2020年2月12日水曜日

記事紹介|政治に屈した思考停止や政府方針の忖度の中でしか政策を考えられず、ねじ曲げられた文教行政が定着してしまうことを恐れる

文部科学省の「大学入試のあり方に関する検討会議」が7日、第2回会合を開催した。まずは経緯の検証ということで、英語と記述式の別に報告書が示された。12人もの外部弁護士が協力したという詳細なものだ。

ただ、これには大きな限界がある。「議事録や報告書等から整理した」(各報告書)ということだ。もっとも会議の間や背景に何があったのか、ますます疑念を浮かび上がらせることができると評価することもできよう。 

実際に議論でも、まず益戸正樹・UiPath特別顧問が民間企業人の立場から「どうも結論が先にありきで、20年度というターゲットイヤーに縛られすぎていたのではないか」と口火を切った。それに続いて末冨芳・日大教授が、必ずしも英語民間活用に積極的ではなかった高大システム改革会議最終報告の2016年3月から8月までに積極的な流れが形作られたことを指摘。検討組織体が位置付けられない中の5カ月間にどのような意思決定がなされたことをただした。

これに対して文科省事務局は、「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」(14年12~17年9月)と「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)検討・準備グループ」(16年5月~、現「大学入学共通テスト」検討・準備グループ)で流れができたと説明した。

しかし、事務方の説明を素直に聞くことはできない。その間、まさに省内でどういう「意思決定」と指示があったかこそが問われなければならないだろう。審議会は行政の「隠れみの」とも言われる通り、資料提出や進行・質疑応答、裏表の調整で役人がいかようにもコントロールできる。今回の一件も議事録や報告書等の「表」を見るだけでなく、まさに「裏」で何があったかを解明しなくてはならない。

となれば、話は簡単だ。第2次安倍政権の発足から文部科学相(12年12月~15年10月) として強力に英語教育や入試改革を推し進めた下村博文氏や、「5カ月」の間に文科相(15年10月~16年8月)を務めた馳浩氏に問いただせばよい。14年7月から文部科学審議官、16年6月から文部科学次官を務めていた前川喜平氏を呼ぶのも一興である。

第2次政権以降、政務三役主導の文科行政が進行したことは明らかだ。ならばその「責任」は、政治が負わなければならない。しかし萩生田光一・現文部科学相は、この日の会合でも中座前に「課題があるまま進んでしまったのは、もしかすると大きな課題は文科省そのものの体質にもあったかなと自分自身の反省を含めて思う」と述べた。まるで「職員」に判断ミスがあったかのような口ぶりである。

重ねていうが、二つの柱の見送りでますます現場の混迷を深めたのは萩生田文科相の「責任」である。どうも安倍政権は国民の理解を得るまで何度も何度も同じ説明を繰り返し、しれっと次の改善に移すのが「責任」だと思っているふしがある。これでは役人の士気が下がって当然だろう。

というより政治に屈した思考停止や政府方針の忖度(そんたく)の中でしか政策を考えられず、ねじ曲げられた文教行政が定着してしまうことを恐れる。純粋に教育の在り方を考えようとする古き良き文科省の体質を回復させることこそが、教育界のためにも国民・住民のためにも必要だ。

国会で追及が続いている「桜」問題も、決してさまつな話ではなく現政権と行政運営の在り方を問うものだろう。検討会議でも、そうした本質を突き詰めるよう委員の一層の奮起を求めたい。