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国立大学のガバナンスの構造は、大学自治を軸に形成されてきた。日本の大学自治の原型は、戦前、東京、京都両帝国大学で形成された強固な学部教授会自治である。その基本は、教授全員が参加する学部教授会の決定を教員人事はじめ大学運営の基盤とするところにある。全学的事項を審議する評議会は、各学部教授会の代表による調整機関であり、総長・評議会が学部教授会の意に反して学部の運営に干渉することはない。総長は全学の教授の選挙によって選ばれ、学部長は学部教授会が選任する。日本の大学自治が学部教授会自治と言われた所以である。注目すべきは、このような自治の在り方は法令に基くものではなく、教授側の要求を設置者である政府が容認する形で形成されてきたことである。
戦後の新制大学形成を主導した米占領軍は、この教授会自治を大学が自らの特権を守る仕組みとして強く批判し、国家代表、自治体代表、同窓会代表、教授会代表各3名と学長で構成する管理委員会を大学の意思決定機関として各国立大学に置く、「大学法試案」を文部省に発表させた。しかし、教授会自治と180度異なるこの案はず大学関係者・関係団体の一致した強い反対と学生の反対運動により、棚上げとなる。以降、国立大学の内部管理の法制化が何回が試みられたが、実を結ぶにはいたらなかった。
その一方、学校教育法で教授会が大学の重要審議機関として法定され、教育公務員特例法で教授会による教員人事の慣行が法制化されて、戦前に形成された教授会自治が、新制大学全体に定着していった。
この学部教授会中心の自治体制は、1960年代半ばに始まる激しい大学紛争により大きく揺さぶられる。学部教授会にはこのような事態に対応する能力のないことが露呈され、学長を中心とする執行部強化の必要性が、広く認識されるようになる。それとともに、大学に対する社会のそれまでの寛容な態度が一変し、学部の閉鎖的な縦割り体制が批判され、大学の社会的責任が問われるようになってきた。
紛争に触発された大学改革構想を実現するため新構想大学として創設された筑波大学は、①全学自治-学長・副学長を中心とする中枢的管理機能の強化、②教育組織と研究組織の分離-学部の解体と学群・学系の創設、③開かれた大学-学外者で構成する参与会の設置、を新構想の柱に掲げた。国は、筑波方式を他大学が採用できるように、副学長職の法定や学部以外の教学組織の容認などの法改正も行ったが、当時の騒然たる状況下で、筑波方式は学生の反対運動の標的となり、大学間ではタブー視されるにいたった。
しかし、大学紛争を契機に、学長を中心とする中枢的管理機能の強化、学部教授会の機能の限定、学外者組織の設置の3点が国立大学の学内管理改革の基調となり、副学長制の導入など学長中心の執行部体制も次第に整備されるようになった。
このような曲折を経て、長い間懸案となっていた国立大学学内管理の法制化が実現したのは、新制国立大学発足後50年を経た、1999(平成11)年のことである。この年、大学審議会の「21世紀大学像」答申に基づく国立学校設置法改正により、国立大学の学内管理体制が法制化された。学部等各部局代表からなる全学的審議機関である評議会が法定機関となり、教授会を置く組織が明示され、教授会の審議事項は教学に関する事項に限定される。教員人事についても、同時に行われた教育公務員特例法の改正により、学部長等教授会が置かれる組織の長が、大学の方針を踏まえて教授会に意見を述べることができる。学外者だけで構成される運営諮問会議が必置の機関として法定され、大学運営の重要事項に関し、学長の諮問に応じるだけでなく、学長に対し助言、勧告をする権限を持つ機関となる。これまでの論議の集大成といえる学内管理体制の整備である。
5 法人化による激変
2003年の国立大学法人法(平成15年法律112号)制定により、国立大学のガバナンスは激変する。国立大学は、国の行政組織から分離され、国の管理を直接管理から目標設定による間接管理に移行する。それまでの国の直接管理は、数学関係に対する大学自治尊重と事務局を通じての行政管理の二元的管理だった。それが数学関係を含む大学運営全般にわたる目標管理となる。ちなみに大学運営の全般にわたり国が目標管理を行うのは、他国に例を見ない。
国立大学法人の管理体制では、法人の最終意思決定とその執行の権限は、教学、人事、資金配分、組織等、法人・大学運営の全般にわたって、法人の長となる学長に集中する。学長を補佐する理事が置かれ、学長が重要事項について決定するときは、役員会と略称される学長と理事で構成される会議にかけることが義務付けられているが、役員会に決定権があるわけではない。理事は全員学長任命であり、役員会といっても、学校法人の理事会とは全く性格を異にする。法人化前に法制化された全学的審議機関の評議会は、教育研究評議会となって、審議事項は教育研究に係るものに限定される。学外者だけで構成される運営諮問会議に代わって、学外・学内半々の委員からなる学長が主宰する経営協議会が設けられ、審議事項は経営関係に限定される。
法人化の制度設計の当初は、前述の法制化された学内管理体制が、法人化後も継承されることになっていた。それが大きく変化したのは、「構造改革」の強い流れの中で策定された文科省の「国立大学構想改革の方針」が、「国立大学に民間発想の経営手法を導入する」ことを掲げた影響であろうか。
制度論として問題となるのは、国立大学法人法の定める内部管理システムは、法人のシステムであって、大学のシステムではないことである。国立大学法人化の制度設計は、当初から一貫して、国が国立大学の設置者であることを前提として、大学に法人格を付与するものであった。大学と法人は一体であり、大学の学内管理組織がそのまま法人の管理組織になるというものであった。そうであれば、学長が法人の長になるのは当然のことであり、ヨーロッパ大陸諸国の国立大学に共通する構造でもある。それが、法案策定の最終段階で国立大学法人が国立大学を設置するという構造に一変した。内閣法制局の強い意見によるものと聞く。大学の管理組織がそのまま法人の管理組織になる前提で設計したものが、法人だけの管理組織にされたわけである。法人が大学を設置するという方式は、学校法人が大学を設置する私立大学の場合に一見類似しているが、私立大学の場合には、大学のステーク・ホルダーを代表する理事会が法人の意思決定機関であり、学長は理事の一人として、大学の運営に当たり、理事会に対して責任を負う。英米系の大学に共通する構造であり、国立大学法人の構造とは異質のものである。
大学・法人一体であれば、学長・法人の長が責任を負うのは、当然設置者である国に対してであるのに、国立大学法人を設置者としたことにより、理論的には、学長は国立大学法人の長としての自分に対して責任を負うことになる。これも他に例を見ない特異な構造である。
この最終段階での急変が、国立大学のガバナンス構造に歪を生じさせたことは否定できない。法人の長としての学長を補佐する理事と、大学の長としての学長を補佐する副学長の役割分担や位置づけが、大学によりよりまちまちなことや、設置者である法人と、大学を分離させるため、本来大学の仕事である学生相談、受託研究、公開講座などをわざわざ法人の業務として法定したことなどが、その例である。国立大学法人に対する運営費交付金が義務的経費にされないのも、国立大学法人を設置者としたためと思われる。
ガバナンスの見地からの最大の問題は、法人と大学を分けたことにより大学自治を担う学内管理組織の整備が白紙に戻ったことである。.国立学校設置法でせっかく法制化された教授会の役割や位置づけが、法人の機関ではないということで、国立大学法人法の対象になっていない。大学の意思決定構造と国立大学法人の意思決定構造との関係をどう設計するかは、各国立大学法人の手に委ねられている。(おわり)