日本は学歴偏重社会であるといわれている。
最終学歴はどこか、どの大学を出たか、そんなことがいつもついてまわる。
会社に就職するための履歴書くらいならまだ仕方がないとしても、結婚式での新郎新婦の紹介で「何々大学を優秀な成績で卒業され」というのが決まり文句のようだ。
不思議なのは、どこの大学を出たかを知りたがる人は多いが、何を学んだかを知りたがる人はあまりいないということだ。
何気ない会話の途中で「失礼ですが、どちらの大学ですか」などと無作法なことを平気で聞いている人もいるが、「どこどこです」と答えると、「ああそうですか」で終わってしまう。
そこで何を学んだかより、どこの大学を出たかに興味を持っているようで、「レッテル」と同じと考えられているのだろう。
最終学歴がどうのというのは、たかがそんな程度のもので、新しいうちはピカピカと光っているかもしれないが、そのうちに古くなり、ポロリと落ちてしまう。
人生の後半生ではそんなレッテルは通用しない。
もともと、意味がないのだから。
大学を出たとしても、学校に通っていた期間は小学校から通算すればたかだか16年。
人生、後半にでもなればそれよりも長い期間、社会で学んできたことになる。
あえていえば、大学で学んだか否かはもう関係なくなっている。
それよりも社会でどう生きてきたかに責任を持たなくてはならなくなっているはずだ。
こちらの方にもっと自信をもってみてはいかがか。
もし、ある年齢以上の人にいささかの敬意がはらわれるのだとしたら、
「失礼ですが、社会に出てどれくらいの期間学ばれました」
というのが正解だろう。
自分のレッテルにしがみついたり、人のレッテルをいつまでも気にしたりするのではなく、自然体で自分の器を堂々と生きていきたいものだ。
(出典)一生を楽しく学ぶ|人の心に灯をともす