大学の経営に関わる教職員は、自分の経験だけに頼る会議運営ではなく、スキル習得のための特別の訓練を受ける必要があるのかもしれません。(以下抜粋引用)
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悲しいことに、まずは寝ている人がいる。なぜ寝るか。自分の役割がその会議の設定の中になく、発言も求められないからである。なんの緊張感もないまま座っていられるから、グーグー寝られるのだ。貢献しようとする意欲も知識もない。なまじ参加人数が多いことが最大の原因だろう。そもそも、こういう人は会議に必要とされていないので、出席しなくて良いのだ。
また、“魅せる”演技が上手な俳優もいる。組織的な成果を生み出すためではなく、いかに自分は気が利いていて優秀なのかをアピールすることや、上司をいかにうまくヨイショするかということだけを真剣に考えて発言する人である。見るからにイマイチな人なのだが、それにもかかわらず見事に出世していく(ちなみに、マキアヴェリは前掲書で君主が有能かどうかは側近を見ればわかると説き、また同時に人はどうしても身びいきであるため、自分をよく言う者にだまされやすく、お追従者を避けるのがどんなに困難かということにも言及していた)。
さらにもっとひどいのは、会議といいながら議論をさせないように計算されている会議室が多いことだ。政府関係の会議などを見ると、巨大な部屋に大きなロの字形の席を構築し、30メートル先の人に向かってマイクで話をするような設計になっている。
それぞれの状況を確認する報告会のようなものであればこれでも良いが、議論をするための会議であれば、およそありえない形状だ。主催者も事務局も、あまり意見が活発に出ないことを心底願っているのだろう。
会議をつつがなく終わらせることは、成果でもなんでもない。本来会議とは、実質的な成果を生み出すために参加者の衆知を結集するのが目的のはずだ。そうであるならば、年齢やポジションに関係なく、その場に貢献できる可能性のある人を招き、その場で丁々発止のやり取りがなされ、個々人の知恵が相乗効果を生むような環境を作ることが必要だ。
もちろん、一言も発言しない人がいてはならないし、寝る役員に居場所などあってはならない。
(出典)発言しない若手、寝るおじさん…なぜダメな会議は絶滅しないのか|ダイヤモンド・オンライン