2020年9月21日月曜日

記事紹介|成長に最大の責任を持つ者は、本人

P・Fドラッカー氏の心に響く言葉より…

成長に最大の責任を持つ者は、本人であって組織ではない。

自らと組織を成長させるためには何に集中すべきかを、自ら問わなければならない。

《非営利組織の経営》


これは、「組織」という言葉を「学校」や「家庭」に置き換えてもそのまま通用する。

成長に責任を持つ者は、本人であって「学校(家庭)」ではない。

組織や学校や家庭は、本人が成長したくなったり、勉強しやすい環境を作る必要はあるが、あくまでも勉強し、成長するのは本人だ。

しかし、その環境にしても、万全なものを与えればよいというものでもない。

古今より、ひどい環境の中で成功した者は多くいる。

どんなに頼まれても、ダイエットを代わりにすることはできない。

つまり、ダイエットも勉強も、その結果は他の人にではなく、必ず本人に戻ってくる。

それを、ドラッカーはこう語る。

『私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。

誰も答えられなかった。

先生は笑いながらこう言った。

「いま答えられるとは思わない。

でも、50歳になって答えられないと問題だよ。

人生を無駄に過ごしたことになるからね。」

今日でも私は「何によって人に憶えられたいか」を自らに問い続ける。

これは自らの成長を促す問いである。

なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けてくれるからである。』《非営利組織の経営》

鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘にはこう書いてある。

「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」

墓碑銘や新聞の死亡記事には、「何によって人に憶えられたいか」が書いてある。

また、葬式や通夜での本人紹介でもそれはアナウンスされる。

人生100年時代、「何によって人に憶えられたいか」は、どれほど成長したか、という人生の通信簿だ。

あの世に逝く直前までいかに、倦(う)むことなく前のめりになって自らの魂を磨いたか。

「成長に最大の責任を持つ者は、本人」という言葉を心に深く刻みたい。

出典:成長に最大の責任を持つ者は、本人 |人の心に灯をともす