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東京のある学校の卒業式の1週間前に、一人の不良学生が校長に呼び出された。
常日頃悪行を重ねていた学生は、叱られるのを覚悟して、校長室のドアを叩いた。
「入れ」という威厳のある声と共に、
「鍵をかけなさい」といって鍵を渡しながら校長は、自らカーテンを閉めた。
学生は逃げられないようにして殴られると観念した。
「腰をかけ給え」といいながら、校長は、右に左にと歩きつつ、
「お前のいたずらは有名であり、他の先生の手もやき…云々」と切り出した。
学生は「きたなあ…」と奥歯をかみしめて身構えた。
「然しよくよく考えてみるに、君はお母さんを亡くし、その後に来たお母さんにいじめられ、本当に可哀想だと世間のうわさだが、大変だったなあ…。
思えば、そのうっ憤ばらしに、悪いと知りながら、やった事であると私は思う。
そうだな」
学生はおもわず拳を握りしめ、うなずきつつ、胸の熱くなるのをおぼえた。
「然し、ここでよく考えてみなさい、今さらお母さんの死を悔いても仕方がない。
人間は、必ず死ぬ。
いずれの日か死ぬという人生を、今日一日を価値高く生きよと、母の死は教えているのだ。
君のお母さんは、若くしてこの世を去ったが、立派なお母さんだった。
君のお父さんが、“まま母”と、君との間に立って、どれほど、気を遣い、心を痛めていられるかを考えたことがあるかい。
人間だけが、神の立場や相手の立場に立って考えることが出来るのだ。
自分を捨てて、心から親孝行をすれば、どんなひどい“まま母”でも、必ず感動するときが来る。
今、君が、すぐやるべきことは親孝行だ。
これは人間だけにある行為なのだよ。
こんな話をするのも、亡くなった君のお母さんが、草葉の陰から手を合わせて、私を通じて話をしているような気がしてならない。
まして、君は数多い卒業生の中で、将来大人物になる素質がある。
長年教育をやって来た私の立場から、それはよく判る。
だが一歩誤れば犯罪者にもなる。
今が大切な分岐点だ。
だから、これからは、本来の君に返り、心を明るくして朗らかにし、清く正しくもつことを心がけ、人の為、母の為になるように生きて欲しい。
とはいっても、人間は照れくさいもので、すぐには出来ない。
昔から人間は転機が大切だ。
だから、卒業式を君の人生の転機としたらどうだ」
諄々と道を説く校長の前に、その学生はハラハラと涙を流しながら、今までの悪行を詫び、そしてこれほどまでに、自分のことを見ていてくれた校長先生に対し、心より感動し、先生の為には命まで惜しくないと、み教えに従うことを誓った。
それをみながら校長は
「そうか判ってくれたか、本当にありがとう。
やはり私の目に狂いはなかった。
さあ男は泣くんじゃない」
と、学生にハンカチを渡す校長がまた、涙、涙であった。
そして最後に
「全校生の中に、君だけが大人物になる素質があり、君の将来こそ、私の唯一の楽しみだ。
然し校長としての立場上、君だけ可愛がる訳にはいかないからこそ、鍵をかけ、カーテンを閉めて、他人に判らないようにして話をしたのだ。
いいかい、男と男の約束だ。
このことは絶対人に言うなよ」
と言って、かたい握手をして別れた。
学生は卒業後、世間でも驚くほどの親孝行者となり、勤勉努力し、校長の予言通り大会社の社長となった。
星霜幾十年、すでに白髪になった老校長を囲む会が、盛大に催された。
その席上、かつては不良学生だった社長が立って、卒業1週間前の感動をそのままに、
「私はここで、男の約束を破る」と前置きし、あの時の状況を語った。
「私の現在あるのは、あの時の校長先生の一言です。
もし、あの感動がなかったら、私はどうなっていた事でしょう」
と言って、涙ながらに挨拶しながら、先生のところへ駆け寄っていった。
これを聞いていた人々は、一瞬水を打ったような静けさになった。
そして、アッと驚きの顔を見合わせながら「俺も言われた」「僕もだ」と驚きが感動の渦となって広がっていった。
思えば、ある人は喫茶店で、ある者は自宅に呼び出されながら、所を変え、時を変えて、その少年の心の中にある“命”の力を引き出したのだ。
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人は、心の底から誰かに認められ、期待されたとき、途方もない力を発揮することがある。
反対に、「ダメなヤツ」とか、「バカ」、「なんの役にもたたない」と言われて育った子どもは、存在を否定され、「生きていても仕方がない」と思うかもしれない。
エジソン、ファーブル、手塚治虫、野口英世等々の天才たちは、幼い頃、普通の子どもとは、どこか変わっていたという。
しかし、その母親たちは一様に、「あなたは今のままでいいのよ」と、まるごと全部を受けれ、肯定し認めていた。
人は、認められ期待されると、はかり知れない力を発揮する。