こうした点に関して、合格点を取れる大学は、おそらく全体の20%以下ではないか?コロナ禍への対応は、全世界の大学にとって事業継続=キャンパスに来られない学生への教育活動の維持という難題を突き付けたが、我が国の大学のうち、歴史的転換点になるという意識をもって、オンライン授業に取り組んでいる大学はどれほどあるだろうか?こうした課題への対処に後れを取れば、世界の大学や潜在的顧客である学生からは相手にされなくなる。特に、学生一人一人を取り残さずに授業に参加させるために大学として何をしてきたのかについては、大学の本質にかかわる重要なポイントである。新たな事態に向き合って、あるべき教育を考えるのではなく、一時凌ぎさえできればよいと形を整えるだけの姿勢の大学は、この際、退場させる方が世の中のためだろう。公衆送信されたといっても、資料だけ提示して、後は自学自習させるようなやり方では、大学の授業とはとても言えない。それでは、学生や保護者がかわいそうである。そんな大学には進学してはいけない。
コロナ禍による制約条件によって、オンライン授業の実験が大規模に行われる機会が生まれた以上、その結果を将来に生かすべきである。その意味で、次の諸点を提案しておきたい。
第1に、各大学で、オンライン授業のコンテンツ全てを可能な限り保存することである。授業は、大学の知的財産であるので、当然の措置なのだが、きちんとしたビジョンがない大学では、ここまで気が回らない。このデジタルアーカイブの中に、改善のヒントが隠されている。保存せずに流してしまえば、分析・評価もできない。
第2に、大学ごとに、教育の質、コンプライアンスの観点から、オンライン授業について、自己点検・評価をさせるべきである。また、国からの資金交付を担う機関による各大学の実態調査を行う必要がある。教育の質が大学教育としての水準を満たしていない、あるいは、著作権侵害等へのリスク対策が不十分である場合には、予算配分の減額をすべきだろう。これは、教学のトップである学長への評価といってもよかろう。
第3に、学生からのオンライン授業への評価についても、抽出調査を行い把握すべきである。改善のための意見も聞くべきであろう。一時凌ぎ程度の認識しかない大学に在籍している学生は、おそらくコロナ禍で最も割を食った人たちだろう。もっとも、もともとの対面型授業が素晴らしかったとも思えないが・・・。
第4に、こうした調査・分析結果およびデータについては、広く、社会に公表することである。大学の中には、教育の質、コンプライアンスに関する指摘を恐れて、学内にも情報を出そうとしないものがある。情報共有が不十分な大学には、問題が山積しているとみて間違いない。監事がこの面で役割を果たしてくれれば良いが、特にオンライン教育について知見のある監事を有している大学は少なかろう。
第5に、オンライン授業で利用された著作物等に関して、きちんとデータを取ることである。SARTRASによって、権利者の許諾を得ることなく、著作物を公衆送信することが一定条件のもとに可能となった(今年度は例外的に無償)が、近未来には補償金の積算・支払い・分配という業務が行われることになる。その前提として、利用の実態把握は欠かせない。そのためにも、オンライン授業に関して包括的にデジタルアーカイブ化しておくことが必要なのである。
最後に指摘しておきたいのは、オンライン授業を制する大学が、近未来の覇者となるということである。キャンパスの教室という密室では、どんなにダメな授業が行われても、単位を求めて囚われている学生たちには選択肢がなかった。どんなに他人の権利を侵害する資料の提示が行われても、直ちに学外に出ることはなかった。そういう時代は過去のものとなる。進行中のオンライン授業では、おそらくコンプライアンス違反が平然と行われているだろう。大学という組織体は、そうした無法状態を放置して知らん顔をし続けられるはずがない。オンライン授業には、教育効果の向上のほか、学生負担の低廉化、現在地にとらわれない学習機会の提供、オープンサイエンスの推進など、社会システムとしての大学改革の観点から、種々の可能性がある。コロナ禍が、それをもたらしてくれたと評価できる日が来ることを信じたい。
(出典)オンライン授業の実態はどうなっているのか?: NUPSパンダのブログ
(出典)オンライン授業の実態はどうなっているのか?: NUPSパンダのブログ