「(耕論)STAPの教訓 郷通子さん、榎木英介さん」(2014年12月19日朝日新聞)をご紹介します。
この1年、科学界を揺るがしたSTAP細胞の「発見」は、誰も存在を証明できない事態に暗転した。大きな教訓は、研究者をいかに育てるか。競争の激しい生命科学の分野で後進を育成してきたベテランと一線の若手は、どう考える?
■多額研究費は逆に人材育てぬ 郷通子さん(前お茶の水女子大学学長)
今回の問題を通じて浮上した大きな課題の一つは、研究者の育成、つまり、大学院での教育はどうなっているか、ということでしょう。私は、このままでは日本の科学は危うい、と思っています。
実験ノートが話題になりましたが、そうした研究に関する基本的なことは、大学院に入って最初に教わるべきことです。
私自身が指導していたとき、学生とは必ず毎週1回、1対1で話をしていました。生データと研究ノートを持ってきてもらって、見ながら議論する。それをやっていれば、独立した研究者になっても基本的なことを知らない、などということにはならないはずです。
<考えさせること>
最初にどう学ぶか、は非常に重要です。私はお茶の水女子大から名古屋大の物理の大学院に進みました。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんと同期でした。今年のノーベル賞の赤崎勇さん、天野浩さんも含め、なぜ名古屋大からの受賞が多いのかとよく聞かれます。旧帝大の中で最後にできた若い大学ということもあり、上下関係もあまりなく、自由な雰囲気があったと思います。
博士論文は、早稲田大の指導教員のもとで書きましたが、名古屋大と共通していたのは、先生は決して研究テーマを与えずに学生に考えさせることです。学生の側にも、たとえ大変でも面白い研究をやるんだ、簡単なものはやるまい、という気概がありました。
最近は、研究テーマを先生が与えることが多くなっているようです。「すぐ論文が書ける」「面白いが5年がかりになるかも」などいくつか並べると、多くの学生はすぐ論文が書けるテーマを選ぶ。
先生も学生も、早く成果を出さなければと、迫られています。
論文もそうです。一流誌に何本も論文を発表している大学院生に聞くと、先生が書いた、という。そのほうが効率がいいからでしょう。私が指導していたとき、最初は論理構成もめちゃめちゃで、どうやって論理を組み立てるか、何のための研究か、などと議論しながら自分で書かせました。データがそろってから1年くらいかかります。でも、そうして自分で書かないと、本人のためにならない。自分できちんと論文が書けることは、博士の最低条件です。
<多様性を大切に>
しかし、こうした指導スタイルは大学院でも研究機関でも、とくにこの10年ほど、変わってきたことが気がかりです。
とりわけ、多額の研究費をもらっている研究室ほど、早く成果を出し、多くの論文を発表することが求められる。お金があればできることはだれでもできるから、いかに早くやるかが勝負になる。ボスも忙しいから若手とじっくりつきあっている時間は取りにくく、若手もさっさと論文を仕上げないと次のポストが得られません。
研究費が重点的に支給されている大学や研究機関ほど、そうした傾向が強くなります。研究費が少なければ、工夫がいるし、何をやるか、頭も使う。多額の研究資金が投じられるほど、人が育ちにくい、という皮肉な結果です。
基盤的な研究費は減っているため、たとえば科学研究費補助金(科研費)に応募しても採択率は4分の1ほどです。小さい大学で研究をすることはますます難しくなっています。一部の大学への過度の集中は改め、幅広く支援していく必要があると思います。
ユニークな研究を育むには何より、多様性が大切だからです。
若手研究者を対象とする賞でも、はやりのテーマで一流誌に論文をたくさん発表している人が選ばれがちです。その人ならではの思い切った挑戦をもっと評価すべきです。
若い研究者に、研究とは何か、研究の本当の面白さとは何か、きちんと教えることが、指導する者の役目です。それを再確認する必要があります。
現在、大学と大学院との一貫教育が議論されていますが、これには反対です。囲い込みを強めて流動性を損ない、多様性を失う結果になります。
小保方晴子さんのように、新しい分野への挑戦は奨励されるべきです。もっと上手に育てることもできたのでは、と残念です。
(ごうみちこ)
39年生まれ。専門は生物物理学。名古屋大、長浜バイオ大の教授、お茶の水女子大学長などを経て名古屋大名誉教授、情報・システム研究機構非常勤理事。
■若手追い詰める競争の緩和を 榎木英介さん(近畿大学医学部病理学教室講師)
生命科学の分野で最近、研究不正が特に目立っています。重点分野としてポストや研究費が増えているため、多くの研究者が参入し激しい競争を繰り広げていることと無関係ではないと思います。
競争に勝つには、いい論文を数多く発表し、権威ある雑誌に掲載されなければなりません。そのためには捏造(ねつぞう)したデータの使用も、いとわなくなってしまう。また、実験結果の撮影にデジタルカメラを使うと、デジタル技術で画像を鮮明にしたり、コントラストを強調したりすることが簡単にできる。研究不正が生み出される素地が広がっているのです。
<ピペドと呼ばれ>
このような事情から、世界的に生命科学の分野で研究不正が起きやすくなっているのですが、日本では、教授などのボスに権限が集中する、上下関係の強い研究風土の弊害が強く出ています。
特に、「ポスドク」といわれる博士号取得後も不安定な有期雇用で働く人たちや大学院生は、強いプレッシャーを受けています。微量の試薬を測るマイクロピペットという道具を握って朝から晩まで実験を繰り返す姿は、奴隷になぞらえて「ピペド(ピペット奴隷)」と呼ばれるほどです。
大学院生は1991年から2000年にかけて倍増しました。でも教員は増えていないので、博士課程の学生はまともな教育を受けられず、単なる労働力として酷使されています。「大学院生はタダで使える」と放言する教授さえいる。すべての若手研究者がピペドというわけではありませんが、その置かれた境遇はひどい。監視カメラで行動を監視する研究室も存在する。女性研究者が教授から「結婚や出産をするなら、研究室から出ていけ」と言われたケースもあった。生命科学系のポスドクの15%が週80~100時間働いているという日本学術会議の調査結果もあります。
追い詰められた境遇から抜け出すには、いい論文を書かなければなりません。そんなとき、「ちょっとぐらい画像をいじっても誰も気が付かないよ」と悪魔がささやくのです。
研究不正に手を染めるぐらいなら、ピペドをやめればいいと思うかもしれません。でも、やめようとしても、教授が就職のための推薦状を書いてくれないとか、次の行き先がないため、やめるにやめられないということがあります。
実際、私の知人でピペドをやめてみたものの、就職先がなく、40歳近い年齢で今もアルバイト生活をしている元ポスドクがいます。
<研究者を減らせ>
大学院における学生への指導の欠如の問題もあります。教員も激しい研究競争に勝つため、学生の指導をしている暇がないのです。どうしているかというと、一つは大学院生を放置してしまう「放牧型」。もう一つは厳しく管理して、どんな研究を行うべきか、そのためにはどんな実験が必要か、細かく指示してやらせる「ブロイラー型」です。そして両方の悪いところを取ってできるのが「放牧ブロイラー型」。その実態は教員がテーマを決めてしまいます。しかし、指導はなく、学生はほったらかされる一方で、早く論文を書けとせかされます。
これでは、形だけ取り繕って研究結果が出ているように装うようになっても不思議ではありません。実験がうまくいかなければ、うまくいったときの画像を使う。データの切り貼りや、文章の引き写しも平気になります。
現在の生命科学研究における競争は、明らかに不健全なレベルに達しています。これを健全なレベルまで緩和しなければならない。
そのためには、増えすぎた研究者の数を減らす必要があります。生命科学系の大学院の定数やポスドクの数を減らすのです。
一方で、若手の研究者に安定的なポストを提供することも欠かせません。ノーベル賞級の研究は30代に行われたものが圧倒的に多いのですが、日本では30代のときに自分の裁量で研究ができる安定したポストが少ない。40代、50代になって安定したポストに就いたときには、才能が枯渇してしまっている状況です。日本の将来のためにも、若手研究者に安定した仕事を提供することが重要です。
(えのきえいすけ)
71年生まれ。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程中退後、神戸大学医学部に編入学。著書に「博士漂流時代」「嘘(うそ)と絶望の生命科学」など。
<STAP細胞問題>
理化学研究所の小保方晴子氏らは1月末、記者会見を開き、弱い酸などの刺激で「STAP細胞」という全く新しい万能細胞をつくったと発表。若い女性研究者による画期的な成果と注目されたが、論文の画像に不自然な点があると指摘され、理研は不正と認定。論文は撤回された。小保方氏はSTAP細胞の存在を主張して再現実験を11月末まで行っていたが、理研関係者によると存在を確認できなかったという。教育や研究のあり方、研究不正の防止などの課題を残した。