大学の教授は、世間からみると社会的地位も高く(多分)、なれるならなってみたい職業の一つでしょう。昔は「末は博士か大臣か」とも言われたくらいだ。しかしなりたいからと言って、簡単になれるものではない。ところが今や大学が800を超えるほど増えており、当然そこで教える教員も多い。一種インフレなのだ(東京で石を投げたら大学の教員に当たるかも?)。でも通常は、大学院で博士号を取得し、オーバードクターや期限付き雇用で、身分の不安定な研究員や助手などを経てようやく正規の教員になれるのだ。ここまでは実に長く厳しい道のり。
しかし、いきなり教授になる道もある。一つは、企業の技術系の研究所などから大学にくるというケース(もちろんそれなりの学位や業績が必要)や社会人教員である。後者の一つが霞が関の官僚から大学のセンセイになる手があった! 今回、世間を騒がす「天下り」である。
そもそも、我が国では、大学数員には高校までの教員のように教職免許制度はない。大学設置基準という省令では教授の資格に「博士の学位を有し、研究上の業績を有する者」など定めている。だが、博士号取得を義務づけているわけではない。同等の能力があればいいとなっているのだ。見ようによっては抜け穴なのだ。この大学設置基準は1985年の改正で、資格要件に「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者」との条項が新設され、社会人が大学教員になる道が開かれたのだ。そこで「実務経験のある即戦力」として公務員、企業経験者、マスコミ関係者、タレント文化人ら社会人が教員に多数採用されるようになった。
そして教職課程のある大学では、退職した中高の先生が少なくない。教育実習の強化や実践的な教育力が求められているので、このような経歴の教員が求められるのは無理もない。採用試験に関しても、地元の教育委員会とコネがありそうな退職校長など強力な助っ人になりうる。おまけに彼らは少なくない年金があるので、ちょっとだけ足して年金が減額支給されない限度で給与水準を決めておけばいいので、安上がりだ。大学にはメリットだらけだよね。だが、退職教員中心だと、学科全体では数年でほとんど総入れ替え状態ということも起こるのは問題。また、大新聞など編集委員経験者クラスでは、教授というのはアガリの職場という説もあり、また、何が専門かわからない。
そこで、話を戻すと、「天下り」。これは、権限のある官庁から、何らかの見返りを期待しつつその退職者を受け入れるから問題視される。大学の監督官庁は文部科学省だ。だから文部科学省出身の官僚を大学教授にすることは、今回のような問題を生じる。しかし、財務省や経産省出身の官僚が経済学部などの教授に就く場合は、専門的知識を正当に評価されたとして、これはセーフになる。他省庁はよくて文科省だけダメなのだ。これに対応する手段としては、全省庁から「現役出向」してまた戻るシステムにすればいい。逆の、大学を含む民間から霞が関に交流する人事(「天あがり」)もOKにしたらいいのだ。ただし、民間企業からは「あんなに責任が重い割に給与が少なすぎる」として霞が関に来たがらない問題は何とかしなくてはなりませんな。アメリカみたいな「回転ドア」を上手に作らないと、ヘンな学者上がりの野心家?の経済学者などが政府のしかるべき地位を占めるのはろくなことになりませんが。まあ、今回のY氏は著作権の専門家だそうだから、教授になってもいいはず(手順が悪かったか?)。
教育ななめ読み「いきなり大学教授になる方法」ー教育評論家 梨戸茂史|文部科学教育通信 No.406 2017.2.27 から