文部科学省元職員らによる大学への天下り問題には、これまでに報じられた違法性の問題以外にも、教育行政上の重要な論点がある。学位の価値という問題はその一つ。それに気づかせてくれたのは、3月の参議院予算委員会のやりとりだった。
質問した野党議員が、大学の教授職に就いた文科省の元職員は最近3年半で15人おり、全員が博士号を持っていないという事実を指摘した。続いて国土交通省の事例も明らかになったが、大学教授になった26人のうち少なくとも23人が博士号保持者で、この点で我が国の高等教育行政をつかさどる文科省との差が際立った。この問題はマスコミにほとんど顧みられなかったが、問題を三つに分けて整理してみたい。
第一に、平成に入って以降文科省が推進してきた大学院重点化政策を文科省自らが否定している。この政策は、大学教員全体の博士号保有率を引き上げる意図が含まれていたはずだ。博士号を持たない文科省の元職員15人が大学教授となったのはそれと相反する行為ではないのか。
第二に、大人が抜け駆けしたという情けない事実である。大学院重点化政策は一面で成功を収め、大量の若い博士を誕生させた。けれども、若い博士の雇用創出に政府は無頓着だったため、結果として博士号を持っていても働き口がない、やっと見つけた就職先は期限付きばかりという、いわゆる高学歴ワーキングプアという負の側面を生じさせている。
最後の問題は、大学教授の資格を規定した大学設置基準第14条が、大学や文科省によって恣意(しい)的に運用されている疑いがあることである。
条文には大学教授の資格として、博士号及び研究業績を有することという原則に続き、いわば補助的・例外的な「準ずる」規定がある。博士号がなくても、何か特別な能力を持っていたり、博士号取得者に準ずるような専門知識や研究業績があったりする場合には、それらを同等に扱おうという規定である。
かつて我が国の大学には、文系を中心として極端なまでに博士号授与を制限するという慣習や文化があったため、「準ずる」規定には歴史的な役割があった。けれども、大学院重点化が進み、多くの博士号取得者が生まれた今、この規定の持つ肯定的な意義は薄れている。逆に縁故などで規定が恣意的に運用され、本来は教授としてふさわしくない人物を採用してしまうリスクが高まっているのではないか。
国交省の場合、技術系の博士号取得者が多いという事情があるにせよ、文科省の博士号ゼロという実態は明らかに異常であり、今こそ冷静な議論が必要である。
文科省天下り 教授職、博士号ゼロは異常 大西好宣|2017年6月8日朝日新聞 から