P・Fドラッカー氏の心に響く言葉より…
成長に最大の責任を持つ者は、本人であって組織ではない。
自らと組織を成長させるためには何に集中すべきかを、自ら問わなければならない。
《非営利組織の経営》
これは、「組織」という言葉を「学校」や「家庭」に置き換えてもそのまま通用する。
成長に責任を持つ者は、本人であって「学校(家庭)」ではない。
組織や学校や家庭は、本人が成長したくなったり、勉強しやすい環境を作る必要はあるが、あくまでも勉強し、成長するのは本人だ。
しかし、その環境にしても、万全なものを与えればよいというものでもない。
古今より、ひどい環境の中で成功した者は多くいる。
どんなに頼まれても、ダイエットを代わりにすることはできない。
つまり、ダイエットも勉強も、その結果は他の人にではなく、必ず本人に戻ってくる。
それを、ドラッカーはこう語る。
『私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。
先生は笑いながらこう言った。
「いま答えられるとは思わない。
でも、50歳になって答えられないと問題だよ。
人生を無駄に過ごしたことになるからね。」
今日でも私は「何によって人に憶えられたいか」を自らに問い続ける。
これは自らの成長を促す問いである。
なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けてくれるからである。』《非営利組織の経営》
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘にはこう書いてある。
「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」
墓碑銘や新聞の死亡記事には、「何によって人に憶えられたいか」が書いてある。
また、葬式や通夜での本人紹介でもそれはアナウンスされる。
人生100年時代、「何によって人に憶えられたいか」は、どれほど成長したか、という人生の通信簿だ。
あの世に逝く直前までいかに、倦(う)むことなく前のめりになって自らの魂を磨いたか。
「成長に最大の責任を持つ者は、本人」という言葉を心に深く刻みたい。