夫婦はもともと赤の他人です。
食事なんかも他人様がわざわざ自分の為に作ってくれていると思えば有難くて仕方が無いはず。
そう思えば普通、「いつも すみません」とか「ありがたく頂きます」と一言ぐらい何か言うでしょう。
食事を「隣のおばさん」が作って持ってきてくれる。
給料を「隣のおじさん」が持ってきてくれる。
夫婦、お互いがそう考えたら、共にとてもありがたい存在のはず。
なのに食事を作ったのが「妻」になったとたん、味付けや品数で不満を言い感謝出来なくなってしまう。
給料を持って帰ってくるのが「夫」になったとたん、あたり前になって、多い少ないと不満を持ってしまう。
おかしいと思いませんか?
何事も当たり前になった途端、感謝がなくなる。
「当たり前」の対義語は「ありがたい」だ。
「有難い」は、今ここにあることが本当に珍しいこと、有ることが難(かた)いこと。
夫婦に限らず、親子、兄弟、と身近になればなるほど、当たり前になり、感謝がなくなる。
「山を出なければ山は見えない」
身近な存在の有難さに感謝したい。
(出典)山を出なければ山は見えない|人の心に灯をともす