2013年7月8日月曜日

若手人材が活かされない日本

安西祐一郎さんのブログから「『ポスドク問題』について考える」をご紹介します。


ポスドク(post-doctoral research fellow)というのは、大学院で博士号を取得したのち、大学や研究所、企業などに常勤の職を得る前に研究の腕を磨くためのポジションです。ポスドクの職にあるのは、主に20代の後半から30歳半ばぐらいまでの、これから、という人たちです。

日本人のポスドクの多くは、国内にいるか海外かを問わず、知的にきわめて優秀であるだけでなく、人柄も良く、感受性もコミュニケーション能力も優れていて、どんな仕事に就いてもおそらく一流の仕事ができる人たちです。彼らと話していると、若い研究者の夢とエネルギーが感じられて、こちらまでワクワクしてきます。
・・・少なくともポスドクになってまもなくの人たちの場合は。。。

ところが、契約期限が近づいてきたポスドクと話をしていると、夢や理想というよりも、現実を前にした彼らの不安がひしひしと感じられることが多々あります。ポスドクは、任期が数年程度に限られている、有期契約(「非正規雇用」)職のため、研究を続けたければポスドクの間に無期契約(「正規雇用」)の研究職を見つけなければなりません。しかし、そういうポストは限られているので、契約期限が迫るにつれて不安が増してくるケースが多いのです。

企業や行政、財団などへの就職希望者ももちろん何人もいますが、多くは大学の「正規雇用」教員ポスト(教授、准教授、専任講師など; 助教の場合、最近は多くが任期付きポストのため、助教になっても将来が安定しているわけではありません)につくことを希望しています。ところが、国内の大学における正規雇用教員のポストの数は限られていて、定年で退職していく教員の数を考慮しても、ポスドクの一部しか大学の正規雇用職に就職できないのです。

しかも、とくに国立大学では、運営費交付金(国から個々の国立大学法人に毎年来る経常予算)削減の影響で正規雇用教員ポストが減り、その一方で、多額の予算を注入した短期間の大規模研究プロジェクトが急速に増え、プロジェクトの成果をあげるための短期研究要員として、ポスドクの人数が増しています。

しかも、最近の労働契約法改正によって、有期契約、つまり非正規雇用の期間が連続で5年を超えると、被雇用者が使用者に申し込めば無期契約、つまり正規の被雇用者に変われることになりました(改正第18条)。その結果、正規雇用を増やしたくない使用者側が5年までで契約を打ち止めにする、いわゆる「雇い止め」の問題が浮上しており、ポスドクが5年経って自動的に正規雇用になってしまわないように、期限が来ても延長などを考えずとにかく契約を打ち止めにしてしまう、という風潮が広がっています。

こうしたポスドクが、国内だけでも約17,000人、海外にもかなりいます。彼らの多くが、上にも書いたように、もともとはたいへん優秀で人柄も良い人たちで、そのうえ学術研究の最前線で基幹的な部分を担っている人がたくさんいます。研究論文の第一著者(つまりその研究に最も貢献した人;ただし数学、理論物理学など著者がアルファベット順などの場合もあります)にポスドクがなっていることも多いのです。

このように、日本の学術研究の将来を左右するはずのポスドクの人たちの行き場がない、というより社会的にキャリアパスが整備されていない、という問題を、「ポスドク問題」と呼んでいます。

ポスドク問題は、日本の将来を担って然るべき若手人材が活かされない、またその影響もあってポスドクになる前の博士課程にさえ入学する人が減ってきている、その結果日本の国力である基幹的な学術研究のための人材育成の基盤が大きく揺らいでいる、という負の連鎖の原点にある、日本の未来に関わる喫緊の課題です。

ところが、研究者、大学人、高等教育関係者など、ごく一部の人々を除いては、国民全体としてはほとんど関心がない。それどころか、「ポスドク問題」という問題があることすら知らない、というのが現状ではないでしょうか。

「えー、なにそれー!? 「ポスドク問題」が大変だっていったって、好きで研究してるんでしょ、それで就職先がないなんて、ずいぶん勝手な人たちじゃない?」とか、「高校を卒業して就職するか、大学の学部を卒業して就職するか、それがふつうなのに、中学を出て働いている人だっているっていうのに、30歳になっても不安定な研究職にしがみついているなんて、ずいぶん変わった人たちじゃありません?」とか、そんなことを言う人もいないではありません。

冗談ではない。日本という国が何によって支えられているか、もちろんいろいろなファクターがありますが、その中の大切なものとして、世界をリードする学術研究の発展があります。とくに学術研究は、人文学、社会科学から自然科学、医学、工学、その他あらゆる分野にわたっており、日本という極東の島国が一定の生活水準を保ちながら主要国と肩を並べて歩むには、その発展が必須の活動です。その活動を第一線で支えているポスドクの人たち、また博士課程の大学院生たちの人材育成が困難になってきたら、どうなるのか。多くの人にぜひ考えてみていただきたい。

先般6月にアメリカのワシントンDCを訪れました(ブログ6月23日付「ワシントンのさわやかな空気の中で」)が、その折に、ワシントン近辺で研究に励んでいる日本人のポスドクの人たちと懇談する機会がありました。

アメリカに長くいる人も、まだ来たばかりの人もいましたが、それぞれが夢を持ち、自分の研究に没頭しています。彼らに出会って、とても清々しい気持ちになりましたし、彼らの年代のころにポスドクだった自分を思い出して、「一刻を惜しんで研究に専念してほしい、それができる時は今しかありません」と心から伝えた記憶があります。

ただ、そこで会ったポスドクの何人もが、将来についての不安を口にしていたことも、忘れることはできません。つまり、上にあげた「ポスドク問題」に直面する日が彼らにもやって来るだろう、ということです。あるいはすでに直面している人もいたかもしれません。

正規雇用の就職先はもちろん日本だけでなく世界に広がっていますが、彼らと話をしているかぎりでは、やはり最終的には日本で職を得たいと思っている人が多いように感じられました。ただ、かりに日本の大学の正規雇用職についたとして、本当に自分のやりたい研究ができるのか、日本の大学の牢固とした階層性を気にしている人もいたように思います。

せっかくアメリカでポスドクの期間を過ごし、研究に邁進して良い成果をあげ、その後日本の大学に職を得たとしても、教授・准教授・助教の閉鎖的な階層社会のなかで、独立した研究者として扱ってくれるのか、教授の下でお仕着せの研究の下働きをやらされるだけなのではないか、ということです。(関連することがブログ5月24日付「大学の職位に「助教授」はない。「准教授」と「助教」がある。なぜ?」に書いてあります。)

何をわがままなことを言っているのか、日本の国内だって就職氷河期などの影響で仕事にあぶれている人が多いのに、自分の研究を好きなようにやりたいがその場がない、と不満を言うのは勝手過ぎるのではないか、と感じる方もおられるかもしれません。

もちろん、ポスドクといえどもプロですから、プロの道を志すからには、ポストの獲得が競争になることは当然です。抜きん出て優れた研究ができるとみなされる人だけが良い研究職に就くことができるというのは、プロの世界では当たり前のことです。

ただ、「優れた研究」をしている研究者を、大学や研究機関は、採用や昇格のときに公正に見分けているのでしょうか? 教授、准教授、助教、ポスドクなどを、職位や正規・非正規の雇用関係とは無関係に、研究者として公正に比較評価しているのでしょうか? 

コネとかうわべの人間関係とか出身大学とかでなく、世界に冠たるscience merit(研究の価値)を産み出す研究力を公正に評価して採用や昇格を判断しているのか、「ポスドク問題」の解決のためにも、とくに日本の大学についてあらためて考えてみる必要があるように思います。なぜなら、研究者の公正な評価は学術研究の健全な発展の基礎であると同時に、ポスドクの人たちにとっての生命線だからです。

とりわけ、学術研究の本質を揺るがせにしないだけでなく、知力に優れ人柄も良い(はずの)ポスドクの人たちがやがて挫折していってしまう、その根にある「ポスドク問題」を解決するためにも、大学における個別の教員の評価を公正にしていくことは、とくにシニア世代の関係者の義務だと考えます。

というのは、ポスドクの人数を多くしてきたのは、結局のところ、目標を限定した大規模研究プロジェクトをたくさん立て、プロジェクトの成果をあげるために類似のテーマを研究させるポスドクポジションを大幅に増やしてきた政策担当者や、政策に関与してきた大学人・企業人だったからです。

また、実は分野によってポスドクの人数には偏りがかなりありますが(たとえば理工系とひとくちに言いますが、理学系と工学系では事情がかなり違い、工学系ではむしろ博士課程に入学しないことが問題になっています)、そういう偏りを産み出してきてしまったのも、結局のところシニアの人たちだったからです。

私自身もシニアの一人だとすれば、私にできることの一つは、science meritを重視した公正な研究者評価の実現に貢献することです。研究の世界も他の業界と同じで、現実にはいろいろなことが絡み合っていて解決を阻むいろいろな課題があり、実現にはある程度の時間はかかるでしょう。しかし、若い世代のこれから、そして日本のこれからを考えると、難しいからといってそのままにしておくことはできません。

なお、ここでは大学教員の研究評価やポストのことに限定して書いてきましたが、ポスドクや博士課程の院生の人生航路は大学の教員に限られるわけではありません。企業、行政、民間研究機関、国際機関、地域社会、その他、大学院時代からの研究経験や知識を活かしてできる仕事は、知識と知恵が必要とされる現代の社会、とくにグローバル化した世界では、飛躍的に増えています。そのことを、ポスドクや院生の人たちはもう少し深く理解して、自分のキャリアパスをできるだけ広く考えてほしいと思います。

いずれにせよ、科学の成果の多くは若い人たちの自由な発想から生まれます。優れた若手研究者に自由な発想のできるポストをできるだけ用意することが、学術研究だけでなく、21世紀日本の国力の源になっていきます。その方向づけをすることは、私を含め、シニア世代の研究者の義務だと思っています。