2017年4月29日土曜日

記事紹介|大学の活動は、基本的に中立、社会全体に資すべきである

大学の使命

科学と社会の関わりは時代の宿命である。わが国は68万人の研究者を擁し、大学、国や自治体の公的機関、産業界などで様々な形態の科学技術研究が行われている。機関組織の社会的役割は多様であるが、個々の研究者が、どの組織において、誰の意思で、何の目的のために、いかなる具体的な研究をするかを明確にすることなく、秩序ある科学技術イノベーション振興のエコシステムは成り立たない。公的研究費総額は3.5兆円に上るが、諸府省の役割、推進方向は複雑に交錯する。産業経済界、国際社会の要請とも呼応しながら、国全体の活動の成果最大化に向けて整合的に制度設計し、司令塔としての指揮をとるのは内閣府であろうか。

今や研究者のほとんどは組織に所属し、個々の研究は意思者との契約のもとに行われる。従って、例え全く同じ具体の課題であっても、産業界であれば当該企業の方針に従う技術開発、ビジネス展開を目指す研究活動であるはずであり、府省庁傘下の公的機関であれば各々が定めた政策目標実現のための研究である。大学においては、当然「学術研究」である。

学術研究を支えるのは、広く国民社会からの(暗黙の)要請と期待である。その上で、憲法23条の精神に則り、大学には学問、研究の自由が保証されている。その対象は決して基礎科学とは限らず、工学、農学、医薬学などの分野では社会実践を目指す応用研究も盛んに行われる。多様な学術研究に共通するところは、研究者自らの「内在的動機」による駆動であり、制約を受けない自由闊達な営みが、真理の探究と人類福祉に大きく貢献してきたことは明白である。引き続き自律的な学術活動を維持するためには、大学が本来の社会的責任を強く認識することが不可欠であり、成果公開を通して、その特別な存在の正当性を担保しなければならない。良俗に反する活動のみならず、時代の流れに無関心な過度に自己中心的な振る舞いは、一般社会の支持を喪失し、さらに無用の権力介入を招きかねない。

大学教員は官民の戦略研究にどうかかわるべきか

大学は自治主権を堅持すべきであり、そのためにも今一度、教育と学術の府であることを再確認しなければならない。国の財政難の折から、資金源の多様化は不可避であるが、活動は基本的に中立、社会全体に資すべきである。国内外の限定的な資金提供者、経済強者への奉仕に偏ることは望ましくない。

筆者は産学連携の推進に強く賛同する者の一人であるが、1960年代後半に、産学癒着問題を争点とする激しい大学紛争にも遭遇した世代でもある。大学組織も個人も言われなき指弾を受けることなく、本来の使命に沿い規律を保ちながら活動することが求められる。

近頃世間が注目する防衛省による具体的な課題指定の軍事技術研究は、特定企業が主導する排他的な商業化研究などとともに、その意思の所在に鑑み、大学人の活動を束縛し、また大学組織の本来の整合的教育研究運営に支障をきたす恐れがある。従って内発的創意を尊重する学術には全くなじまない。

一方で、世界のパワーバランスの変化、国家間の衝突、高まるテロ、サイバー攻撃の脅威に対する危機感は、国の安全保障を司る防衛省に、自らに必要な科学技術知識の獲得を強く促す。であれば、まず防衛省が責任をもって充実した研究の場、研究者、資金その他の必要資源を用意すべきである。研究者は様々な専門能力をもち、価値観に基づく職業選択の自由もある。その政策に共感する大学人は、身分を防衛省に移し、確信をもって活動に専念するべきである。場合によっては、機関同士の一定の契約のもと、エフォート管理の上、兼業するなども可能であろう。国の存立にかかわる必須事項であれば、実現を可能にするための明確な法整備が必要であろう。さらに当該研究者の意向とは別に、関係する大学院生の教育には、特に慎重な配慮が求められる。

教員の利益相反、責務相反の回避

官民を問わずタスクフォース型の戦略研究には厳しい目標管理が必要であり、参画者には責任・義務が課せられる。教員が外部の職務活動に過剰に専心する結果、大学が定める本務時間の大幅縮減による不都合が生じてはならない。

外部連携活動による利益相反、責務相反の疑念は避けるために、ぜひ法的、倫理的に受容される仕組みを整備すべきである。米国では、大学教員には年間9ヶ月分の給与を払い、残り3ヶ月は教育義務から解放する。週1日の自由という選択肢もある。わが国でもクロス・アポイントメントのための法整備の上、教員が大学との契約に基づき、一定の期間外部組織ないし学内外に設置する「共同研究施設」において「非学術的研究」に専念すれば、責務相反は明確に回避できる。加えて、大学の人件費負担の軽減にいささかなりとも貢献することになる。

国民の信頼に足る科学技術イノベーションのエコシステムを樹立しなければならないが、その秩序の要は、大学人の使命の自覚、そして社会と大学の契約の精神の徹底である。

大学は公教育と「学術研究」の場である|2017年3月15日野依良治の視点 から