2012年2月22日水曜日

大学のセンセイは人気の商売?

大学の教員になる方法・理系の巻」(梨戸茂史)(文部科学教育通信 No.285 2012.2.13)から引用してご紹介します。 


このページを読んでおられる方の大半は、大学の教員と推察いたします。だから関係のない方も多いでしょう。いっとき話題になった鷲田小彌太著「大学教授になる方法」、この新版が出ている。

本書が面白いのは、大学教授になることのメリットやデメリット、なるための裏技などが公開されているところ。まず、メリットは「給与が保証され、休日が多い」「研究費つき」「長期留学や学会出張の名目で、遊学や名所見物が堂々とできる」「社会的に一定度の信用がある」「定年が遅い」など。デメリットは「足の引っ張り合いは日常茶飯事」「平均して、大学卒業後10年間の準備期間が必要」「少子化」などがあるそうだ(少子化はこれから大学が定員割れから縮小、廃校など危機が来るという話。でもまあ、すぐにはそうなるまい)。また、通常、大学の教員は博士号を持っていることが前提だが、修士号すらなくとも大学教員になる方法だとかサラリーマンから転身する方法、おまけは教授になるための学術論文を書く方法なども掲載。有益な本だと思う。

前作の「大学教授になる方法」から10年だった今回の著作には、前者を読んで大学教員になったという読者の手紙が掲載されているのが特色。

しかし、理系となると話は別。ほぼ絶対に博士号が必要。そのためには学部の時代から研究室に入って実験などを手伝う必要がある。「生き物」を扱ったり、一定時間の実験を必要とする研究ならば、下宿はあっても帰れない。寝袋で研究室泊まりは日常の風景。アルバイトもままならない。博士号が取れても、その先はポスドクの悲哀が待っている。先のあてのない肉体労働者だ。それでも教授(准教授)に忠誠を誓わなければ、未来はない。

ところで、「博士号とかけて足の裏に付いた米粒ととく」という有名な話があるのも理系の世界。そのこころは、「取れないと気持ちが悪いが、取っても食えない」。

理系ポストの採用基準は、「業績=論文」。論文とはもちろん国際的な雑誌に投稿した論文で、数も込要。ただ単に数ということだけでなく、インパクトファクターという雑誌のランクも関係するそうだから大変。もっとも採用のための委員会(現場)に立ち会った経験から言えば、説明役の先生の専門には皆ロ出ししない(内容が分からない?)から、言うがまま。論文数や掲載誌だけは文句がつけられる。でもあまり難点を指摘すると自分の時にしっぺ返しを食うからまずい。

その先、見事大学のポストにつけても、助数は任期があってふつうは3年くらいだから、その間に業績を挙げつつ次のポストを探さなければならない。教授になったらなったで、大学内部で予算の取り合いやら、居心地が良いとは限らない。学内政治にも神経を使う。また、理系は実験にお金が掛かり、学会のボスがそれを取り仕切るし、産学共同研究で企業からお金をもらうのも、時流に乗っている研究ならば万歳だが、地味な基礎研究ではそれも無理。学生や助教の就職先の面倒をみるのも大変。最近は教員のポストが減ってきているために、社会人入試で入る学生を喜んでいる教授もいるとか。就職の面倒を見なくてすむからだ。

社会人といえば、企業の研究職から大学に転身するケースもある。当然ながら企業にいる間に海外の大学院で博士号を取るとか、論文博士になっておくとか、準備は必要。社会経験を積んだ教員は、企業の様子もわかるので学生の評判はいいそうだ。

ともあれ、好きなことを研究してお金がもらえ、自由人のイメージの大学のセンセイは人気の商売かもしれない。賛同します?