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記事紹介|国立大学の「国立」の呼び名は、国家や国民の誇りを意味する格別に賦与された名称である

今後とも大学は「文化的存在」ではあり続けるであろう。しかし、今日では加えて「文明の牽引者」であることが求められる。そして残念ながら、日本国民の教育研究に対する信頼性は万全とは言い難い。

わが国は1,000兆円を超える公的債務を抱え、きわめて厳しい財政状況にある。にもかかわらず、巨額の公的資金が高等教育、科学技術社会へ投入されるのは、いまだ大学、公的研究機関に対し期待をつなぐ証拠ではある。今年度の一般会計歳入の実に35%が国債に依存するが、国立大学運営費交付金、科学研究費ともに、前年度水準を維持した。合わせて第5期科学技術基本計画発足に際し、従前を上回る26兆円の政府研究開発投資の目標を設定した。しかし、消費増税先延ばしで、来年以降財源をどこに求めるのか。加えて、英国の身勝手なEU離脱も、わが国を含めて世界経済に大きな影響を及ぼすであろう。国内外の諸事情を勘案すれば、過大な国費依存からの脱却はもはや不可避と思えてならない。

もともと憲法23条が規定するアカデミアは、二つの「じりつ」自立と自律を旨としており、国家の介入は最小限にとどめるべきである。自治的存在であるアカデミアは社会のためにあるが、社会と国家は同義ではない。旧態依然たる国有、国営的な依存体制ではなく、変化する時代に適応しながら、自らの知恵、能力で気概をもって生きる人材を輩出する研究教育システムを編み出さなければならない。世界水準の教育を行い、卓越した研究成果を生み、さらに「Society5.0」の標語のもと超スマート社会の形成に向けて貢献して欲しい。

国立大学法人の3類型化と国立研究開発法人制度発足による制度改革は、中央集権から分権、あるべき分散への移行を促す。とくに第1類の小規模国立大学が外に目を向け、柔軟かつ大胆な連携により、独自に輝く存在たり得ることを期待している。果たして国力の源泉たる人材養成と研究成果の創出の機会となるか。さもなければ、公的教育研究制度としての持続可能性は予断を許さない。

国立大学、国立研究開発法人の「国立」の呼び名は、国家や国民の誇りを意味する格別に賦与された名称である。国力の源泉であり、その価値は広く公共社会から認識されるものであるべきであり、国益のみならず、人類益に向けた役割を自ら実行する機関である。英国では「国立(national)」の代わりに「王立(royal)」と呼ぶ…

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