大学における自律性尊重の「学術研究」は、実は特例的な営みであり、官民を問わず一般社会における研究のほとんどは、組織の使命,目的により一定の制約を受ける。従って、大学が異なる制度下の組織と協力作業を行う場合には、それぞれの役割の本質を損なうことなく最大の効果を生むべく、予め明確な取り決め(法整備、契約)が必要になる。
大学と産業界の規律ある協力関係
「第4次産業革命」にともない、世界では破壊的な社会変革が急激に進む。米国においてはグーグル、アップル、テスラ社などのグローバルなプラットフォーマー企業が、圧倒的な資金力と人的ネットワークを背景に、基礎研究から技術開発、ビジネス展開までを包括したイノベーション活動を展開する。対抗企業群が不在のわが国では、現実を直視しつつ、産学連携を軸とする競争力ある社会横断的な共同活動が不可欠である。
わが国の研究費総額は世界3位、対GDP比3.57%比と極めて高い。ただし民間投資が72%、国の負担は僅か19%で、イノベーションに向けた両者の有効な混合が望ましい。実際、産学連携の強化は、現内閣における最重要の課題として議論されており、その結果、2025年までに、企業から大学、公的研究機関への投資額を現在の3倍の3,500億円に拡大する目標を掲げた。しかし、この投資が産業界の経営意志に基づくものである限り、その主たる目的は短中期的な産業力強化にあり、教育や学術振興のための自由資金(unrestricted fund)の「寄付行為」ではないであろう。
異なるセクターをまたぐ協同作業は、特定の目標を掲げかつて大学が経験したことのない形で実施されよう。大学と企業の価値観と慣習は著しく異なるので、同床異夢のご都合主義の産学連携は、本来の目的達成を阻み、またなし崩し的に大学組織の秩序混乱をもたらす。そこには互恵的効果を生む最も合理的かつ規律ある制度が必要となる。大学に旧来の役割の変化を容認、さらに積極的に推進を要請するのであれば、大学側にはそれに応じた組織の再編と新たな部署の用意が必要になる。また研究教育の波及効果の評価(impact assessment)についても、従来の論文至上主義を超えて自律的に議論すべきである。
国境を超えた資金提供への対応
研究は連続的であり、活動を支えるのは現行予算だけではく、それに先立つ実績である。かつて生物医学分野の優れた研究で有名な米国スクリプス研究所の経営方針をめぐって、知的財産の国外流出の観点から激しい議論が巻き起こった。私立の同研究所は、主に連邦政府機関である国立衛生研究所(NIH)から資金を得て研究成果をあげてきたが、経営危機に見舞われ、他国スイスの製薬会社サンド社(のちにノバルティス社)から多額の自由研究資金の提供を受けることとし、その代わり自らの発明の商業化の第一優先権を与えたからである。
日本国民から大きな負託を受ける国立大学法人は約6万人の教員を擁するが、その名の通り、身分や研究教育環境の相当部分が国費で保障されている。ならば、上記の様な研究成果の商業展開を企図する国外企業からの資金提供にいかに対処すべきであろうか。納得できる原則を定めて欲しい。
もとよりわが国の大学には、多く科学的発見、独自性ある技術発明があるが、しばしば潜在的価値が認められることなく、死蔵しがちであることは残念である。むしろ海外で注目、実用化された事例も少なくない。日本企業には是非とも鋭い鑑識眼を磨き、先見性をもって実用技術、ビジネスへと結実してほしい。さらに積極的に多くのスピンオフ企業の誕生をも期待している。
産学連携、人材養成、教育の整合性
大学がかかわるオープン・イノベーションは、単に個々の企業体、大学機関、研究者の経済利益だけに資するものではない。民間資金の提供も、大学組織の延命のためではなく、公共的存在意義を高めるためにあるはずである。多様な連携活動は、わが国の「超スマート社会」構築を通して、経済発展はじめ長期的な国益の持続に向けた制度として位置づけられる。従って行政には、連携を特定の企業と大学の当事者だけに委ねるのではなく、さらに高等教育に関わる法的整備も含め総合的な指導力を発揮して欲しい。
産業界は、短期的な目標達成を目指しがちであるが、さらなる未来の課題解決、知識資本時代を担うイノベーター育成こそが大学の最も重要な責務の一つであることを理解しなければならない。上記の新たな特別な環境で研究に携わる学生への学位授与問題、処遇と将来のキャリアーの保証は特に大切である。決して彼らを労働力として消耗させてはならない。大学院の教育研究のあり方にも密接に関係する。
国益に向けた大学と産業界の協力体制(その1)|2017年4月13日野依良治の視点 から
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前回のコラムで述べたように、産学連携を効果的に進めるためには、双方が互いの立場を理解し、共同作業に関わる明確な取り決めが必要である。ここには公的機関を含む官の統合的役割があるはずである。今回は、さらに具体的な課題について考えたい。
産学官連携プラットフォームの整備
「知の共創」により多様な研究成果を最大化し、広く社会の繁栄をもたらすには、できるだけ多くのステークホルダーが、自らの資源を効果的に共用できる相当規模の公的プラットフォームの整備が必要である。多くの企業が集う国立研究開発法人の日本医療研究開発機構(AMED)とともに、国の研究戦略実現の要である理化学研究所、産業技術総合研究所、物質・材料研究機構、科学技術振興機構などには、その広範かつ高度な専門性を生かして、強力なハブ機能を発揮してほしい。
ドイツのフラウンホーファー協会は、国民の信頼にたる公的な産学連携制度の一例である。所長権限の所在、研究者たる資格(例えば企業経験など)、学生の進路も明確であり、円滑に運営されている。米国NSFなどの様々なプログラムとともに、英国の工学・物理科学研究会議(EPSRC)の先進製造センター(CIM)の仕組み(特定分野に焦点を当てた産学連携のための製造業プラットフォーム)も参考にしてはどうか。
「イノベーション特区」の設置
産学官連携を促進するには上記の公的ハブ機構の整備とともに、個々の大学機関に「イノベーション特区」を設置する必要がある。複数大学による共同運営もありうる。教育、学術研究を旨とする大学本体とは連携しつつも、価値観を異にする独立組織である。共同研究には、非競争的、前競争的、競争的と様々な段階があり、目標課題により実施形態も異なる。それぞれを如何に効率的に進めるか、この特区はメリハリを利かせた法的、倫理的に整合性ある組織でなければならない。当然、参加者の身分、職務管理の明確化が必要である。
研究立案、実行のみならず、資金の調達と運用、人事、渉外、安全管理、知財権などにかかわる、民間的な強靭かつ迅速な意思決定が求められる。組織内の円滑な管理運営にかかわる「バックオフィス」とともに、多様な外部連携を司る「フロントオフィス」機能が求められる。欧米のみならず、中国、韓国の大学におけるイノベーション事情を仄聞するに、旧来の縦割り行政的措置、学術的価値観や短期的な商業化視点だけでは、とうてい運営不可能である。
残念ながら、現在のわが国の経営者不在の大学組織では、イノベーションを目指す産業活動への対応は困難である。大学に残された時間は少ないが、個々の具体的課題の実践についても、大学人ではなく、例えば米国のDARPA研究のように敏腕のプログラム・マネージャーの登用が鍵となる。さらに国内外のイノベーション業務経験をもつ責任者の確保と有能な専門人材の育成が不可欠となる。
大学で発生する情報リスク
大学は公器であり続ける。主に文部科学省と「日本学術振興会」からの公的資金に支えられる「学術研究」には中立性と公開性が求められる。大学内における様々な外部組織との共同研究も同様に扱われるはずである。他方、他省庁の特定政策目的研究、さらに私的資金による、時には国境を超える経済産業活動はこれとは一線を画し、知的財産権の独占、発明技術の秘匿や不正流失への対処も不可欠となる。研究成果公表の制限もあろう。オープン・イノベーションとは、目的実現にむけて知識や技術を広く持ち寄ることであり、決して公開で共同作業することではない。外部に広く開かれ、データ管理の不統一、情報機器の公私取り扱いの区別も怪しい現行の大学研究室で、果たして知財、情報セキュリティーが守れると断言できるか。
世界経済フォーラムは「グローバルリスク2017」の中で、情報通信技術の普及に伴って、データ不正またはデータ盗難を最も発生可能性が高いリスクTop5の項目の一つとして挙げている。教員とともに博士研究員、大学院生にあまりに危機意識がないが、問題が起こってからでは取り返しがつかない。「危なくて、大学とは共同研究できない」との企業の声もあり、再度しっかりと職務研修を実施し、安全、安心を保障する強靭な共同プラットフォームを構築してほしい。
国益に向けた大学と産業界の協力体制(その2)|2017年4月21日野依良治の視点 から