2017年10月27日金曜日

記事紹介|心は「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません

京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。1984年にKDDIの前身であるDDI(第二電電企画)を立ち上げたとき、「できるわけがない」と散々に言われたといいます。それでも通信事業の自由化に挑戦したのはなぜか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を考えた結果」といいます。どういうことか。「稲盛哲学」の具体例を紹介します。

1984年に新規参入した「第二電電」の挑戦

私は、1984年に、通信事業の自由化に伴って、第二電電企画(DDI)という会社をつくりました。

現在では、KDDと日本移動通信(IDO)を合併しまして、KDDIという、NTTに次ぐ国内第2位の通信会社になっています。そのKDDIの売上は、約3兆円。京セラとKDDIをあわせた売上は、4兆円を超えるまでになっています(※売上などについては2001年7月時点のもの)。

これが、27歳で会社をはじめて42年間(当時)、「人間として何が正しいのか」ということだけを座標軸にして人生を歩いてきた結果です。

よく、国内外の評論家の方々や経済学者の方々から「どうして京セラはここまで発展したのですか」と聞かれます。また、「稲盛さんは優秀な技術屋で、しかもちょうどセラミックスというものが流行するような時代にたまたま遭遇されたから、大成功を収められたのですね」とも言われますが、そのとき私は「そうではありません。時流に乗ったわけでもなければ、私の技術が優秀だったからでもないのです。一番大事なのは、私が持っていた考え方、哲学が正しかったからだと思います。そして、それを私だけではなく、従業員が共有してきたからです」と言っています。

立派な哲学さえ持っていれば、誰がやっても成功する、そのように私は考えています。

通信事業が自由化される以前、日本の通話料金は非常に高く、庶民はたいへん困っていました。私は、かなり昔からアメリカで仕事をしていましたので、アメリカの通話料金は日本と違って非常に安いということを知っていました。

カリフォルニアからニューヨークへ電話をかけて長話をしても、電話代が非常に安い。一方、日本では出張中などに、東京から京都の本社に公衆電話を使って電話をしようというとき、100円、200円を10円玉に替えて、次から次へととにかく大量に入れる、というくらい通話料が高かったのです。

私はそれをずっと不満に思っていました。電気通信事業が一社の独占で行われており、国民が苦労しているのを見て、これはけしからんということで、第二電電をつくることにしたのです。

自分自身でも無謀だと思いましたし、周囲からも「稲盛さんはセラミックスの分野では優秀な技術屋かもしれないが、電気通信の技術については何も知らないじゃないか。できるわけがない」と言われたものです。

京セラの成功はフィロソフィがあったから

私は、密かにうちの幹部を集めて、こう言いました。

「京セラが成功したのは、私の技術が優秀だったからだとか、時流に乗ったからだとか言われるけれどもそうではない。フィロソフィ(哲学)があったからなのだ。そうは言っても誰も信用してくれないだろうから、それを今度、私自身、第二電電という通信会社をつくって証明してみようと思う。通信について、私は技術も何も知らない。あるのは哲学だけだ。哲学一つで本当にこの事業が成功するのか、もし成功したなら、経営に哲学がどれほど大事かということが証明できるはずだ」と。同時に「そうはいっても無謀な挑戦には違いないので、失敗するかもしれない。そのときは1000億円まで金を使わせてほしい」とも言いました。

会社の利益を貯めた預金がかなりありましたので、そのうちの1000億円を使わせてくれ、そこまでやって成功しなかったら撤退する、と言い切ったわけです。ところが、ご存じの通り、第二電電は見事に成功しました。

「京セラの成功は、セラミックスが時流に乗ったから」だと周りは言っていたわけですが、私はそうではなくて、セラミックスというブームをつくったのは自分なのだという自負があります。

この10年くらいの間に、世界の材料工学の学会などで、「稲盛という男が、日本で京セラという会社を始めて努力をした結果、世界的なセラミックスブームが起こったのだ。彼がいなかったら、ブームはなかっただろう」という評価をいただくようになりました。そういう私の功績とは、正しい「考え方」というものがあったからこそ成し得たものなのです。

しかし、その考え方というのは、難しいものでも何でもなくて、ただ「人間として何が正しいのか、何が正しくないのか」という、単純でプリミティブ(素朴)なものにすぎません。

それらは、簡単に言うと、正義、公平、公正、誠実、勇気、博愛、勤勉、謙虚といった言葉で表されるようなことです。つまり正義にもとることなかりしか、誠実さにもとることなかりしか、勇気にもとることなかりしか、謙虚さを失ってはいないか、あらゆるものに対する博愛の心をもっているかということであり、そのようなことを実践するだけでいいのです。そういうものを大事にして、人間として恥ずかしくないような生き方をする、それだけで私はいいと思います。

そういうものを心の座標軸にすえて、どんな障害、どんな困難があろうともそれを貫いていけば、必ず成功するはずです。

筋を通す、つまり原理原則を貫くことに徹する

私など、それらを貫こうとするあまり、新聞、雑誌等で発言したことが、ときの政府や役所に対する痛烈な批判になったりして、政府から、または役所から苦情がきたり、妨害がくるほどです。それでも、私はひるまない。

相手によって生き方を変えるという人も世の中にはたくさんいるでしょう。

「意地を通せば窮屈だ」と、夏目漱石も言っていますが、本音を言ってそれを押し通すというのでは、世の中を生きるには窮屈だし、いじめられる。だから、人は建て前でやり過ごそうとするものです。しかし私は、どんないじめにあおうとも、どんな迫害にあおうとも、今言ったようなことを貫くことを恐れません。

社内でも、もしこれにもとるような人がいたら、厳しく叱責します。

そして、その重要性が根本的にわかっていないような人は、どんな偉い人であろうとも辞めてもらいます。そうすると、はじめはダメージを受けるでしょう。しかし、放っておけば、将来もっと大きなダメージを受けることになるのです。そうやって、私は筋を通す、つまり原理原則を貫くということに徹してきました。

しかし、人間にとって正しいことと、自分にとって正しいことを取り違えてはいけません。自分にとって正しいことは、自分には都合がいいかもしれませんが、他人にとっては都合が悪いかもしれない。自分にとって正しいことというのは、利己的な考え方です。

私の言う考え方の中心に置かなければならないこととは、利己の対極にある利他です。さらに言葉を換えて言いますと、人のため世のためになるということ。それを心の座標軸の中心におかなければなりません。

同時に、やはり事業ですから、誰にも負けない努力が必要です。それは、限度のない努力です。それこそが偉大なことを成し得るための源です。

頑張ると言っても、私一人が頑張っても会社は立派になりませんから、従業員の支援が必要です。300万円の資本金で宮木電機さんの倉庫をお借りしてちっぽけな会社を京都につくったわけですけれど、たった30人弱の従業員と一緒に汗水流して、「頑張ろう、頑張ろう」と言って、本当に朝から晩まで頑張ったわけです。私は、あらゆる機会を見つけては、みんなに「会社を今に日本一に、世界一にしよう」と言ってきました。

できるわけないのです、もともと1万5000円しか持っていなかった男が、人様に300万円出してもらって始めた会社なのですから。

それが「世界一」なんてことを言ってもナンセンスなのですが、私はまじめにそう言っていたのです。ただでさえ「会社がつぶれるかもしれない」という恐怖心に付きまとわれていましたから、自分で自分を励ますためにも、「世界一にしよう」と言わざるを得なかった。

「どんなに偉大なことも、一つ一つの努力、アリの歩みのような一歩一歩の地味な努力の積み重ねでしか成し得ない。一朝一夕にできるものではないのだから、一人一人が地味な努力をする以外に方法はないのです。みなさんは、そんなに頭も良くない人間が、30人程度で努力したところで、そんなことできるわけがないと思うでしょう。そうじゃない。30人でも、限度のない努力、際限のない努力、それを延々と積めば、世界一の大企業というものだってつくれるのです。それが真理であり、ほかに方法はありません」。このようなことを、私は従業員に毎日必死に訴えてきました。

最後に残るのは世のため人のために尽くしたもの

私は、しばらく前に、臨済宗妙心寺派のお寺で頭を剃って得度をし、お坊さんの修行の真似事をさせていただいたのですが、そのときにしみじみ思ったのは、人生とは波瀾万丈、諸行無常であり、何一つ永遠に安定したものはない、一寸先は闇、何が起こるかわからないのだ、ということでした。

そのような諸行無常、波瀾万丈を生きる中で、たとえ経営者として成功したとしても、死んでいくときは地位も名誉も関係ありません。

稲盛和夫は、京セラをつくって、巨万の富を得たようだ。しかし、そういうことは、死の間際になってみれば何の価値もないのかもしれません。

その代わり、その人が生きた間に、世のため人のためにどのくらい尽くしたのかということは残るはずです。

世のため人のために尽くすということは、美しい心を持つということ。美しい心をもっているから、自分のことはさておき、人のために尽くすことができるのです。そう考えれば、人生というのは、美しい心をつくるためにあるのではないか、そのように私は思います。

つまり、人生で何が一番の勲章かというと、一生をかけてつくり上げた美しい心なのです。

では、心が美しくなる最大の方法とは何か。それは、私は「一生懸命働く」ことだと思います。学生であれば、「一生懸命勉強する」ことになります。

心は、「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません。

だから人生ではいろんな苦労をさせられる。人生波瀾万丈、災難にあったり、病気になったり、悪いことも起こります。

しかし、それらはすべて、心を磨くために自然が我々に与えた試練なのです。同時にラッキーも、そのまま幸運に溺れて人間性が堕落していかないかを見るために、自然が与えた試練と考えることができるでしょう。

それを、苦労に対して不平、不満をあげつらい、世を妬み、世を恨み、なんで自分だけがこんな目にあわなければならないのか、と拗ねていたのでは、心を磨けるわけもなく、かえって心が汚れていく。

今のこの試練は、それに耐えて一層頑張るようにという自然の教えなのだと受けとめ、苦しくても明るく生きていくのです。そうすることによって、すばらしい人間性というものが培われ、人生の勝利者となることができる。そのために、苦労をするということは大変大事なのです。

KDDIが成功した「たったひとつ」の理由-稲盛和夫の熱中教室|PRESIDENT Online から