早できません。

今後の職員育成にあたっては、大学が提供する研修プログラムを見直すほかに、あるいはそれ以上に、個々の職員のモチベーションや自己研鑽における主体性をどう体型的に喚起していくか、そのことにより職員が自身に必要な専門性のイメージを掴んでいき、多種多様な職員像の中から最適と思われるキャリアパスを突き進んでいけるか、という視点が重要になってくるように思います。これまで大学を牽引してきた優秀な諸先輩方の背中を見て育つ、という視点だけでは、職員育成の仕組みはこれからの状況では機能していかないでしょう。

そういう意味では、大学本部が個人のキャリアパスのあり方を示し、その設計を手伝うということに関して、ある種の諦めがあった方が逆にいいのかもしれません。「自分探し」という言葉だと違うコンテクストに陥ってしまいますが、それに近いともいえる、「職員としての将来は自分自身で探し、切り拓く」ということです。

昨今、中教審で「大学における専門的人材の育成、位置づけ」について議論されていますが、その能力が認知され、組織横断的に人材マーケットが形成されるような専門性を備えた人材層というのは、組織内でだけでなく組織外からも評価される人材の集合体です。

組織に所属し、組織に貢献する仕事とともに、それが大学業界全体、あるいは大学職員という業界全体の活性化と地位向上に資するような仕事ができる人材がどの大学でも求められていますが、そのような人材は果たして大学が提供する研修プログラムだけで育成できるのか、という風に捉えてみると、職員自身が主体的に歩みを進めていくための仕掛けの重要性が浮かび上がってきます。

ただ、当然ながら、主体性というものは他人から言われて涵養されるものではありません。そのきっかけは大学なり組織なりが提供すべきですが、その先は自身で考え、行動してもらわなければならない。このような視点で研修プログラムを組み直すと同時に、先ほど申し上げた「業務の在り方自体を見直す」、すなわち職員自身が考え、検討し、判断し、上司や教員集団に積極的に関わっていくことを促す業務の再構築が肝要です。ただし、この際に留意すべきこととして、大学の課題解決など組織の何らかの価値創造に具体的にリーチする業務でなければ、職員の能力向上が一層図られるどころか、かえって「自分探し」が加速化し組織の課題解決とは別の視点で動いてしまう職員の存在を生むリスクがあることが挙げられます。

SD義務化が問うものー早稲田大学 喜久里要|文部科学教育通信 No.406 2017.2.27 から