政府の経済財政諮問会議や安心社会実現会議などにおいても、安心社会の実現に向けて今後の政府全体がとるべき方策について検討がなされてきている。そこでは、「機会の平等」が確保されていないことで生まれる格差(親の所得、資産等による格差の固定化・再生産)は、「希望喪失社会」につながるなどの懸念が指摘され、今後の方向性として、階層化を回避し日本の強みである社会的一体性を堅持すること、厳しい生活状況にある人に対し、時代に応じたセーフティーネットを確保することなどの必要性が議論されたところである。
この点、教育が担う役割は極めて大きい。つまり、国民一人一人が生活を送る上で、個人の努力や能力による格差が一定程度生じることはあり得るとしても、その努力や能力を発揮する機会は、経済的・社会的な事情にかかわらず誰もが等しく与えられるべきであり、この前提条件として、次代を担う子ども全てが共通のスタートラインに立って能力を最大限に高められるようにすることが教育に求められる。誰もが、十分な教育を受け、自らを磨きながら「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」に裏打ちされる「生きる力」を身につけることができれば、その一人一人にとって、より高次元の経済的・社会的活動が促されるため、結果として所得分配の公平化や自己実現が図られ、ひいては社会全体の成長や安心をもたらす。
教育がこのような役割を十全に果たすためには、雇用、年金、医療、福祉などの他の社会保障政策と同様に、教育を「生活安全保障」(セーフティーネット)あるいは「人生前半の社会保障」と位置づけ、全ての子どもたちが安心して教育を受けることのできる「教育安心社会」を実現するための取組が重要である。折しも、教育再生懇談会においては「教育安心社会」の実現に向けて、先般、第4次報告がとりまとめられたところであり、今後、政府が一丸となって施策の充実を図ることが期待される。
そして、意欲と能力のある誰もが教育にアクセスできる社会が実現すれば、誰でも努力をすればより豊かな生活を送ることができるという希望が拓け、ひいては、公正な社会の実現や我が国全体の活性化につながるものと確信している。
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この文章は、去る6月3日に文部科学大臣の下に設置された「教育安心社会の実現に関する懇談会」が取りまとめた報告書の一部です。「人生前半の社会保障」という言葉は、親の所得格差が子どもの教育環境の格差につながっているという現実、不況などにより学校に就学費用を納められない子が少なくない現実を踏まえ、今後活力ある社会にするために、これまで介護や医療といったどちらかと言えば人生の後半を対象とする社会保障という言葉の定義を教育分野にまで広げ、教育分野への公費支出を増やそうという考え方がベースにあります。
(参考)子どもにも社会保障を 教育の格差、固定化に懸念(2009年6月22日 朝日新聞)
政府の経済財政諮問会議や「安心社会実現会議」における検討に併行する形で進められてきた「教育安心社会の実現に関する懇談会」による検討結果であるこの報告書は、とてもインパクトがあり、わかりやすい懇談会からのメッセージを前文に置き、続けて教育費負担に関する基本的な考え方、さらには、各学校段階ごとの現状と課題解決のための政策が提言されています。また、最後には、多様な政策の実現に必要な経費の試算を行い具体的な財源の確保を求めるとともに、提言内容を裏付けるデータがわかりやすい形で示されています。
この「教育安心社会の実現に関する懇談会」が、官邸レベルではなく、文部科学大臣主導の下に設置された趣旨に関わって、今回の報告書のねらいは、個人的には大きく2つあるのではないかと思います。一つは、所得格差が教育格差を生み、我が国の将来を担う子ども達に教育の機会均等が保障されなくなってきている現実に対し警鐘を鳴らすこと、そして2つめは、今後の平成22年度予算編成過程を闘い抜き、必要な予算を確保・拡大するための戦略としての意味合いです。もとよりその眼目は後者であることは疑う余地のなところですが、いずれにせよ、今や社会問題化している教育格差を是正する、なくすための努力は、国や自治体に対し今後一層国民から求められることになるでしょう。
冷えきった経済・財政状況の中で、国民の多くは疲弊しきっています。景気低迷のあおりを受け、職を失い、あるいは大幅な収入の減少により、人が生きる上で不可欠な衣・食・住もままならない最低レベルの生活を余儀なくされている人々がちまたにあふれています。このような中で、教育費負担は、家計を大きく圧迫し、結果として進学や就学を断念せざるを得ない子ども達・若者達が増え続けています。
教育は、親の経済状態や居住地にかかわらず、平等にその機会を与えられるべきものです。この国の発展基盤となる子ども達や若者達が、教育を受ける権利を放棄せざるを得ないような国は、衰退の一途をたどり、世界に互していくことなど遠い昔の物語として語られることにもなりかねません。教育の機会均等・機会の平等という我が国がこれまで守り続け、我が国をここまで発展させてきた基盤を崩壊させることにならないよう、私たちは今こそ、報告書に示された施策を確実に実行していかなければなりません。
学びたいのに:奨学金の課題 読者の反響特集 格差、なくならないのか(2009年7月7日 毎日新聞)
「親だって子に学ばせたい」「お金がないと進学できない社会なのでしょうか」。6月9日から3回にわたり連載した「学びたいのに 奨学金の課題」に多くの体験談や意見が寄せられました。教育費がなぜこうも高いのか、格差はなくならないのか。反響の一部を紹介し、改めて考えました。・・・
学びたいのに:奨学金の課題/上 母子家庭「やっていけない」
学びたいのに:奨学金の課題/中 生活保護、減額困る
学びたいのに:奨学金の課題/下 将来へ、負担重く
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懇談会報告書の前文と高等教育関係部分を抜粋してご紹介します。
全文をご覧になりたい方はこちらをどうぞ → http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/07/1281312.htm
教育安心社会の実現に関する懇談会報告-教育費の在り方を考える-
はじめに
教育とは、そもそも何を目的とした営みであろうか。また、その費用は誰が負担すべきであろうか。
この根源的な問いかけに答える前に、我々は、まずは、子どもは「社会の宝」であり、今後の未来を築いていくかけがえのない存在であることを強調したい。
その上で、子どもの教育には、子ども一人一人が、個性を伸ばし可能性を開花させ、人生を幸せに生きることのできる基礎を培うことと、同時に、世のため、人のために貢献する国家社会の形成者を育成するという2つの目的があることを確認したい。これらは、何ら矛盾するものではなく、教育基本法においても、第1条において教育の目的として、「人格の完成」を目指し、「国家及び社会の形成者」の育成を期して行うためのものである旨が定められている。まさに教育こそが、個人に幸福をもたらし、ひいては国家・社会の発展につながっていくことは、古今東西を問わず、万人の首肯するところではないか。
こうした教育の意義に照らせば、子どもの教育やその費用は、子ども本人任せ、親任せ、学校任せであって良いわけがない。子どもの教育には社会総がかりで真剣に考え、取り組むべきであり、教育費についても社会全体で分担すべきである。「人の子も我が子」と社会のすべての構成員が思える温かみのある教育環境の醸成が何よりも求められる。そして、それを促す社会システムこそが、これまで培ってきた文化・歴史・伝統・社会的資産あらゆるものを次代へ引き継ぐ真の持続可能な社会につながるのではなかろうか。
知識基盤社会と言われる中にあって、我が国が継続的発展を遂げるためには、教育を皆が大事にしなければならない。資源に乏しい我が国が、現在の豊かな社会を築くことができたのは、これまでの時代の変革期にあって、国家・社会の存立基盤である教育に大きな力を傾け、成果を上げてきたからこそである。そこで、敢えて訴えたい、教育の充実に目を背ければ、必ず社会の衰退につながるということを。今こそ強調したい、断じて子どもの幸せや希望を奪うような社会にしてはならないことを。まさに教育にどれだけの力を注ぐかをめぐって、国全体の覚悟が問われている。
特に、昨今では、経済雇用状況の悪化により、所得の格差の拡大、努力や挑戦意欲の減退、社会における安定性・一体性のほころびなどが懸念されている。このような中で、雇用、年金、医療などの諸施策と同様に、社会のセーフティネットとしての教育の機会を確保する重要性が一層高まっている。しかるに、それを支える教育の公財政支出は、国際的にみても最低レベルであり極めて心許ない。
一方、家計による教育費の負担は厳しく、それが少子化の要因にもなっている。さらには、学習意欲や学力の低下、いじめ、不登校の問題も山積している。
国・地方公共団体・各学校・地域社会・企業・各家庭など社会の構成員全てがこれらのことに危機感を持って、意欲のある誰もが安心して教育を受けることができるよう、教育費の在り方を含めて、協力しあいながら、諸条件の整備に向けて努力すべきであることは言うまでもない。
以上のような問題意識に立ち、本懇談会においては、教育費の問題、とりわけ家計負担の軽減に焦点を当てて、家庭の経済状況や教育費の家計負担、公財政支出等の現状を踏まえ、大局的・中期的な視点から、今後、政府が実行すべき施策を緊急に提言することとした。
今回の提言が、教育費の在り方について教育行政当局において今後の政策展開に当たって参考としていただくとともに、一層の国民的議論を巻き起こせるようなアピールになることを願っている。
各学校段階での方向性(大学・大学院段階)
大学は、学術の中心として高度の教育研究を行うことにより、人格の形成、能力の開発、知識の伝授、知的生産活動、文明の継承など多岐にわたって、中等教育後の様々な学習機会の中にあってその柱となり、社会を先導していく役割が期待されている。
すなわち、教育面では、幅広い教養と高い専門性を備えた学生を社会に多く送り出すことのみならず、国際的競争が激しくなる中で各分野を牽引するリーダーシップを備えた人材を育成するという役割を果たしている。また、研究面では、人文・社会科学から自然科学まで全ての学問分野に及び、研究者の自由な発想による学術研究を通じて新たな原理現象の発見や解明を行い、環境問題、エネルギー問題といったような人類が抱える諸問題の解決に貢献するなど、国民生活や社会経済の発展に大きく寄与している。さらに、大学は、教育機会の提供、地域を支える専門人材の育成、産学連携による研究成果の還元等を通じて、地域の発展に多大の貢献を果たしており、地域の知的・文化拠点、又は地域活性化の拠点として、不可欠な役割を担っていることにも留意すべきである。このように、大学をはじめとする高等教育は、初等中等教育とは異なる公的性格を有している。
また、同時に、学生本人にとっても、高度な教育により知識ストックを蓄積し、今後のキャリア形成などにおいて役立てるという点で、高等教育は重要な意義を持つものである。
グローバル化が進み知識基盤社会が本格的に到来しようとしている現在、このような大学の役割はますます高まっており、各国が高等教育の充実にしのぎを削っていることを踏まえれば、我が国においても国家戦略として大学の教育研究を強化するとともに、意欲と能力のある学生が経済的な理由により進学を断念することのないよう、大学教育を受ける機会を保障するための施策の充実が喫緊の課題であると考えられる。
しかしながら、OECDの調査によれば、我が国の高等教育については、国際的に比較すると、公財政支出と比較して私費負担の割合が多く、「授業料も高く学生支援体制が比較的整備されていない国」として指摘されている。大学の授業料は低廉であるヨーロッパや、授業料は高いが官民による奨学金制度が充実しているアメリカなどと比較しても、教育立国・科学技術創造立国を標榜する我が国としては、由々しき状況にあるといえる。
実際に、大学授業料が年々増加傾向にあるなか、低所得者に負担がのしかかっていることは明らかであり、各大学で行われている低所得者や成績優秀者を対象とした授業料免除措置の充実を早急に図る必要がある。さらに、民間団体が行う給付型奨学金事業の活性化を促すことも重要である。また、キャリアの将来性や在学中の生活保障がないことなどにより博士課程への進学者が理数系分野や医学系分野をはじめ各分野で減少傾向にあるといった問題も生じている。これらが原因で、社会に貢献すべき高度な能力を有する人材の輩出が妨げられているとすれば、それは学生本人のみならず社会全体にとっても大きな損失であり、緊急的な対応が必要である。
これらの状況を踏まえ、国公私立を通じた高等教育機関の基盤的経費の充実強化による教育条件の維持向上や経営基盤の安定化を図りながら授業料の抑制に努めるとともに、授業料や入学金の減免措置の拡充や奨学金貸与事業の充実を中心に家計基準に着目した負担軽減策を推進し、大学院段階については、キャリアパスの提示や、優秀な大学院生をティーチング・アシスタント(TA)やリサーチ・アシスタント(RA)として雇用すること等を通じた経済的支援を充実することが必要である。また、優れた研究能力を有し、大学等での研究に専念することを希望する者を「特別研究員」として積極的に採用し、生活支援も含めたトータルな経済的支援を引き続き行うことも重要である。
このような経済的支援と同時に、進学に係る経済的負担の軽減により進路選択が行え、また安心して学習や研究に打ち込めるようにするため、学生生徒等が進学に係る「ファイナンシャルプラン」をあらかじめ設計できるよう必要な環境整備を行うべきである。具体的には、奨学金制度等に関する情報を高校生等の進路選択時に提供するとともに、インターネットで奨学金貸与額等が試算できる仕組みづくりや各大学の相談体制の整備、経済的理由による返還猶予者等に対する減額返還を検討する必要がある。
また、優れた資質と能力のある学生に対する大学教育を受ける機会の保障の観点から、居住地によって大学進学機会が断たれることがあってはならないのは当然である。このため、地域における大学進学率の差異や国公私立大学の設置状況にかんがみ、地方における進学機会を確保するため、基盤的経費の充実や、地域における大学間連携・共同利用等の推進、教育・学生支援分野における共同利用拠点の創設、大学の経営基盤の安定化への支援など、地方大学の運営支援が必要である。