2017年4月26日水曜日

記事紹介|学長は「学部の自治」を超えて、いかに自らの命運を握る人事選考の正当性を担保しているのだろうか

優れた若者、女性、外国人の登用

世界に輝く大学にはそれぞれ特有の伝統があり、それを担う存在感ある年配教授、躍動感ある若手がいる。現代社会は様々な才能を求めており、わが国の大学もそれぞれに、夢多き入学希望者に対して特徴ある教育研究の方針と誇れる成果を開示して欲しい。そして、それを生み出す教授、准教授、助教たちの適切な登用制度と活動の条件を整備しなければならない。価値観の画一化を避けるためには、まずは「若者、女性、外国人をlabor からleaderに」の積極的施策が必要である。

大学はそれぞれに一貫した理念をもつはずである。学務の総責任者である学長の指揮の下、任命された学部長(研究科長)や学科長(専攻科長)は、中長期の「将来計画」を立て、ときには修正しながらも、理念実現に向けて適正かつ柔軟な人事を行わねばならない。具体的な研究教育活動は、それぞれに自立した教員に委ねられるので、人事の機会こそが将来の発展の鍵を握る。固定化した教員組織ありきでは、時代が求める研究教育の設計と実行はありえない。

グローバル化時代に、もはやいずれの国の大学も、優れた教員の必要数を、自国だけでは充当できない。幸いにして、世界には日本国内の十倍程度の研究者がいる。ある分野の教員任用に際して、身近な者が最適任であることは、特殊な例を除き、ごくまれである。

開かれた人事制度の確立

もとより人事には秘匿事項が多い。しかし、開かれた公器である大学は、それぞれに招聘、昇任、公募人事を問わず、プロセスの原則を明確にすべきである。まず、人事権行使と候補者評価の分離が必要であり、両者の混同は利益相反を招く。教員を採用するのは法人である大学であって、各々の学部や学科、ましてや年配教授個人ではないからである。ところが、わが国では大学の一構成員に過ぎない教員たちの間で、勘違いが甚だしい。さらに、大学人事が余りに内向き、密室、場当たり的で公正感に乏しく、不透明感が著しい。

現実には専門性が高いので、人事委員会等の助言を経るが、研究者の評価は世界標準で、広く意見を求めるが良い。私も外国の多くの大学の教授招聘、昇任、若手採用などの評価作業にかかわった(日本の大学からの依頼はない)。しかし、私の役目はあくまで、候補者の専門的研究業績、能力、国際社会の評判、同年代者間の将来性比較などの陳述に止まる。私は当該関係者と利害関係がなく、また責任ももちえない。実際の任用にかかわる諸々の境界条件を提示し、人事行使できるのは当該大学に限られるからである。

教官人事は、当該研究科(学部)、専攻(学科)等の組織の研究教育の質、分野のバランスの向上、取捨選択のために行われ、すでに在籍する特定の教員のためではない。科学は迅速、時に非連続に進展拡張するため、組織の現状維持は相対的退歩、老化を意味する。若手教員の新規採用こそが、一定規模の組織の「代謝」を促す絶好の機会を提供する。職位を問わず「独立研究者」として評価する人事プロセスの繰り返しが、体質改善に決定的効果をもたらすのである。

日本の人事制度の課題

2007年以来、法により教授、准教授、助教は独立した存在と定められている。一方、日本の旧来の垂直統合型体制においては、研究室主宰の教授が、ともすれば若手准教授、助教を自らにとって都合の良い「協力者」として選び勝ちである。その結果、他国に比べ各研究室の教員数は多いが、専攻(学科)組織全体としての知の幅は広がらず、当然新領域も生まれ難くなることは当然である。慣習がもたらす累積効果の差は明らかであり、わが国が世界の潮流に遅れがちな大きな原因でもあることを強調しておく。

さらに重要な教授人事も慣例に流され、選考プロセスと実質的意思決定主導者が不明確な場合が多い。大学の自治を統括する国立大学学長は、「学部の自治」を超えて、いかに自らの命運を握る人事選考の正当性を担保しているのだろうか。

大学は一義的には教育機関であり、社会もまず良質の教育活動を求めている。それぞれの教員に対する役割に応じて実績評価とともに人物評価も欠かせない。特別な「研究教授」がいても良いが、万人が尊敬するような研究者は例外である。学長から見れば、教員は大学が掲げる目的の実現に向けて「掛け替えのない存在であるか」、円滑な組織運営のために「感謝すべき存在であるか」であって欲しい。「自分に勝手都合が良いから住みついている」教員の存在は、大学にとっては迷惑至極である。教員活動の評価は、まずは独立した法人である大学が自らの視点で評価すべきで、行政が画一的かつ事細かに指示すべき性質のものではないはずである。そして、大学その消長の鍵を握るのは、社会とともに生きる自らの意思である。

あるべき大学教員人事|2016年12月19日野依良治の視点 から