しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或(あるい)はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。そういう識を「見識」という。
しかし如何(いか)に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない。その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。
けれども見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場に於(お)いて練らなければ、胆識になりません。
安岡 正篤
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知識、見識、胆識と見ていくと、だんだんと体の下の方に下がって来ているのが分かります。
単に頭で覚えて理解するだけではなく、色々なものを見聞きして咀嚼して自分の血肉とし、肝を座らせて行動に移せるまでの知恵にする。
ちょうどヘソの下の丹田に気を溜めて、活力を生み出すように。
安岡先生は昭和の時代から、知識、見識を持つ人はいても、胆識まで持つ人は殆どおらず、それが現代の憂いの一つであるとも話されています。
本当に今やっていることを極めようと思えば、行動と勉強とその両方が必要なのですね。
識|今日の言葉 から