2009年7月20日月曜日

国立大学の存在意義と学納金

少子化に伴う全入時代の到来に伴い、大学には様々な改革努力が求められるようになりました。

特に大学経営に関わるマネジメントは重視され、私立大学では、予定された学生確保がままならない状態、つまり定員割れを起こしている大学が全体の約半数に迫る危機的な状況となっており、学生募集停止の報道が後を絶ちません。

また、運営費交付金という税金が投入され、安定した経営が保障されている国立大学であっても、授業料・入学料・検定料といった学生納付金が予定どおり確保できない場合は、その減収分の事業展開あるいは人の雇用を停止しなければならず、結果的には教育研究の質の低下に直結することになります。

したがって、学生の収容定員の確保は、新入生はもとより、入学後の休学・除籍・退学者数の抑制を含め、大学にとって極めて重要な経営課題の一つとなります。

先日、国立大学の事務職員への就職を希望し就職活動を行っている学生達と話をする機会があり、面接試験対策と称して「国立大学の存在意義、役割・使命についてどう考えるか」という質問をしてみたことがありました。

多くの学生にとっては想定外の質問のようでしたが、中には間髪を入れず的を得た明確な回答をした学生もいました。想定外の質問であっても、日頃から社会の様々な動きについて問題意識を持って考える習慣をつけている学生は、おそらくこういう時に力が発揮できるのだろうと改めて教えられました。

さて、彼らの回答の中で、国立大学の存在意義について、特に私立大学との比較において最も多かった回答が、「高等教育の機会均等の保障」でした。家計や経済の状況によって、能力や意欲がある学生が、大学への進学の道をあきらめることのないよう、私立大学に比べれば低廉な授業料が設定されていることが、国立大学の存在意義の大きな柱の一つです。もちろん学費が安いだけではなく、税金が投入されていることに関わって、国立大学には公的な機関としての社会的責任、つまり社会への貢献などの使命も課せられています。

このように、教育の機会均等の保障をはじめ、国立大学の存在意義を理解していた学生が予想以上に多かったことは、国立大学に勤務する者としては、大変うれしく、一方では責任の重大さを改めて感じたところです。

これまでも、この日記では、就学や進学のための学生支援の重要性について何度か触れてきました。最近では、政府レベルにおいて「人生前半の社会保障」という考え方が重視されるようになってきていますし、文部科学省は、経済格差が教育格差を生むことにならない「教育安心社会」の実現を目指した諸施策を提案しています。


関連する記事と論考をご紹介したいと思います。まずは7月16日の朝日新聞社説から。

教育費負担-学ぶ子にもっと支えを

学びの場で悲鳴が上がっている。
3月末の時点で授業料を滞納していた大学生は1万5千人、高校生は1万7千人。奨学金貸与の申し込みが急増しているが、十分な枠がない。昨年度は8千人近い大学生が「経済的理由」で中退した。
義務教育である小中学校でも、給食費などの滞納が問題になっている。所得が低い家庭向けの就学援助制度は、10年前の倍近くが利用している。
授業料は高くなった。塾代もばかにならない。そこへ昨年来の深刻な不況。「進学はあきらめろと親に言われた」「教育費が心配で子どもをつくれない」。そんな声も聞こえる。
日本の公的な教育支出は、GDP比3.4%と先進国で最低のレベルだ。教育は親の財布でという考えも根強く、家庭の負担に任せる部分が大きかった。だが教育費の高騰と親の所得格差の拡大は、「教育の機会均等」という原則を根元から揺るがせている。
貧しい家庭の子は、学びたくても十分に学べない。学歴や学力の差は社会に出てからの所得格差に反映し、次の世代にもまた引き継がれてゆく――。そうなっては、日本社会の活力は大きく損なわれてしまうだろう。
教育は「人生前半の社会保障」といえる。その費用はできるだけ社会全体で分担すべきだ。財政支出を増やし、家庭の負担を減らす工夫をしたい。
さまざまな提案はある。文部科学省の有識者会合は、公立高校と私立高校の授業料の差額分を支給する制度や、低所得層向けの就学援助・授業料減免の拡充などを提言した。自民党は幼児教育・保育の無償化に前向きだ。民主党は、中学生までを対象とする子ども手当の支給や、高校の授業料無償化を総選挙のマニフェストに盛り込む。
教育支援は少子化対策、母子家庭支援、雇用対策など他の政策分野とも密接にかかわる。子育て家庭や若者の、どの世代、どの層が、どんな支援を最も必要としているか。文科省や厚生労働省など役所の垣根をとり払い、総合的な「こども・若者政策」として、優先順位をつけて取り組むべきだろう。
たとえば、幼い子を持つ親にとっては幼稚園・保育所がタダになるのもいいが、保育所の数が増えたほうがありがたいのではないか。
特に家計への負担が大きい大学段階では、返済の必要のない奨学金をもっと増やしたい。雇用不安の中、就職支援策にも力を注ぐべきだ。
進学率が98%に達した高校教育の位置づけも焦点だ。家庭の経済状況によって学びの機会が制限されないような支援が、強く求められる。
すべての子に希望を保障することは大人たちの責務だ。「ひとの力」のほかに日本の将来を支えるものはない。来る総選挙で、議論を深めたい。


次に、広島大学高等教育研究開発センター長の山本眞一さんの論考です。

教育費負担と学生への経済支援(抜粋)

かつては低廉だった国立大学授業料

国立大学の授業料は、昭和47年度に3倍に引き上げられて以来、急速に上昇し、昭和53年度には10万円を突破、4年後の57年度には20万円を超え、その後も値上がりを続けて、現在は授業料53万5800円、入学金28万2000円となっている。かつて大きかった私学との授業料格差は、この30年間で5倍から1.6倍に縮小し、また入学料についてはほぼ解消している。その結果、現在では学生生活費に占める授業料の割合は大きく上昇し、下宿生については、国立でも月々15万円ほどの生活費に対して授業料が4万5000円、つまり3分の1を占めるまでに至っている。

5人に2人は経済支援を利用

さて、いずれにしても学生にとって授業料やその他の学費負担が近年高水準にあることは間違いがない。その負担をいささかでも和らげるのが、学生に対する経済支援に関する制度と政策である。文部科学省の整理によると、平成20年度において日本学生支援機構の奨学金を貸与されている学生は、学部段階では全学生の約3割に当たる80万5000人であり、うち無利子奨学金事業は25万5000人が利用しており、一人当たり月額で5万2000円、有利子奨学金事業は55万1000人が一人当たり6万8000円で利用しているとのことである。このほか、授業料減免や民間団体の奨学金を利用している者も含めると、延べ数では約100万人の学部生がこれらの経済的支援を受けていることになる。これらを合算すると全体数で言えば5人中2人が何らかの利用をしていると推測されるが、さらに民間のローン等の利用者もいることと思われる。

いずれにせよ、学部生の大半はかなりの金額を自己負担していることになるが、これが世界標準かというとそうではない。ヨーロッパ大陸諸国では授業料は無料もしくはきわめて低廉であり、また、英国においてもわが国よりはその授業料は安い。米国の大学では、授業料は千差万別であるが、同時に各種の奨学金やローンも充実しており、学生の経済的事情に応じてきめ細かな対応がなされている。なお、わが国を含め、大学院段階の学生に対する支援は別であり、このことについては、いずれ稿を改めて論じたい。

将来への投資としての公財政負担増を

授業料制度の差は、教育支出や額や公私負担の割合にも影響している。OECDのまとめによると、高等教育機関に対する公財政支出の対GDP比は、わが国は韓国の次で最下位(0.5%)となっており、各国平均の1.1%から大きくはずれている。また、高等教育段階の教育費支出の公私負担の割合は、OECD平均では公財政が73.1%であるのに対して、わが国は33.7%にとどまっており、その代わり家計負担は50%を超える大きさである(いずれも2005年時点の数値)。

かつてのわが国では、他の東アジア諸国と同様、教育費は家計が進んで負担するという文化があった。貧しい中で教育費を工面するのは、むしろ美徳とさえ思われていた。しかし、経済情勢が変わり、また雇用や社会保障などさまざまな環境条件が推移する中で、昔と同じように家計が教育費を進んで負担できるかというと、そこにはおのずと限界がある。すでに家計負担能力の差による教育格差が大きくなってきているという指摘もみられる中、知識社会の中での発展と国際競争を目指さなければならないわが国にとって、教育費への公財政投資は、学生への経済支援を含め、将来への重要な投資ではないかと思うのであるが、いかがなものであろうか。(文部科学教育通信 No223 2009.7.13)


最後に、国立大学協会が7月15日に取りまとめた学生納付金の在り方についての見解です。この中では、「国立大学の役割」が次のように整理されてあります。

第2期中期目標期間における学生納付金の在り方について-学生納付金に関する検討ワーキング・グループ(中間まとめ)-(抜粋)

国立大学は、科学技術創造立国を目指す我が国にとって、優れた人材と研究成果を生み出すための中心的な教育研究基盤機関として、次の役割を担い、現在全国に86 大学が設置されている。国立大学は、明治期以来の我が国の高等教育政策の根幹をなし、国の発展の原動力をなすものである。

1 知識の創造拠点

国立大学は、地域の知識基盤社会を支える重要な「知」の拠点として、その使命を果たしている。特に「知」を巡る国際競争の激化や知識基盤社会の進展の中で、世界をリードする研究者の多くを国立大学が輩出していることに留意すべきである。

2 高度人材育成の中核

短期的・効率至上主義的な目標達成や特定の企業・産業の利害にとらわれずに、長期的・大局的な見地から研究教育体制を組織し、基礎的な学問分野や人文・社会科学、自然科学分野など、バランスの取れた研究・教育体制を築いて高度人材育成を行うことにより、我が国の高等教育・学術研究全体の均衡ある発
展に大きな役割を果たしている。

3 高等教育の機会の保障
  1. 高等教育の機会均等を保障するため、都市圏に限定されることなく、全国に設置されている。

  2. 比較的低廉な学費により、家庭の経済背景、或いは居住地域に関わらず、様々な領域で高等教育機会を提供している。なお、学部・分野別に授業料の差を設けた場合、家庭の経済力の差により専門分野を選択せざるを得ない事態を生じ、所得が少ない家庭の子弟は理工系や医・歯学系学部に進学できないことになる。

  3. 優秀な能力が埋もれることのない社会を造るために重要な役割を果たしている。特に昨今の経済不況の中において、低所得層に高等教育を提供する場として国立大学はその役割を一層増している。また、国立大学の学生の65%は三大都市圏以外の地域に所在する国立大学に在籍しており、特に地方において比較的低所得者層の子弟を多く受け入れていることからも教育の機会均等に大きく寄与している。
4 国立大学は地方における教育、研究の拠点、医療の最後の砦

地域へ安定的かつ持続的に大きな経済効果を発揮しており、特に、大学の研究による「新しい産業の創出と地域産業・地域文化の活性化」という地域の未来につながる経済基盤の創出や安心安全社会の実現という重要な役割を果たしている。

全文はこちらに掲載されてあります。
http://www.janu.jp/active/txt5/nouhu090615.pdf