2019年7月20日土曜日

記事紹介|「ゆでがえるの悲劇」と「おたまじゃくしの死」

「ゆでがえるの悲劇」とは、組織変革の本では、おなじみの寓話ですね。

「一匹の生きたカエル」を「煮えたぎった鍋の湯」のなかにぶち込むと、びっくりして、鍋からは飛び出す。よって、カエルは死なない。

しかし、今度は「生きたカエル」を「鍋の水」のなかにいれて、徐々に徐々に加熱していくと、カエルは、その状況変化に気づくことなく、加熱されて、やがて死んでしまう、という話です。

このカエルと、組織のなかにいる個人を喩えて、よく組織変革本では引用されます。

すなわち、組織の中のメンバーが、組織のなかで徐々に腐っていくときも、これと同じです。

徐々に加熱されてはいるけれど、それに気づかず、「いつのまにか茹で上がっているカエル」は、「周囲で行っている変化」に気づかず、徐々に「緩慢な死」に向かっていく組織の個人に喩えられています。

ところで、この本では、この事例をさらに発展させ「オタマジャクシの死」というメタファに昇華させています。

これが素晴らしい。

つまり、こういうことです。

徐々にゆでられて「緩慢な死」を選ぼうとしているカエルのなかには、老獪なカエルがいるのです。つまり、「徐々に水の温度があがっていること」に気づいているカエルがいる。ただし、老獪なカエルは動きません。なぜなら、彼は知っているからです。

「あと数年、持ちこたえれば、自分だけは鍋の外に出してもらえる。

あとすこしだけ知らぬ存ぜぬのふりをしていれば、次の世代に責任を押しつけることができる」

おわかりでしょうか。

「動かない老獪なカエル」とは、このまま動かなければ、組織のメンバーがみな「緩慢な死」に向かうことはわかっていながら、ただただ持ちこたえているカエルなのです。それでは、このカエルは誰でしょうか。当然のことながら、老獪な年長者であり、経営陣ですね。

老獪なカエルは、あと数年すれば、問題を何一つ解決しないまま、鍋の外に自分だけ出してもらえます。

そして鍋のなかに残されるのは・・・次の世代(若い世代)=オタマジャクシです。

だから「オタマジャクシの死」(笑) 

ズドーン・・・またまた早朝バズーカ(笑)。

いやいや、この話、身震いしませんか?

僕は、ホラームービーを見たかのように、身震いした。

ていうか、日本のそこら中の組織で「あるある過ぎて」、首もげそう(笑)

「動かぬ老獪なカエル」と「死んでいくオタマジャクシ」、めちゃくちゃ、いそう。

ちなみに「死んでいくオタマジャクシ」の葬式には「老獪なカエル」は出ないからね。

  
あなたの組織には、あと数年たてば鍋の外に出してもらえる「老獪なカエル」がいませんか?

あなたの組織には、水温の上昇に気づかず、無邪気に明日を夢見て泳いでいるオタマジャクシがいませんか?

あなたは、無邪気におよぎ緩慢な死をまつ「オタマジャクシ」になっていませんか?

動くことも「選択」

動かぬことも、また「選択」

組織のなかで死んでいくのは「ゆでがえる」ではなく「オタマジャクシ」であるという「ホラームービー的現実」!? |立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する から

2019年7月19日金曜日

記事紹介|遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す

「幸せな会社」とは、豊かな組織をつくること

最初に紹介する尊徳の言葉は、この言葉です。

「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す。

それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。

まして春まきて秋実る物においてをや。

故に富有なり。

近くをはかる物は 春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず

唯眼前の利に迷うてまかずして取り

植えずして刈り取る事のみ眼につく。

故に貧窮す。」

尊徳は、目先の損得で物事をはかる者は貧窮すると言います。反対に富む者、つまり豊かになっていく者は、目先の損得ではなく将来芽吹く豊かさのために、様々な準備をしているのだとも言っています。たとえば、文中にあるような作物を育てたり苗木を植えたり、といった取り組みです。

目先の損得で物事をはかる者は、今すぐ手に入らないものに対しては労力を使いたがらないので、「その場しのぎ」「行き当たりばったり」となり、運よく一時的な豊かさが得られたとしても安定しませんし、豊かさを得続ける再現性もありません。

尊徳は上記の言葉で「者」と表現していますが、これは一個人の話ではありません。尊徳の取り組みで言えば「村」であり、また「会社組織」と置き換えても読むことができます。では、尊徳の言う「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す」という考えが、具体的にどう「幸せな会社づくり」のヒントとなるのでしょうか。

遠きをはかるとは、将来のために投資をするということ

尊徳の言葉を「幸せな会社づくり」に置き換えて考えるならば、将来のために投資が行われる組織づくりをしましょう、ということです。それはつまり、新商品の開発や、専門分野の研究、人財育成、などが言えるでしょう。尊徳はその投資を「それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う」、つまり100年という長期視点で考えよ、と説いているのです。

これはすべての投資を100年という長期視点で見なさい、という意味ではありません。それくらいの「長期的な視点」で、研究開発や人材育成といった投資をし続けるということが大切であるという意味です。

短期の成果を偏重する現代の風潮

最近は、何かというとコストパフォーマンが叫ばれ、成果の見えにくい物事には予算が与えられなかったり、あまりにも短期間で取り組みが打ち切られたりしがちです。

しかし尊徳は、すぐに成果が出る物事に対してだけ評価される現代の風潮に警笛を鳴らしています。

それは「近くをはかる物は 春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず 唯眼前の利に迷うてまかずして取り 植えずして刈り取る事のみ眼につく。 故に貧窮す」という言葉でも明確です。

たとえば売り上げが伸びていて、一見すると成長しているように見える組織でも、長期的な投資(新商品の開発、専門分野の研究、人財育成 など)がなされていなければ、やはり価格競争の波にのまれたり、他社商品に依存したような商売をしなければなりません。そのような組織では、社員も自分たちの仕事に誇りを持って働きにくいですし、会社の将来性が見えにくいので、幸せどころか不安を感じてしまいます。

幸せな会社をつくるためには、たくましい組織である必要があるのです。そのたくましさとは、自分たちの力で新たな商品やサービスを生み出していける力を持つということであり、尊徳の言葉にもある「遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う」姿勢がその要となるのです。

二宮尊徳の名言「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す」を実践する組織とは?|PHP人材開発 から

2019年6月23日日曜日

記事紹介|道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。

「一源三流」とは、よく剣道や武士道において使われる言葉だ。

投資の神様、ウォーレン・バフェットは「誠実さ」についてこう語る。

『私は人を雇う際、3つの条件で判断する。

第一が人間としての誠実さ。

第二が知性、そして第三が行動力だ。

ただし第一の条件が欠けると、他の二つはその人を滅ぼす凶器と化す。』

汗を流すとは、勤勉であるということ。

もし、少しでもましな人間になろうと思うなら、凡人は、コツコツと日々努力する以外にはない。

また、涙を流すとは、人のために涙を流すことだ。

どんなに頭がよかろうが、「情」のない人間は人からは好かれない。

血を流すとは、身を削って、努力すること。

本気になることだ。

死に物狂いになって取り組めば、どんなに厳しい道であろうとそこに一筋の光を見ることはできる。

「一源三流」の道を歩みたい。