コロナ禍の第2波は、経済社会に更なるインパクトを及ぼしており、首都圏の大規模大学は後期もオンライン授業を継続せざるを得ないと判断するところが多くなっている。直近の新規感染者数が急増したために、対面授業を可能な限り実施しようかと考えていた大学も、オンラインを原則とする方向に再度転換している。文科省は、こうした判断に介入することはないと思うが、かりに、後期も現状維持が続くとすれば、次に述べるような影響が負の遺産として長く社会に残っていくので、見過ごしにできないと考える。
第1に、学生の学習面への影響である。実施されているオンライン授業の学習効果に関して、学生自身の学習能力が高い大学は大きな問題にならないだろうが、個々の大学からデータに基づく質保証の実態が明らかにされていないため、極めて疑わしいと感じている。これに関する説明責任は個々の大学が負うべきである。オンライン授業自体の可能性については、否定的に見るべきではないが、現在行われている授業については、準備期間も短く、教員のスキルはピンキリで、単に間に合わせた程度のものに過ぎない。著作権をはじめとするコンプライアンスについても、きちんとチェックされていない。授業料に対する学習保証という意味では、機関としての大学が責任を持ちうるのか、極めて疑問である。この点について、私学助成を受けている大学は、実施状況、分析結果・データを積極的に公表してもらいたい。その際、授業料のコストパフォーマンスがどの程度下がったのかも、分析してほしい。アメリカの主要大学では、学生からの声に押されて、10%程度の学納金返還が行われつつある。我が国でも、オンライン授業への対応を支援するなどの理由で、一定額を学生(保護者)に支給した大学があるが、対価としての授業料をどの程度下げるべきなのかどうか、学問の府として、きちんと論理的に説明すべきであろう。
第2に、学生のメンタル面への影響である。特に、1年次の学生は、通常ならば、既に仲間もできて学生生活を楽しむフェーズに入っているはずだが、大学に入構する機会もほとんどなく、サークル活動も実質的に停止した状態で、図書館その他の大学施設さえも利用できないので、学生は一種の社会的孤立状態を余儀なくされている。例年なら、地方から上京して東京にも慣れてきたころだが、故郷に戻っている学生も多い。後期もその状態が続くなら、大学生になったという実感を持てないまま、1年間が過ぎてしまう。実際、子供がうつ状態になっているという訴えもあり、コロナ感染予防措置がメンタルヘルスに障害を生じさせているのである。こうした状況には、健康管理の担当部署で適切に対応すべきだが、学生が大学キャンパスに来ていないので十分把握できていないのではないか?
第3に、学生及び保護者の経済面である。学納金の納付に支障が出てきた学生は、大学を通じて文科省の支援への申請を行っているが、その状況に鑑みれば、例年の倍以上の学生に支援が必要となっているものと思われる。保護者の収入の減少のみならず、学生自身のアルバイト収入の道も狭くなっており、公的支援が受けられなければ、年度内に退学・除籍になる者が相当増えることは間違いない。設置者である学校法人として給付型の奨学金を独自に設けて、一時的な苦境を凌ぐ手助けをするケースもある。ただ、次年度以降の就職活動に関しては、悲観的な見方が多く、学業を終えても想定している収入が得られる職に就けるかは不透明である。大学院への進学、特に博士課程への進学は、経済的な観点から、ますますブレーキがかかりそうである。就職難に直面して、進学の形で逃げる人はいるだろうが、行く意味のない大学院は企業等からも評価されるはずがない。私学では、大学院の定員充足はますます厳しくなるだろう。コロナ禍によって、経済格差が、教育格差を生み、世代を超えて、格差が固定化してしまうことは、何としても避けなければならない。
第4に、次年度以降の大学(学部)の志願者への影響である。オープンキャンパスもバーチャルになり、高校生たちが大学を選択する重要な機会が失われている。保護者の経済的状況の変化もあり、潜在的な志願者は減少すること必至であろう。首都圏の大規模大学としては、おそらく、一般入試の実施前に例年より多い7割程度の学生を囲い込む作戦に出るのではないか?法定された国の方針を踏まえて、大学が入学者の定員超過を一定の枠に調整するために、3月下旬の段階でも、追加合格が出されて進学先を変更する者が、中堅大学では数%以上いる。当てにしていた志願者に逃げられて、慌てて追加合格を出して帳尻合わせに走るのだが、人気のない学部では想定枠に達しないケースもある。大学にとっては、失敗=収入減である。経済的に支障がない学生にとっては、大学がますます入りやすくなっていく。ただし、大学のオンライン授業の質に関しては、よくよくチェックした方がよい。コロナ禍は次年度も収束していないかもしれない。また、大学教員の教育力は、オンライン授業に端的に表れているからである。
第5に、大学という業界への長期的影響である。我が国は、大学進学が主として家計負担により支えられている構造なので、家計所得が増えない状況が続けば、子供の数が減少していくこととも合わせて、大学進学者数は長期的に減少傾向となる。国際競争力のある大学がこれから増えない限り、業界全体は縮小せざるを得ない。また、外国の大学との競争も、オンライン教育という手段の発達により、一層激化する。トップレベルの優秀な学生が東大・京大を捨てて海外を目指すという動きが出ているが、そうした傾向が当たり前になるかもしれない。また、どこでも学習ができるようになれば、首都圏の大規模大学が保有している固定資産に、意味がなくなる時代が来るだろう。大学という教育サービス機関は、歴史的モデルチェンジに取り組まなければ、21世紀の半ばには消滅していくという危機感が、その経営者たちに、どれほどあるだろうか?
以上のように、漫然と間に合わせのオンライン授業と称するものを続けることで、大学は自らの墓穴を掘ることになると考えている。都内の高校も、種々の工夫をしながら、通常形態の授業を実施している。例えば利用座席数を半分にするなどの感染予防措置を講じつつ、全面的に対面授業を実施するだけの収容力は大学にないが、感染リスク(及び回復)を織り込んで、可能な限り対面授業を増やして、学生にキャンパスで活動をする機会を与えることが、大学の価値を高める道である。また、図書館の利用やサークル活動が自由に行えるようにできないのであれば、授業料の一部返金は必須であろう。真っ当な業界なら、対価とサービスは、釣り合わなければならない。今後、大学設置基準の規制緩和により、より低廉な授業料でより効果的な学習機会を提供する新型の大学が現れることが望ましい。コロナ禍によるリスクを正確に理解し、大学の日常を学生本意に整え直す経営が求められている。新規感染者数の数字に振り回されて、効果の薄いオンライン授業と称するものを提供するだけなら、教員ごと総退場してもらっても、我が国社会が失うものはない。我が国には大学が多すぎるわけではないが、その名に値しない大学は、もういらない。コロナ禍をきっかけに整理が進み、ほとんど死につつある大学という存在にイノベーションが起きるなら、災い転じて福となる。