2019年12月24日火曜日

記事紹介|頓挫した大学入試改革

頓挫した大学入試改革の出発点は、安倍首相直轄の教育再生実行会議による第4次提言であった。

子ども一人一人がどのように自らの生を選び、生きていくのか。それを大人はどう応援するのか。それこそが根本にあるべきだが、提言には、そんな視点はみじんもない。

提言は現行の大学入試センター試験を「限界に達している」と、こっぴどく批判した。論拠として「1点刻みの合否判定を助長」「受験生の大きな心理的圧迫」を挙げた。

だが「1点刻みの合否判定」は、センター試験の罪ではなく、最終的に合否判定をする個々の大学の責任であろう。加えて合否の線上に複数の受験生がいるとき、点数によるのか、面接や論文を重視するのかといったことは、それぞれの大学が選ぶことだ。客観性・公平性を大切にして、点数によって選抜することも一つの選択だと思う。

「大きな心理的圧迫」にはデータがない。面接や集団討論といった主観がまじる方法より、緊張はしても、客観的な学力試験の方が良いと考える生徒も多いはずだが、それは無視している。

入試を変えるなら、受験生にとって、それがどんな意味を持ち、どうあってほしいのかを直接、聞くことは不可欠だ。私はそう信じるが、受験生たちと膝を交えて語り合った形跡はない。

それでは会議のメンバーに、受験生や受験生に近い人はいたのか。名簿を見ると首相、官房長官、文科相から始まり、大学の学長や教授、県知事や経済人、作家らが並ぶ。安倍人脈と見られる人も多い。そもそも、受験生の気持ちを代弁できるような人がいれば、こんな「上から目線」、俯瞰的視点だけの提言にはならない。

こうしたやり方は、教育基本法が定める「人格の完成」を置き去りにし、民主的な手続きも無視している。即ち、教育基本法1条に違反する。

新テストの記述式は「思考力・判断力・表現力」を試すはずだった。しかし、そう言いだした大人たち自身は、どうやら主体的に考える力も、実現性を判断する能力も不足していた。政治家の言い分や民間教育産業の声ばかり聞いたのではないか。自らの足りないところを補うために、当事者に接近して学ぼうとする努力を惜しんだ。

この中にあって、中高校生のグループが新テストの中止を求める署名を集めて提出したり、文科省前で抗議集会を開いたりした。切実な声が状況を動かしたと思う。諦めずに行動し、国の施策を押し戻した若者たちを尊敬する。彼らに希望を見た。

(出典)欠落した受験生の視点 教育基本法と国際準則に反する 大学入試改革の誤謬|47NEWS